ミステリー長編『100人自主-裁けない国の物語-』第1章②
第1章 選択
第2話 躊躇:三宅里穂
その文章を読んだとき、里穂が最初に思ったのは、
「ちゃんとしてる」
だった。
怪しい募集は、だいたい文章が雑だ。
やたらと急かしてくる。
期限を煽り、言葉を重ね、逃げ道を塞ぐ。
これは違った。
距離があった。
淡々としていて、感情がない。
むしろ、読む側に判断を委ねているように見えた。
里穂は、すぐに閉じなかった。
未解決事件。
自首。
報酬。
言葉は少なかった。
だから逆に、現実味があった。
[申告手続きの詳細を確認する]
指が、迷わずそこに触れていたことに、
押してから気づいた。
画面が切り替わる。
注意事項が、箇条書きで並ぶ。
支払いは匿名。
事前接触なし。
虚偽申告不可。
結果の保証なし。
――本当に、あるんだ。
その理解が来たのは、
怖さよりも後だった。
怖さは、遅れてきた。
里穂はスマホを伏せ、
机の上に置いた督促状を一枚めくった。
封筒はもう十通を超えている。
どれも同じ色で、同じ重さだった。
職場の電話が鳴ったのは、昨日の昼休みだった。
「ご本人様でしょうか」
それだけで、体が固くなる。
内容は分かっているのに、
声だけは毎回違う。
夜は眠れない。
正確には、眠りに落ちる前に、
体が先に起きてしまう。
通知音が鳴っていなくても、
心臓だけが反応する。
里穂は銀行員だった。
ローンの仕組みも、
金利の計算も、
返済計画の現実も、
全部、分かっている。
分かっているからこそ、
数字が頭から離れない。
役所にも行った。
番号札を握りしめ、
窓口で話を聞いた。
説明は丁寧だった。
言葉も、優しかった。
「制度上、可能です」
「弁護士に相談すれば」
「一度、整理した方が」
最後に残ったのは、
「今は、これが現実的です」
という一文だった。
自己破産。
その言葉が頭に浮かぶたび、
職場の制服が一緒に浮かんだ。
家族の顔も。
入行式の日の写真も。
全部、消える。
スマホに戻る。
募集文の画面は、
まだ開いたままだった。
自首すれば、
確かに借金は消えるかもしれない。
でも。
逮捕される。
名前が出る。
銀行員が犯罪者になる。
それは、
自己破産よりも、
はるかに世間体が悪かった。
里穂は、
事件一覧を検索した。
放火。
詐欺。
傷害。
どれも、現実的ではなかった。
損害賠償。
被害者。
裁判。
どれも、
借金より重い。
結局、
人が死ぬ事件は、
最初から選択肢に入らなかった。
刺すことも、
斬ることも、
毒を用意することも。
自分には無理だと、
考える前から分かっていた。
里穂はスマホを伏せた。
――私には、できない。
そう思った瞬間、
少しだけ息が深くなった。
何も解決していない。
借金も、仕事も、明日も。
それでも、
「やらなかった」
という事実だけが、
確かに残った。
里穂は、
募集文を二度と開かなかった。
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