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宮廷人と異端者の思想対決! ライプニッツはスピノザ哲学の何を恐れていたのか?

『宮廷人と異端者~ライプニッツとスピノザ、そして近代における神~(M・スチュアート著)』スピノザ関連書籍の紹介#2


最近、『マネジメント神話』という本を刊行し、哲学博士号、経営コンサルタントという異色の経歴を持つマシュー・スチュアート(アメリカ)の著作である『宮廷人と異端者~ライプニッツとスピノザ、そして近代における神~』を紹介したいと思う。

まず帯文が、ワクワクする。

哲学的対決のドラマ。――ライプニッツだけが深く理解しえた、そしてライプニッツこそが深く憎悪した、スピノザ哲学という「世界革命」

本書より

同時代を生きた二人の天才哲学者、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツと、バルフ・デ・スピノザ

片やドイツのライプツィヒに誕生した、豪勢に着飾って諸国の宮廷に接近し、手練手管を尽して高給を引き出しては、その富をもって全ヨーロッパを股にかけた各種の新事業に万能の天才ぶりを発揮しようと活躍する「究極のインサイダー」

片や、オランダはハーグ。ユダヤ人コミュニティーから無神論の危険思想として破門され、間借り暮らしでのレンズ磨きを生業としつつ、近代を切り拓く前代未聞の革命的哲学を鍛え上げる「不気味に自足した賢者」

かつて浅田彰は、学問においてはライプニッツの天才は圧倒的だが、こと哲学においてはスピノザの天才の方が勝っているのではないか、というようなことを言っていた(『マルクスの現在・1992年』)
※ちょっと朧げな記憶です

ライプニッツは社交的で、知的にも器用で、マルチタスク。知略にも長けている。スピノザは社会で生きていくうえでは、どことなく不器用な性格で、レンズ磨きをしながら哲学の思索をひとり深耕する。のちにヘーゲルが就任することになるハイデルベルク大学の哲学正教授のポストさえ用意されていながら、自分の思索の邪魔になるという理由で、そのポストを断ったというくらいのストイックぶり。

そんな、性格的にもあまりにも対照的な二人であるが、実は彼らは一度だけ、オランダのハーグで邂逅している。1676年。スピノザが死を迎える1年前のことである。

その二人の「接近」から「邂逅」、そして互いに相いれない「決裂」にフォーカスをあて、そこに至るまでの両者の人生を、時系列に沿って交互に描きつつ、急接近する場面にピークを持っていく描写は、まるで小説を読んでいるかのようである。この本は、哲学の研究書というよりは、17世紀の二人の天才の出会いを描いたドキュメンタリー的なものになっているので、哲学的知識や予備知識などなくても楽しめる内容になっている。

映画『マルクス・エンゲルス』が制作されたように、いつか『ライプニッツ・スピノザ』という映画が作られないものかとも夢想してしまう。

スピノザという天才哲学者の名は、当時のヨーロッパ中の知識階級の間でも広く知られていたのだという。スピノザに会いたい、彼に思想的対話を挑みたいという訪問者は後を絶たなかったということだし、弟子も何人かいたようだ。しかし、スピノザの名を最も世に知らしめたのは、『神学政治論』の禁書処分という事件であった。それも危険思想の急先鋒という悪名において。

『神学政治論』およびスピノザの存在については、ライプニッツにも耳に届いており、彼はスピノザという哲学者に、何が何でも会いたい、会ってこの危険思想家として悪名高いスピノザの哲学がいかなるものなのかを確かめてみたかったようなのだ。

ライプニッツは、微分積分を発見した日にも、裏のルートで入手したスピノザの『神学政治論』と格闘していて、彼のノートはスピノザに関する本の抜き書きでいっぱいになっていたのだという。ライプニッツは、スピノザの才を認めていたようだが、どうしても認められぬ部分が「神は自然である」というところであった。

もっとも当時、キリスト教会が支配的であったヨーロッパにおいては、教会権力を持つ聖職者やデカルト主義の知識人からも無神論者として罵られてきたのだが、ライプニッツもまた、この点へのスピノザに対する憎悪と軽蔑を露わにした。

ライプニッツは『エチカ』の写本も読んでいたようで、スピノザを単なる無神論者、狂人の戯言という形では片づけられなかったのであろう。ライプニッツはスピノザのことを知りたくてたまらなくなり、何がなんでもスピノザに会いたかったようだ。

