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発電所は語る(第24回)「ディス・イズ・伊豆。小水力発電所は川端康成の悲しみと共に踊る ①」〜静岡県河津町編〜 

川のせせらぎ、
ではあまりにも控えめ過ぎる。

河津川のけたたましい水音は、
ひとりの人間の喜怒哀楽の感情を
いとも簡単に奪い去り、
両耳を支配し続けた。


川端康成の代表作
「伊豆の踊子」の舞台となった福田屋は、
川端が一高生の時に泊 まった宿であり、
百二年が経過していた。

宿の二階から眺める眼下の河津川の姿は、
天城峠から河津浜への水の流れをいっ そう早め、
慌てふためいている。


二十一世紀の日本人と同様、
何かに急き立てられているかのようだ。

踊子の太鼓の音が気になって眠れなかったのは、
文学作品「伊豆の踊子」の主人公 の私。

河津川の轟音が気になって眠れなかったのは、
昨夜の私。


どちらの私も
人間の営みに違いない。





寝起きの目をこすると
雨粒が大きく見えた。

雨脚が強まったようである。

明治十二年創業の福田家は、
長年にわたり香を焚き続けた作用で、
香りが窓の木枠 に染み込んでいる。


木枠からは芳香が漏れ、
一室の品格を醸し出していた。

背筋が自然と伸びる。

これが明治の匂いである。

宿には部屋が八室あり、
川端が逗留したのは「踊り子1」の部屋だという。


この部屋で私は
川端康成と同じ景色を見た。

そして、同じ心象風景を見ようとした。

(宿に到着直後の一枚。天気は曇り)



宿の主人が朝食の準備で
「踊り子1」の木の扉を開けたのは午前八時。


ご主人は、
腕組みをしている浴衣姿の私を見つけると、


「河津川を見つめる眼差しが、
先生(川端康成)とそっくりですね。
先生が再び現れたのかと思いましたよ。」


と主人が口を開きかけたようだが、
気のせいか。

口は開かれず、
声も発していない。


私は主人の発言を期待した。
大いに期待した。

主人の目の前で、
腕組みをしていた腕を一旦ほどき、
もう一度大袈裟に腕を組み直す。

特に深刻な悩みがあるわけでもないが、
あからさまに深いため息を吐いてみる。



沈黙が続いた。



間が持たず口を開いたのは、
私の方だった。


「川端康成は、この福田屋の脇を流れる河津川の上流に
水力発電所があったことを ご存知だったのでしょうか?」


「さぁ、どうでしょう・・・。」




みごとに会話が続かない。


文豪は会話が苦手である。



世界的な文豪(川端康成)と静岡県河津町の小水力発電所。
両者を結び付けようとした私の淡い期待はもろくも崩れた。


しかし、
川端康成が眺めた河津川の上流で
電力を生み出していたのは事実である。


発電所の名前を梨本水力発電所といい、
1915年~1972年まで稼働していた。


川端が初めて湯ケ野温泉の福田屋を訪れたのは
19歳(1918年)の時だ。

梨本水力発電所が役割を終えた1972年、
偶然にも同じ年に
川端康成は自ら命を絶ち、
この世を去った。



河津川の由縁である。


(後編(②③)につづく)



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