「独立という幻想」∶「脆弱性の人間学」と「人権宣言」
私は以前に腰を痛めて、職場の人に様々な点で助けてもらったたことがあります。自分がそのようになる可能性はあったにも関わらず、それまでそのようなことは全く想定していませんでした。
私たちはつい『自分の力で自立して生きている』と思いがちですが、それは単に、今たまたま運良く健康なステージにいるだけなのかもしれません。
そんなとき、マルタ・ファインマン(アメリカの法学者、エモリー大学のロースクール教授)らが提唱する 「脆弱性の人間学(Vulnerability Theory)」 について知る機会がありました。
これは、人間を本質的に「傷つきやすく、依存し合う存在」として捉え、従来の自律的な個人主義に基づく法や社会のあり方を批判・再構築する理論です。
このコラムでは、その理論の核となる3つの概念を紹介し、そこから、私が以前投稿しました「生命の多様性と連帯に関する人権宣言」におけるその発展について述べたいと思います。
「脆弱性の人間学」の3つの概念
普遍的な脆弱性:脆弱性は一部の弱者に特有の条件ではなく、すべての人間が老化や病気、災害など外部の力に対して生まれながらに持つ普遍的な条件です。
制度的レジリエンス:国家や社会は個人に自己責任を求めるのではなく、教育や医療などの資源を公正に分配し、脆弱性に対処する基盤を整備する義務を負います。
ケアの倫理と依存関係:社会の維持に不可欠なケア労働を行う側と受ける側の双方を、構造的に支えることが求められます。
この理論は、形式的な機会の平等だけでなく、個人の異なる条件を考慮した実質的な配慮や構造的不平等の是正を重視します。
「生命の多様性と連帯に関する人権宣言」におけるその発展
一方、私が以前投稿しました「生命の多様性と連帯に関する人権宣言」は、この脆弱性理論を現代の障害学や生命倫理の観点から発展させたものと位置づけられます。両者の関係性は以下のように整理できます。
普遍的脆弱性の一致:人間を「社会構造への適合者は、生命のプロセスにおいてその特性がいつ、どのように現れるか予見し得ない」として捉えています。
制度的支援の具体化:単なるセーフティネットの提供にとどまらず、社会環境や制度側を受容幅の広い「ニッチの拡張」へと変化させ、インフラ整備を人類の適応力を高める「フロンティア投資」と位置づけます。(例えば、ユニバーサルデザイン、誰もが使える育児・介護パスなどがこれに該当します。)
ケアの倫理の統合:生産性や機能的な制約に関わらずすべての命が完結した価値を持つとし、個人の選別(負の優生学)を明確に禁止して多様性を尊重します。
結論∶より実践的な現代社会の倫理的基盤
この宣言は「人間存在の普遍的な脆弱性と制度的支援の義務」というファインマンの抽象的な法哲学を基盤とし、多様な生命科学・遺伝学的な観点や障害の社会モデルと結びつけ、より実践的な現代社会の倫理的基盤として発展させたものと言えます。
私たちは皆、脆弱性を抱えた存在です。いつどこでどんなケガや病気に見舞われるか分かりません。また、たとえそれを免れたとしても、いずれ様々な身体機能や認知機能が衰えてゆきます。私たちはそんな自分の内に在る普遍的な脆弱性をすぐに忘れてしまうように思います。
所謂「弱者」と呼ばれる人々は、そのことを私たちに思い出させてくれる存在でもあるようです。
