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情熱価格のカフェオレ

 noteに何を書いたらええのかわからんなって、何を書いたらええのかわからんということを書くための「たまり場」を作った。人間、終わりである。料理屋が料理を出せんので、料理を出せん話を出すようなものである。だがこれが妙に落ち着くのである。警備の現場で突っ立っとると、風がヘルメットの隙間を抜けていって、俺の脳味噌の代わりに砂でも詰まっとるんちゃうかと思う時がある。今日の現場は横須賀やった。横須賀。海の横っすか。阿呆である。自分でも阿呆やと思った。だが、たまり場にそう書いたらコメントがついた。人間というのは不思議な生き物で、こんな阿呆な言葉にも反応する。

文明。幸福。夕方の交通整理。

俺は誘導棒を振りながら、たぶん書きたいんやなくて喋りたいだけなんやろなと思った。


 以前の俺は記事を書こうとしていた。役に立つことを書こうとしていた。面白いことを書こうとしていた。深いことを書こうとしていた。だが最近は、もう何を書いても「はいはい静月ですね」みたいな顔で自分が見てくるのである。嫌な読者である。お前は誰や。俺や。終わっとる。だから最近はたまり場で、「ママチャリで片道十キロ以上通勤しとる俺は阿呆なんか」と呟いている。すると「健康的ですね」とか「タイヤ大丈夫ですか」とか返ってくる。俺は健康になりたくて漕いどるわけやない。車が無いのである。だが、そういうどうでもええ会話をすると、腹の中に溜まっとった変なガスが抜ける。文章というより放屁に近い。

文学とは何か。知らん。

 引っ越してから毎日ドンキに行っとる。これも不思議である。俺は元々、買い物が嫌いやったのである。必要なもんだけ買って即帰宅するタイプの人間やった。それが最近は、仕事帰りに情熱価格の焼きそばを眺め、ようわからん炭酸水を持ち上げ、安いソーセージを握りしめて店内を徘徊しとる。深夜のドンキというのは妙な場所で、ジャージの兄ちゃんと疲れた女と酒臭いおっさんと外国人観光客が、みんな同じ白い光に照らされて歩いとる。蛍光灯の色が少しだけ人間を阿呆にする。俺も阿呆になっとった。気づいたら情熱価格のポテトチップスを二袋持っとった。そんなに要らん。だがカゴに入れてしまった。

人間は疲れると、判断がポテトになるのである。

 帰宅して、たまり場を開く。誰かが喋っとる。誰かが笑っとる。俺もなんとなく返事をする。記事を書こうという気持ちはもう無い。無いのだが、不思議と毎日何かを書いとる。これが何なのかはわからん。交流と言うほど立派なものでもない。ただ、夕方の公園で知らんおっさん同士が缶コーヒー飲みながら「今日暑いですね」と言うとる感じに近い。だが、それで少し救われる。昔は「投稿せな」と思っとった。最近は「今日は何を呟こうかな」である。人間、変わるものである。あるいは壊れるとも言う。どっちでもええ。情熱価格のカフェオレを飲みながら、俺はそれを考えとった。

 夜になると、ママチャリを漕いだ脚が少し痛む。だが風が気持ちええ。町の音が遠くでガラガラ鳴っとる。俺は今日も特に意味のないことを喋って、特に意味のない買い物をして帰る。

人生とは何か。たぶんドンキである。

必要なものと不要なものが同じ棚に並んどって、なぜか両方買ってしまう場所である。しかも時々、意味不明に安い。人間もそんなもんかもしれん。阿呆みたいに疲れて、阿呆みたいに笑って、それでもまた明日になる。笑うしかなかった。たぶん、それで正解やった。



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