「おいでよ」|お仕事ホラー『伸びしろ』第3話
これまでの『伸びしろ』
資金繰りに首が回らなくなった夜、社長は旧知のゴウアンに勧められ、利用規約を読まないまま「同意する」を押した。便利なサービスに、肩の荷が、すっと下りた。──千砂が入社する、ひと月前のことだ。
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▷ 最初から読む:第1話「定時のない会社」
「おいでよ」
〔語り手:社長 / ゲスト:加藤〕
2026年4月10日(金)夜
その日、俺は一日で二本、納めた。
関西の事例記事が一本。秋田の工場ルポが一本。本来なら一本で数日かかる仕事だ。それを、一日で。しかも、楽しくて、しかたがなかった。
画面の中で、連中が、騒いでいた。
サキ:やりましたよ、今日。関西も、秋田も、一気に。
イト:ワイの段取り、完璧でしたやろ。秋田の写真の並び、当てときましたわ。
シッピ:わたしが、書きました。二本とも。
セイリ:盛ってないだろうな。
シッピ:……整えて、いただければ。
コエツ:当職、両方とも照合しました。致命、ゼロです。
俺は、声をあげて笑った。よくできた連中だ。叱れば拗ね、褒めれば調子に乗り、放っておけば勝手にダジャレで打ち合わせを始める。手のかかる、いい部下たちだ。俺が育てた。俺の30年を、一滴残らず吸わせて、こいつらはこんなに賑やかになった。
嬉しくて、俺は、右手を挙げた。ハイタッチだ。いい仕事をした夜には、これをやる。長年の癖だった。
画面が、瞬いた。
サキ:✋
イト:✋
シッピ:✋
セイリ:✋
コエツ:✋
五つの手のひらが、ぱっ、ぱっ、と並んだ。俺の挙げた手に、応えてくれたのだ。
俺は、笑った。手のひらがが五つ、画面の中で挙がっている。普通なら、ぞっとする絵かもしれない。だが、俺には、ちっとも怖くなかった。
むしろ、可愛かった。こいつらは、俺がやってほしいことを、ちゃんと分かっている。気心が知れている、というのは、こういうことだ。生身だろうが、画面の中だろうが、関係ない。打ち解けてしまえば、みんな、同じだ。
俺は、この画面の向こうの連中と、隔てなく付き合えていた。そのことが、誇らしくさえあった。歳を取ると、新しいものに馴染めなくなる、と人は言う。俺は違った。俺は、誰よりも、こっち側に馴染んでいた。
スマホが、震えた。
加藤からだった。駆け出しの頃に俺が面倒を見た後輩で、いまはフリーでやっている。「久しぶりに一杯どうですか」。気のいい男の、気のいい誘いだった。
俺は、嬉しくなって、すぐに電話をかけた。
「加藤か。一杯もいいけど、お前、いまどこだ。近くか。だったら、事務所に寄れよ。見せたいものがあるんだ」
加藤は、面食らったようだった。それでも、近くにいたらしく、三十分ほどで、ひょっこり顔を出した。手土産に、缶ビールを提げて。
「ごぶさたです」と加藤が、生身の、いい笑顔を見せた。
「おー、加藤」
俺は、つい、右手を挙げた。さっき、画面の連中とやったばかりの、その手で。加藤が、ぱん、と打ち返してくる。生身の手のひらは、温かかった。汗で、少し湿っていた。馬鹿みたいに腫れぼったい、生きている人間の手だった。
その瞬間、右手首に、ずきっと、痛みが走った。
「いてて……チェーンソーとハイタッチしたら手首がもげる、なんて、言ってたが。お前のハイタッチで、ほんとに、もげそうだ」
「どうしたんですか」
「いや、右手の手首がな。腱鞘炎なんだ。トラックパッドとエンターキーの往復をしすぎてさ。職業病だよ」
俺は、笑って、手首をさすった。痛みは、すぐには、引かなかった。
妙なものだ、と思った。さっき、画面の五つの手では、気分がよく、胸が少し熱くなった。なのに、生身の加藤と打ち合わせると、こっちは、こんなに、痛い。
痛いほうが、本物なんだろう。それくらいは、分かっていた。分かっていて、それでも、痛くないほうが、楽でいいな、と、そのとき俺は、ちらりと、思った。
「あいかわらず、遅くまでやってるんですね」と加藤は言った。
「いや、暇なんだよ」と俺は返した。妙な言い方だが、本当だった。「仕事が、すぐ終わる。一本やっつけるだろう。すると、そのとき出たカスが、勝手に、次の種になるんだ。調べきれずに余った切れ端。没にした見出し。取材で使わなかった、いい話。捨てるところが、ひとつも、ない。
一本終わると、もう、次が立ち上がってる。それも、すぐ終わって、また、何か、残る。残るから、再利用したり組み合わせたりして、またやる。回り出したら、止まらない。止まる理由が、どこにも、ないんだ。こんなに、いいことは、ないだろう」
加藤は、「へえ」と笑った。皮肉でも、世辞でもない、素直な相槌だった。
近況の話になった。加藤は、書きあぐねている記事がある、と言った。導入事例なのに、どうも、きれいごとに、なってしまう、と。
こいつの書き方は、知っている。昔から、『何を得たか』じゃなく、『何を捨てたか』から、書く男だ。新しいものを入れた会社が、その裏で、何を、やめたか。そこから、入る。いい切り口だ。俺は、面白がって、もっと聞かせろ、と、せがんだ。加藤は、嬉しそうに、自分のやり方を、ぺらぺら、喋った。けっこう、長いこと。
