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問題は学歴じゃなくてビジョンじゃないの?

「日本はいつまで学歴社会なのか」

この問いは何度も繰り返されてきた。だが本当に問うべきなのは、そこなのだろうか。

学歴が重視されること自体が問題なのではない。

なぜ学歴に頼らざるを得ない採用が続いているのか

そこにこそ、本質的な問題がある。


学歴が「物差し」になる理由

学歴は、便利な指標だ。

・数値化されている
・比較しやすい
・説明責任を回避できる

だが、学歴が物差しとして使われるのは、それが優れているからではない。

他に測る基準が存在しないからだ。

多くの日本企業では、採用時点でこう言われる。

「入社後に決める」
「総合的に活躍してもらう」
「配属は会社が考える」

つまり、

何をやらせるのか決まっていない状態で人を採る

この時点で、専門性もスキルも評価できない。
結果として、学歴という“外形的で無難な指標”に依存することになる。

本質的な問題は「総合職」という発想

学歴問題の核心は、実は「総合職」にある。

総合職とは、

・職務を定義しない
・専門性を問わない
・配置転換を前提とする

という、日本独自の雇用思想だ。

この仕組みは、高度成長期には合理的だった。

だが現在では、次の問題を生んでいる。

・経営が「何をやる会社か」を語らなくて済む
・人事が「何ができる人か」を定義しなくて済む
・採用判断が曖昧でも責任を問われない

その結果として、学歴が採用の入口に居座り続けている

「海外は学歴を見ない」という幻想

よくある反論がある。

「海外では学歴を見ない」
「日本だけが遅れている」

これは事実ではない。

たとえば、アマゾンが導入した履歴書AI判定システムは、過去データを学習した結果、特定大学・特定経歴を強く評価し、差別的だとして問題になった。

これは何を意味するか。

海外でも学歴は、普通に就職の入口として機能している

違いがあるとすれば、ここだ。

・海外:職務が明確 → 学歴は入口の一要素
・日本:職務が不明確 → 学歴が主たる判断基準

学歴を「見るか・見ないか」ではない。

学歴にどれだけ依存しているかが問題なのだ。

本当に問うべきは、経営のビジョン

総合商社、総合メーカー、総合〇〇。

これらに共通するのは、「何をやる会社なのか」が極めて曖昧だという点だ。

事業は多角化し、スローガンは抽象化し、経営ビジョンは誰にでも当てはまる言葉になる。

この状態で人を採ると、必然的にこうなる。

・専門性では測れない
・成果も事前に定義できない
・だから無難な人を選ぶ

無難な人とは、説明しやすい人=学歴が高い人だ。

学歴が問題なのではない。
経営が「何をやるのか」を決めていないことが問題なのだ。

学歴批判は、責任転嫁になりがちだ

学歴社会を批判するのは簡単だ。

だがそれだけでは、何も変わらない。

本来問われるべきなのは、

・どんな価値を生みたいのか
・そのためにどんな人材が必要なのか
・その人材をどう評価するのか

これを語らない限り、学歴は何度でも「物差し」として復活する。

結論

問題は、学歴ではない。
問題は、ビジョンだ

経営が「何をやる会社か」を語らず、人事が「何ができる人か」を定義しない限り、学歴は最も楽で、最も無責任な判断基準として残り続ける。

学歴を捨てる前に、まず捨てるべきは、空っぽの経営ビジョンなのではないだろうか。

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大橋淳史 いつもより,少しだけ科学について考えて『白衣=科学』のステレオタイプを変えましょう。科学はあなたの身近にありますよ。 本サイトは,愛媛大学教育学部理科教育専攻の大橋淳史が運営者として,科学教育などについての話題を提供します。博士(理学)/准教授/科学教育