夢の中で言えた言葉は、現実で言えなかった言葉でした
前回の記事では、
夢が「言えなかった思い」を映し出すことがある、
という話を書きました。
今日は、その背景にあった私自身の体験を、
少し丁寧に書いてみたいと思います。
あの記事は、
ただ夢について考えたものではなく、
実際に自分の身体とこころに起きていた出来事から生まれていました。
ここ数日、寝不足が続いていました。
仕事や地域の用事が重なり、
気づけば余裕がなくなっていました。
体は動いているし、
運動もしている。
だから大丈夫だと思っていました。
でも同時に、
言いたいことがうまく言えない時間が続いていました。
親しい人ほど、言えない。
言っても、うまく伝わらない。
やわらかくすると、流される。
そのたびに、
こちらだけが引き受けているような感覚が残る。
ストレスを感じていることは、
自分でもわかっていました。
お酒が増えていること。
食べる量が増えていること。
そういう形で出ていることも、
どこかで認めていました。
でも、止められない。
わかっているのに、
身体と行動が先に反応しているような状態でした。
ある日、リップを塗ったときに、
違和感がありました。
触れた瞬間にわかる、あの感覚。
ここ数年出ていなかったヘルペスでした。
「そんなに無理していた?」
そう思いました。
でも、身体は正直でした。
その日の翌朝に見た夢です。
畳の続き間の部屋に、
布団が並べられている場面でした。
1歳と2歳くらいの、まだ幼い子どもが2人いて、
その子たちを見ながら過ごしていました。
元旦那と、その従妹もいました。
さらに、その母親もいて、
現実と過去が混ざったような空間でした。
なぜか、
大人用の布団を敷く役割が
自分に向けられていました。
でも、疲れていて、
そのまま子どもと一緒に寝てしまっていました。
ふと目が覚めると、
従妹の布団が敷かれていないことを指摘される。
私を責めているような空気。
元旦那は、申し訳なさそうにしながら、
でもどこかで、私が悪いような流れにしている。
そのとき、言葉が出ました。
そんなに気になるなら、自分でやればいい。
大人なんだから、それくらいできるでしょう。
言わないと、わからないよ。
はっきりと、伝えていました。
現実では、言えなかった言葉でした。
夢の中では、迷いがありませんでした。
ただ、当たり前のことを言っている感覚でした。
目が覚めたあと、
すっとした感覚が残っていました。
まずは、夢とはいえ、
言いたいことが言えたことに、
すっきりした気持ちがありました。
けれど、少し時間が経ってから、
「なぜ、この夢だったのだろう」
と考えました。
そこにあったのは、
懐かしさではありませんでした。
まだ嫌だった感覚。
怒り。
理不尽さ。
そして、
「なんで私が引き受ける側だったのか」という、
身体の奥に残っている反応でした。
もう少し背景を言葉にすると、
夢に出てきた従妹の母親は、
当時の義理の母の妹です。
私が長男を産んだ頃、
義理の母は42歳でした。
その妹は38歳くらいでした。
そして、その妹にも、
私の長男と次男と半年ずつしか変わらない年齢の
男の子の兄弟がいました。
つまり、
義理の母の世代にも、
まだ幼い子どもを育てている人がいたのです。
さらに、その家には、
夢に出てきた元旦那の従妹もいました。
その従妹は、私と同い年でした。
私はまだ10代で、
母親になったばかりでした。
本来なら、
支えてもらう側でもおかしくなかった年齢です。
でも現実には、
年上の大人たちの事情や、
複雑な家族関係の中で、
私もまた『引き受ける側』に置かれていました。
従妹の母親は、
自分の母親、つまり私から見ると義理の祖母にあたる人と
同居していました。
その義理の祖母は、
ほぼ寝たきりの状態でした。
その後、いろいろな事情の中で、
義理の祖母が義理の母の家に来る流れになりました。
結婚した当初、元旦那にはまだ経済力がなく、
私たちは義理の母と同居していました。
義理の母は仕事に出ていたので、
昼間の義理の祖母の用事は、
幼い子どもを抱えて子育てをしていた私が
担うことになりました。
当時の結婚式の引き出物だったのか、
家にはベルがありました。
義理の祖母は、
何か用があると、そのベルを振って鳴らしていました。
私は、その音で呼ばれていました。
今でも、
あれは一体どういうことだったのだろうと思います。
まるで召使いのようでした。
もちろん、今なら、
大きな声で呼べなかったから仕方なかったのかもしれない、
と別の見方もできます。
でも、10代だった私には、
その理不尽さを誰にも伝えることができませんでした。
嫌だと思っていいのか。
怒っていいのか。
助けてほしいと言っていいのか。
そんなことすら、
よくわからなかったのだと思います。
「こうした方がいい」
「ああした方がいい」
助言のようでいて、
どこかで私が
『引き受ける側』『合わせる側』に
置かれていく感覚がありました。
言えないまま、
その場を収めていく感覚。
夢の中で出てきた怒りは、
今朝急に生まれたものではなく、
何年も前の関係性の中で、
言葉にならないまま残っていたものなのだと思います。
今なら、
機能不全家族の塊のようなものが、
あの関係性の中にあったのだと思えます。
そのあたりのことは、
また別の機会に、少しずつ言葉にしてみたいと思います。
そして、
言えなかった思いは、
身体にも出ていました。
無理をしていないつもりでも、
身体はちゃんと反応していました。
もし今、
言いたいことがうまく言えないときがあったら、
それは弱さではなく、
これまでの関係の中で身についてきた
ひとつの反応の仕方なのかもしれません。
今日できる小さな一歩。
誰かに伝える前に、
「本当はどう感じているか」
それを、自分の中で言葉にしてみてください。
それだけでも、
こころの流れが少し変わりはじめます。
ここまで読んだあなたは、
もう「自分の内側の感覚に気づく」という一歩を進めています。

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