学校へ行けない理由を、ひとつに決めつけないで——息子の不登校と「香害」の記事から思うこと
今日、柔軟剤などの香りによって体調を崩し、学校へ行きたくても教室に入れない子どもたちの記事を読みました。
記事の中にあった、
「学校は大好きなのに、教室に入れない」
という言葉が、心に残りました。
学校が嫌いだから行かないのではない。
勉強したくないからでも、怠けているからでもない。
行きたい気持ちはあるのに、身体がその場所を受けつけない。
柔軟剤や芳香剤などの人工的な香りによって、頭痛や吐き気などの症状が起き、日常生活にも影響を受けている子どもがいることが紹介されていました。
この記事を読みながら、私は一年前に書いた、息子の不登校についての記事を思い出していました。
息子が中学3年生だった頃。
ある朝、いつものように声をかけても、布団から起き上がらなくなりました。
体調が悪そうには見えない。
前の日も遅くまでゲームをしていた。
だから当時の私たちは、
「生活リズムが乱れているから」
「ゲームのやりすぎだから」
そう考えました。
パソコンを取り上げたこともあります。
今振り返れば、目の前に見えていた行動だけを何とか変えようとしていたのだと思います。
学校へ行かない。
昼夜が逆転する。
食事を取らない。
お風呂にも入らない。
ゲームばかりしている。
親から見れば、心配になる行動ばかりでした。
でも、それは息子の苦しさそのものではなく、苦しさが外側に表れた「結果」だったのかもしれません。
本人にも、自分の中で何が起きているのか、うまく説明できなかったのだと思います。
不登校になると、周囲は理由を探します。
いじめがあったのか。
勉強についていけないのか。
友達関係なのか。
家庭に問題があるのか。
ゲームやスマートフォンのせいなのか。
もちろん、理由を知ろうとすることは大切です。
けれど、大人が納得できる理由を早く見つけようとするほど、子どもの本当の苦しさから離れてしまうこともあるのではないでしょうか。
香害に苦しむ子どもも、外から見れば、教室に入らない子です。
事情を知らなければ、
「少しくらい我慢できないの?」
「気にしすぎでは?」
「学校へ行きたくないだけなのでは?」
そう受け取られてしまうかもしれません。
けれど、本人の身体には、確かに症状が起きています。
目に見えないからといって、苦しみが存在しないわけではありません。
これは香害だけではなく、不登校や心の不調にも重なることだと思います。
子どもが動けないとき、大人には「何もしていない」ように見えるかもしれません。
けれど、本人の内側では、今日を生きるだけで精いっぱいということもあります。
息子が不登校になった当初、私は「どうすれば学校へ戻せるのか」ばかりを考えていました。
けれど、半年近く一緒に過ごす中で、少しずつ考え方が変わりました。
学校へ戻すことよりも、まず息子が安心して生きられること。
大人が思う普通の道へ戻すことよりも、息子自身が歩ける道を一緒に探すこと。
そして、
「4月から高校へ行けなくても見守ろう」
と夫婦で決めた頃から、私たちの気持ちは、諦めではなく信頼へと変わっていきました。
その後、通信制高校の話をしたとき、息子は初めて、
「週2か3なら、行けるかも」
と自分の気持ちを言葉にしました。
親が答えを決めたときではなく、答えを急ぐことをやめたとき、息子の言葉が出てきたのです。
今思うと、見守るとは、ただ何もしないことではありませんでした。
子どもの行動だけを変えようとせず、
その奥にある、まだ言葉にならない苦しさを想像すること。
本人が話せる日まで、関係を切らずにいること。
こちらが用意した正解へ連れていくのではなく、本人が歩ける道を一緒に探すこと。
それが、あの頃の私たちにできた「見守る」だったのだと思います。
学校へ行けない理由は、ひとつではありません。
心の問題だけとも限らない。
本人の努力不足でもない。
家庭だけに原因があるわけでもない。
香り、音、光、空気、人の多さ、教室の緊張感。
大人には気にならない環境が、ある子どもにとっては、そこに居続けられないほどの負担になることもあります。
だからこそ、子どもが学校へ行けなくなったとき、
「なぜ行かないの?」
と答えを迫る前に、
「この子には、どんなふうに感じられているのだろう」
と立ち止まる視点が必要なのだと思います。
行けない子どもだけを変えようとするのではなく、行けなくなっている環境にも目を向ける。
みんなと同じ場所へ戻すことだけを目標にするのではなく、その子が安心して学べる方法を探す。
学校へ行けない日があっても、学ぶ気持ちまで失ったわけではありません。
教室に入れなくても、人とつながりたい気持ちがなくなったわけでもありません。
「学校は大好きなのに、教室に入れない」
その言葉の中には、行けない苦しさだけでなく、本当は行きたいという願いがあります。
その願いを、怠けや甘えという言葉で消してしまわないこと。
見えない苦しさを、すぐに理解できなくても否定しないこと。
私自身、息子の不登校を経験したからこそ、今はそう思います。
子どもが立ち止まったとき、
大人も一度、立ち止まってみる。
答えを急がず、
理由を決めつけず、
その子から見えている景色を想像する。
その姿勢が、誰かの「もう一度行ってみたい」を守ることにつながるのかもしれません。
一年前に書いた記事では、息子が不登校になった日から、通信制高校への入学を決めるまでの半年間を綴っています。
当時の私は、何もできない自分を受け入れることに苦しみながら、少しずつ「動かすこと」から「信じて待つこと」へと変わっていきました。
今回の記事とあわせて読んでいただけたらうれしいです。
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