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情熱価格の夜

何を書いたらええのかわからんようになって、私はドン・キホーテの駐車場に停めた車の助手席で、氷結レモンの缶を膝に挟みながら煙草を吸っていた。

私はもう十年くらい車を運転していない。移動はだいたいママチャリである。女と会う時は、毎回女が車を出す。情けない話だが、そういう人生になってしまった。

​世の中には「創作の神様が降りてくる」などとぬかす人種がおるが、あれは嘘である。神様なんぞ来ない。

​来るのは尿意と眠気と、どうでもええ昔の失恋だけである。

​私は缶を開けた。プシュッ、という音がした。

この音は、人生の諦めに似ている。気体の逃亡。

​私も逃げたかった。仕事からも、人間関係からも。

だが腹は減る。人間というのは、逃げたくても腹だけは減る。

「腹減った。なんか買ってくる」

私がそう言うと、女は笑った。

私は結局、唐揚げと缶コーヒーを買ってきた。

阿呆である。

​夜風はぬるかった。

ぬるい風というのは、人間をだめにする。熱いなら怒れるし、寒いなら耐えられる。ぬるいと、なんとなく生きてしまう。

​私は唐揚げを食いながら、「官能小説でも書くか」と呟いた。

女は笑った。パーカー姿で、情熱価格のポテトチップスを膝に抱えていた。そんなに食うんか、お前はリスか、と私は思ったが口には出さなかった。

「官能って」

女はそう言って笑った。焼き鳥味のポテチという存在自体が、だいぶ官能から遠い。だが私はなぜか、その焼き鳥味に妙な色気を感じた。人間というのは疲れてくると基準が壊れる。

​女は「どんなの書くん」と訊いた。

私は「知らん」と答えた。本当に知らんかった。

​裸を書けばいいのか。汗を書けばええのか。

だが本当にいやらしいのは、汗ではなく沈黙である。煙草を渡す時に指が触れるとか、終電を逃して急に黙るとか、そういう間抜けな空気の方がよほどエロい。

​私はそう力説した。

すると女は「めんどくさい男やな」と言って笑った。

​その笑い方が、なんというか、古いレコードみたいに少し掠れていて、私は急に腹が立った。腹が立つというのは、だいたい惚れている時である。

​くだらん。実にくだらん。

​そのあと私たちはガストへ行った。

夜中のガストには、人生を踏み外した人間がようけおる。勉強してる高校生、喧嘩してるカップル、スマホを見ながら泣いてるおっさん。

​私はドリンクバーのメロンソーダを飲んだ。妙に緑だった。あれは飲み物というより、毒の色である。

​女はフライドポテトを一本くわえて、「で、官能って何」とまた訊いた。しつこい女である。

私は面倒くさくなって、「たぶん、人間が阿呆やって確認する文学や」と答えた。

女は笑った。

「それ、有料にしたら売れるんちゃう」

最低である。

​私は煙草を吸いたくなったが、禁煙席だったので腹だけが立った。腹というのは不思議で、減っても鳴るし、怒っても鳴る。人間の中心は、だいたい腹である。

​すると女が急に私の手を触った。

ぬるかった。

​ぬるい、と思った瞬間、私は妙に安心した。熱すぎるものは怖い。人間は結局、少し冷めたものに寄りかかって生きる。

​メロンソーダの氷が溶けていた。人生みたいだった。

店を出る頃には夜がだいぶ薄くなっていた。

女は近くのコンビニの駐車場へ車を停めると、シートを倒して、「なんか書けそう?」と訊いた。

私は「わからん」と言った。本当にわからんかった。

​ただ、さっきからずっと、女のポテチの匂いが車に残っていた。焼き鳥味。最低である。色気もへったくれもない。だが私は、その安っぽい匂いを妙に愛おしく感じていた。

​人間の恋愛なんて、だいたい匂いで決まる。高級香水より、古いパーカーとか、煙草とか、ドンキの揚げ物とか、そういうどうでもいい臭気に人は負ける。

​女は寝息を立て始めた。口が少し開いていた。阿呆みたいな顔だった。

私は笑った。笑うしかなかった。

​こんな夜に、官能小説のことを考えながら、焼き鳥味の女の隣で夜を潰している。人生は完全に間違っている。しかし間違っているから、人間は面白いのかもしれん。

空は灰色だった。夜明け前の光というのは、いつも少し間抜けである。

女はまだ寝ていた。私はシートを少し倒し、ぬるくなった缶コーヒーを飲みながら、「結局、官能ってなんやろな」と呟いた。

すると女が目を閉じたまま、「知らんけど、生きてる感じするやつちゃう」と言った。

​私は思わず吹き出した。

​そうかもしれん。裸でも、キスでもなく、人間のだらしなさとか、眠そうな顔とか、ぬるい缶コーヒーとか、そういうものの中に色気は潜んでいるのかもしれん。

​私は車の窓を少し開けた。風が入った。

焼き鳥味のポテチの匂いが薄く流れていった。

なんだか少し寂しかった。

笑うしかなかった。

人間は、たぶんこういうくだらない夜を繰り返して生きている。

たぶん、それで正解だった。



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