そこで、チルンハウスという共通の知人を介して「ライプニッツがスピノザに会いたがっている」とスピノザに申し入れるのだが、面白いことにスピノザは一度、足蹴に断っている。スピノザもまたライプニッツのことは知っていたようだが、ライプニッツのような種の人間には軽蔑を持っていて、どこか胡散臭いという感情さえ抱いていたようだ。

このあたりは、本書において精緻にかつスリリングに描かれているし、何よりも二人がついに邂逅するシーンは、多分に脚色の部分もあろうかとは思われるが、まあ、性格も真反対で、思想についても相反する二人の議論は、きっと嚙み合わないのだろうなと想像するだけで可笑しくもなり、二人の天才の「交わらなさ」が見事なコントラストとなっていて、知的興奮が止まらなくなる。

スピノザは座っている。身動きもせず、深い無関心のうちにいる。おそらくは、無言の軽蔑をたたえている。まるでかれ自身の自然=神の化身であるかのように。ライプニッツは部屋の中を歩きまわっている。みずからの証明に固執し、みずからの要求を死にものぐるいで叫んでいる。つねに欠乏症に悩まされる人類を完璧に代表するしかたで。

本書より

この書を読むと、ライプニッツはもしかしたらスピノザ主義者であり、スピノザに対する彼の態度のそれは、好きすぎるゆえに憎い、というような類の感情なのかとさえ思えてしまうのだが、いぜん、『スピノザ全集(岩波書店)』刊行記念のトークイベントで、上野修先生にこの点を質問したことがあるのだが、上野先生はきっぱりと「ライプニッツがスピノザ主義であることはありえない」とおっしゃっていた。

もしスピノザ主義者であるならば、ライプニッツは『モナドロジー』を書かなかったとも思うので、確かにその通りだなと思う。『エチカ』におけるスピノザ哲学と、『モナドロジー』におけるライプニッツ哲学の根幹に関わる差異は明白なのだから。

スピノザの神は、この世界を「調整」しない。「調和」させない。ライプニッツに限らず、当時のヨーロッパにおいて、このこと自体がありえない考え方であった。スピノザの<無神論>は、人間が考えるものではないとさえ捉えられていた。

それでもライプニッツは、スピノザが「どこか真理を言い当てている」という印象は持っていたようだ。おそらくだが、科学的知識も有していたライプニッツもまた、スピノザの神(=自然)の方が正しいのではないかという思いをどこかで抱いていたに違いない。しかし、それは今の人類にとっては、深淵を覗き込むようなものであった。この神(=人格神)無き思想がもし人間社会に流布したら、とんでもないことになると恐れたのだ。

そこでライプニッツは、そんな無慈悲で、堕落的な世界が訪れる前に、何としてでもスピノザの神(=自然)を封印してしまおうと考えていたのではないか。それで、「人類」を代表して、「神(=自然)」を代表するスピノザとの闘いに挑もうと決意し、なにがなんでもスピノザと対話し、考えを改めさせたかったのである。

この邂逅といくつかの対話ののち、ライプニッツは勝手に勝利宣言し、『モナドロジー』を書くことで「予定調和の神」、「超越としての神」を、改めて蘇らせることになる。

以後、西洋の知の変遷、哲学の変遷は「超越」の思想こそが優位性を持ち、「内在」の思想であるスピノザの思想はしばし封印されることになる。スピノザの思想に再び脚光が当たるのは、ドイツ観念論が出てくる背景となった「スピノザルネサンス」においてである。

スピノザの思想は、ヤコービゲーテらによって再発見されることになり、ここから、カントも含めドイツ思想界を巻き込んでの「汎神論論争(スピノザ論争)」が始まるのである。このあたりの背景は、『スピノザの学説に関する書簡・2018年知泉書館』が詳しい。

私はよくこんな例えをするのだが、スピノザ思想とは、漫画『ドラゴンボール』の「ピッコロ大魔王」ではないか、と思うことがある。
ピッコロはその力を恐れられ、ずっと炊飯ジャーに封印されてしまう。しかしその封印が解かれると、大魔王としても君臨するし、死してもなおまた蘇る(マジュニア)。

当時のヨーロッパにおいてスピノザ思想は、封印されるべき「魔王的存在」であった。封印が解かれては蘇るのだが、やはり抑圧され、またジャーに閉じ込められる。しかし、長い時を経て、スピノザの「神(=自然)」は、ようやく万人にも広く受け入れられるようになる。

ところで、ピッコロ大魔王とは、神様が分身した実体でもあった。


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