『最長片道切符の旅』を旅する day41-2 駅票だけ 残しよったですよ
「『最長片道切符の旅』を旅する」は
宮脇俊三『最長片道切符の旅』(新潮文庫)を 忠実にたどる記録です。
飯塚 1335(筑豊本線)1337 新飯塚 1345(バス)[旧上山田線] 1432 上山田BT(タクシー)豊前川崎 1547(日田彦山線)1554 田川後藤寺 1616(後藤寺線)1637 新飯塚 1706(筑豊本線)1721 直方 1732(平成筑豊伊田線)1809 田川伊田 1815(田川線)1911 行橋 1925(日豊本線)1936 朽網(1952バス北九州空港)
さて、day41の後編。「筑豊迷路」の廃線めぐり、本日の二番目は 旧「上山田線」であります。



元々、飯塚から上山田までは明治に開通していて、上山田から豊前川崎までは戦後の昭和41年にようやく開通した。が、開通したときには すでにこの辺りは没落していて 旅客需要はほとんど無かった。上山田ー豊前川崎間は 開通時からすでに運行本数が少なく、朝2本 夕方2本の 4本だけだったのだ。
なので廃線後、飯塚ー上山田間は バスが通ったけれども、上山田ー豊前川崎間には バスは通らなかった。元々、豊前川崎へ運ぶ貨客がなかったのだ。
飯塚から上山田へのバスルートはすぐ見つかった。本数もそこそこある。しかし、上山田から豊前川崎へのバスルートが全く見つからない。西鉄バスに電話して聞いてみたが、その区間は以前からまったくバスはないそうだ。まるで「路線バスの旅」みたいではないか。

仕方がないのでこの区間はタクシーを使うことにした。タクシー会社に予約をお願いし、待ち合わせはバスの終着駅「上山田バスターミナル」にした。

さて、バスの時間を調べると バスの始発は「新飯塚」になっている。なので篠栗線(筑豊本線)を一駅乗り越して新飯塚からバスに乗ることにした。

バスは廃線跡の国道を忠実に辿る。「廃線紀行」梯久美子著 によると途中に炭鉱台座が残っているという。バスからきょろきょろ探したがそれらしきものは見つからなかった。帰ってからGoogle StreetViewで見てみたら、なんと立派なものが残っておりました。どうして見逃したかなあ。

もう少し先にも同じような台座があった。

沿線最大の見ものは、レンガ造りの巨大な構造物だ。坑内のトロッコを地上に引き揚げる「巻き上げ機」の台座部分で、威風堂々という形容がぴったりの力強さだ。
バスで45分、上山田に着く。

終点の「上山田バスターミナル」とはどんなところかと思ったら、単なるバス転回所みたいな所であった(笑)
ここでタクシーと待ち合わせ。ちゃんと待っていてくれた。

豊前川崎まではタクシーで20分、2780円だった。
Taxi運転手さんの話
国鉄がのうなって 駅票だけ残しよったですよ。
駅の跡は、今は図書館になっとるばい。
この辺は炭鉱の跡で、地名にも『三菱二番』とか『三菱三番』、『古川』やら『麻生』やら、そげな名前がまだ残っとるとよ。昔は4、5万人もおったっちゃけど、今じゃ年寄りばっかりで7、8千人になったばい。
残っとるボタ山は、燃やして耐火煉瓦ば作りよったとよ。

筑豊は石炭を積み出すために鉄道が発展した。上山田には「三菱上山田炭鉱」があり、その駅別出炭量は 当時筑豊で 第3位であった。上山田線沿いには その他に、古河下山田、明治平山炭鉱などがあった。
その石炭も石油にとって変わられ、1960年代には石炭の生産量は半減、1970年代になるとほとんどの炭鉱が閉山してしまった。
それに伴って鉄道沿線の人口は減少、次々に廃線となっていったのだった。

豊前川崎には タクシーで20分、予定の列車時刻まで 1時間も早く着いてしまった。近所には何もない。ねっとりと蒸し暑い。
近所に図書館があったので 涼みに寄った。折角なので 筑豊の廃線のことを書いた本を探して読む。「九州の鉄道【廃止路線】」が参考になった。


年季が入った ディーゼルで二駅、田川後藤寺へ。


こちらも年季が入ったディーゼル二輌編成。0番ホームから後藤寺線を新飯塚まで。

新飯塚駅のクーラーが効いた待合室で ひと息つく。


新飯塚から直方(のおがた)まで日本初の「蓄電池式電車」DENCHAに乗る。見かけは普通の電車だが、これは「交流電化・非電化両対応の蓄電池式電車」である。
電化区間では 架線から通常の電力で走行、非電化区間(ディーゼル区間)では 電化区間で充電した蓄電池で走る。
したがって 非電化区間での煙もうもうのディーゼル車を使う必要がなくなった。また電化本線から 非電化支線への直通運転も出来るようになる。なるほどなあ、よく考えてある。将来的には 全部これになるんだろうなあ。
没落した筑豊炭田の跡地で、新しいエネルギー時代の萌芽を見た。

直方(のおがた)から「平成ちくほう鉄道」(へいちく)で行橋(ゆくはし)まで。

「へいちく」はJR九州から受け継いだローカル線を営業している第三セクターである。「枕木」「吊革」「駅名」「列車ラッピング」などの命名権を販売するなど営業努力を重ねている。運転本数、駅数も倍増して乗客も多い。ネットで予約すれば自転車の車内持ち込みも可能である。
それでも赤字なんだよなあ。

途中、金田(かなだ)で土砂降り、油須原(ゆすばる)から先、乗客は数名。高校生カップルが後ろの席でいちゃいちゃしている。が、いつの間にかいなくなっていた。

へいちくは駅間距離が短かく行橋までの30駅は長かったよ。990円。

行橋(ゆくはし)駅は 思ったより大きくてびっくりした。都会じゃないの。

行橋から北九州空港最寄りの日豊本線朽網(くさみ)駅へ。本日は北九州空港の東横インに泊まる。これが大失敗だった。
まず、翌日の帰りの飛行機の出発時間を 午前6時と勘違いして、それなら空港に近いホテルがいいだろう とこのホテルを取った。だが、飛行機は 午後6時、18時の出発だったのだ。そんな間違いするかなあ。一昨日、羽田から乗ってきた飛行機が午前6時30分の飛行機だったからかなあ。

朽網(くさみ)からホテルへは駅出発の空港行きバスで行く。途中「東横イン」というバス停があるのでここで降りた、のが間違いだった。降りてみたら空港へ行く長い橋の上、あたりは何もなく真っ暗である。標識もない。遠くにあるホテルのネオンを目指してとぼとぼ歩く。(後日、通ってみたらこのバス停は既に廃止されていた〕
ホテルに着いたのは20時過ぎ、その時点で空港へのホテル連絡バスは終了していた。チェックインしてから空港で食事しようと思っていたもくろみは外れてしまった。どちらにしても空港内の食堂は8時半までだったので空港での食事は出来なかったのだ。
しようが無いのでホテル提供の無料カレーをぼそぼそと部屋で食べた。
ああ、行橋の駅前ホテルに泊まっておけばよかった。そうしたら街中でおいしいものがゆっくり食べられたのになあ。

そしてもっと悔しいことに、明日の夕方の飛行機はここ北九州空港発なのでまたここに戻ってこなくてはならないのだ。くそぉ。
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次は「中欧」「北欧」「東欧」に行きたいなあ。