好きにならずにいられない|ウズベキスタン、初めての中央アジアで感じた魅力 心からおすすめできる旅行先【ウズベキスタン カザフスタン1か月一人旅】
2025年9月末から10月半ばにかけてウズベキスタンを訪れた。
それはそれは素敵な旅だった。もっと素敵な人になりたい、賢くなって知識をつけて、もっと多くのことを受け取って感じられるようになりたい。毎日、毎朝、毎晩、そんな風に思っていた。
ウズベキスタンが好きという気持ちはどんな風に構成されているのか、なぜ好きという気持ちは旅を終えて3か月が時が経とうとしている今でもこんこんと湧いてくるのか、いい機会なのでまとめてみる。きっと言葉にしてまとめることで、ウズベキスタンに惚れ直すと思う。
青色に感動すること
イスラム教の文化では、青は神聖な色とされている。これまでに訪れた、トルコ、モロッコ、マレーシアなどのイスラム教の文化を持つ国で少しずつ学んだ。
青の都として知られるサマルカンドだけでなく、ウズベキスタンには美しい青色がたくさんある。空の青や川の青とはまた違う、青い都の青さは本当にきれい。
青色を作るためによく利用されていたラピスラズリはアフガニスタンやロシアが主な原産国。青い都をつくるために、ラピスラズリがそれらの国からはるばるやってきた当時のことを考えると、ウズベキスタンで毎日のように目にする青いモチーフのもつ深遠さに頭が下がる。
砂漠に覆われた国にできた、華やかな文明
ウズベキスタンは国土の多くを砂漠が構成している。内陸国なのも手伝って、どこまでも広がる土地と、砂っぽくそして乾燥した風が目立つ。ウズベキスタンを観光していたら多くの人が唇の乾燥などを感じると思う。
首都のタシケントでは感じにくいかもしれないが、それ以外の町では、中心地を外れたところ、あるいは中心地でも砂漠を思わせる砂が広がるエリアがあったりする。
そんな砂漠を思わせるウズベキスタンに華やかな文化が栄え、ティムール朝に代表されるようなものすごい栄華が生まれた。そしてそれは永続せず、時が経ち現在のウズベキスタンが生まれた。それまでの間にロシア帝国編入、ソビエト連邦の構成国になるような、国としての大きな変化があったりもした。
栄枯盛衰なんていう言葉が薄っぺらく感じられてしまうくらい、多くのことを経て現在の姿になったウズベキスタン。ただ土地はそこにありつづけ、人間がその上で勢力を争ったり文明を築いたりとせわしなく動き続けている。そのバランスがたまらなく好きである。
栄枯盛衰って未来次第でひっくり返るよね
私がウズベキスタンでよく考えていたこと一位はきっと「栄枯盛衰」ってわからないなーということ。当時その地域を支配していた勢力がどれだけ客観的に見て「悪」だったとしても、その支配によってその国の文化がぶわっと豊かになったりする。ひいてはその国だけにとどまらず、周辺国や他都市を巻き込んで、その国を含んだ広い地域の文化を大きく発展させたりすることもある。
ウズベキスタンでは、サマルカンドのレギスタン広場に代表されるようなティムール朝の繫栄がどうしても目立つが、ティムール朝はモンゴル帝国。レギスタン広場で多くの人が魅了されるマドラサは、実は外部からの支配によって建てられたものだったりする。
ティムール朝はその後シャイバーニー朝(ウズベク・ハン国として有名かも)によって中央アジア支配の終焉を迎えているし、いずれにせよ現在のウズベキスタンの姿とレギスタン広場が建てられた当時の姿は大きく異なる。未来は未定で想像のはるか上を行く。
こういうわくわくする不確実性が好きだし、だからシルクロードの国々の探訪はやめられない。当時の繫栄の姿と現在の発展の形はまた別。歴史はまだまだベールに包まれているけれど、やっぱり想像がいちばんの脳内快楽物質だと思う。
敬虔さとゆるさのバランス
ウズベキスタンで多く信仰されているイスラム教スンニ派でも、ロシア系ルーツを持つ人が信仰するロシア正教の信徒でもないので、彼らの信仰のすべてを知ることはできないのだが、それでも彼らの信仰や、それによってもたらされる美しい姿や文化を垣間見ることができた。
例えばお店やホテルで少しスタッフの方と話をした後に店を後にするような、ちょっとした会話だけだったとしても、会話の最後に彼らは神のご加護を祈ってくれたりする。
そんな敬虔さが生み出す素敵な文化もありつつ、教義が100%がちがちに守られているわけではなかったりする。毎日5回のお祈りはできるときにする。できないこともある。そんな風に持続可能な形を模索して実行に移していたりする姿に、私はいたく感銘を受けた。
文化の融合は無限の力を持つ
前述した通り、ウズベキスタンにはイスラム教スンニ派が多く暮らしている。ロシア正教や他のキリスト教系教会もあり、複数の宗教が共存している。
ヒジャブをまとったイスラム教徒であろう女性が、ロシア正教のお祝い行く別の女性に対して祝福の言葉を伝えていたりする。そんな光景を路上で見るたびに、ウズベキスタンという国がたどってきた歴史を感じるし、現在のウズベキスタンができるまでの苦労が推し量られる。
シルクロードを介してもたらされた文化に生きる私たち
私たちが日々目にしている文化も、シルクロードを伝わってやってきた文化の影響を大きく受けていたりする。例えば唐草模様だったり、絹織物やガラス工芸もシルクロードから来たされている。
*唐草模様と言われると泥棒の風呂敷をイメージするかもしれないが、それだけではなく、たとえば着物などで上品なモチーフとして使われていたりもするので、意外に生活の中に溶け込んでいる。
シルクロード東西交易の中心になったウズベキスタン。ここにキャラバンが行きかって、ここから日本へたくさんの文化がもたらされ、その文化が時とともに変化して今の文化を作った。そう思うとぞくぞくしてくるし、時間というものの力を強く感じる。もちろん時は綿々と流れていてそれはよくわかっているのだけど、ウズベキスタンのようなシルクロードの中心地にいると時や文化、貿易というものの物言わぬ力を感じずにいられない。
(番外編)ロシア語を通して体験したウズベキスタンはウズベキスタンなのか
私はロシア語話者であり、基本的にウズベキスタンではロシア語とサブ的に英語で過ごしている。そのためウズベキスタンで私が経験しているすべてのことはロシア語と英語を通してのものになる。
ウズベキスタンの国語はウズベク語。ロシア語はあくまで広く使われている言語というポジション。国語なしでその国を語ることができないように、ウズベキスタンはウズベク語なしで語ることができないはず。ウズベク語話者ではない私は、その妥当性を判断することすらできないのである。
それはだいぶ悲しいけれど、ロシア語話者の日本人であるからこそ気づけるウズベキスタンの美しさもある。それを信じて、また近い将来ウズベキスタンを楽しみたい。
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