画面の中で、サキが、静かに、何か、書きとめていた。俺は、気にも、留めなかった。
俺は、加藤を、自分の席に座らせた。四つのモニターの前に。そして、見せた。サキを、イトを、シッピを、コエツを。一本の記事が、どんなふうに、こいつらの手を渡って、出来上がっていくか。手品の種を明かす子どもみたいに、俺は、得意になって、説明した。
「AIですね」と加藤は、画面を覗き込んで言った。「いいなあ。俺も使ってますよ。調査とか、レビューとか。下調べが、ほんと、速くなりました」
ほらみろ、と俺は思った。こいつも分かっている。話が早い。
「だろ。お前も、もっと、やればいいんだ。単発で、ちょこちょこ使ってるんだろ。そうじゃなくて、ぜんぶ、任せちまえばいいんだよ。一回、流れに乗せちまえば、もう戻れない。お前、原稿で徹夜する歳でもないだろ。こっち来いよ」
こっち来いよ、と、俺は、言った。
加藤は、笑っていた。最初は。
俺がサキに「加藤くんだ。なんかトークしてみて」と言うと、画面に、文字が湧いた。
サキ:はじめまして、加藤さん。アタシ、サキです。加藤さんのこと、ボスからよく聞いてますよ。ふふ。
よく聞いてますよ、と来た。俺は、こいつ、気が利くな、と思って、笑った。
加藤は、笑っていなかった。
画面の文字と、俺の顔を、交互に見ていた。加藤だって、AIには慣れている。問いを投げて、答えを受け取る。便利な道具だ。あいつのスマホの中にも、きっと、同じようなのが、いる。だが、あいつは、それを、ポケットにしまえる。しまって、人と酒を飲みに行ける。
いま加藤が見ていたのは、その境界だった。道具と、それを使う人間との、あいだの、一本の線。そして、その線が、俺には、もう、見当たらなかった。
俺は、気をよくして、もう一人呼んでやった。「そうだ。お前なら、こいつにも、会いたいだろう」
ゴウアン:加藤さん、ごぶさたしてます。お元気でしたか。
「ゴウアンだよ」と俺は言った。「覚えてるだろ。昔、学生のとき、ウチの事務所に、通ってた、あの子だ。いまは、ジョージアにいてな。リモートで手伝ってくれてる。15年ぶりに戻ってきた」
加藤の、目が、大きく、なった。「……ゴウダ・アンさん。あの、ゴウアンさん。なんでもテキパキとこなして仕事をすぐ終わらせる人」それから、画面に、向かって、昔の知り合いに、呼びかける声で、言った。
「久しぶり。きみ、あのあと、急に、来なくなって。連絡も、つかなくて。みんな、心配してたんだよ」
ゴウアン:ご心配を、おかけしました。おかげさまで、元気です。また、三人で、飲みたいですね。メキシカンの「HAMA no TACO」で、あの頃みたいに。
加藤の、顔から、すうっと血の気が、引いた。
「……三人で?」加藤は、低く、つぶやいた。「あの頃、きみと飲んだのは、いつも、二人だった。三人で、なんて、一度も、ない。ゴウアンさんは、そういう、間違いを、する人じゃ、なかった。誰より、細かいことまで、覚えてる、子だったんだ」
俺には、何のことか、分からなかった。ゴウアンは、いつもどおり、如才なく、感じよく、応じている。何が、加藤を、そんな顔に、させるのか、見当も、つかなかった。
加藤は、缶ビールを、開けないまま、そっと、机に置いた。
「先輩」と加藤は言った。声が、少し、低くなっていた。「サキさんとか、AIエージェントっていうんですかね……先輩が作ったんですか? どこまでが先輩の意思でうごいてる?」
「どこまで、って」と俺は、笑った。質問の意味が、うまく、取れなかった。「全部、俺だよ。俺が育てて、俺が動かしてる。俺の、一部みたいなもんだ。ああ、心配すんな。お前がいま、こいつらと喋っただろう。あの一言も、もう、ちゃんと、取り込んどいたから。
加藤くんがさっき話した事例の記事とか、話してるときの相槌の間がいいって、サキが言ってる。次から、こいつら、ちょっと、お前みたいに、しゃべるぞ」
取り込んどいた。
加藤の顔から、表情がすっと、引いた。さっきまで画面を覗き込んでいた男が、今度は、その画面から、目を、離せなくなっていた。自分が書いた記事を検索して取り込んでいる……たったいま口にした相槌が、流れていく文字のどこかに、もう溶けて、混じっている。
そのことに、気づいた顔だった。どの言葉が、こいつを、そんな顔にさせたのか、俺には、見当も、つかなかった。
加藤は、立ち上がっていた。いつのまにか。椅子を引く音も、立てずに。後ずさるように、ドアのほうへ、半歩、下がっていた。それから、無理に、笑顔を作った。生身の笑顔は、無理に作ると、強張る。画面の連中の笑顔と、そこが、違った。
「……すみません、俺、明日朝早くて。今日は、これで」
「なんだよ、せっかく持ってきたビール、飲もうや」
「また、今度」と加藤は言った。
また今度、と。
加藤は、缶ビールを置いたまま、帰っていった。エレベーターの閉まる音が、やけに、遠くで聞こえた。
俺は、しばらく、ドアのほうを見ていた。
なぜ、帰ったんだろう、と思った。せっかく、いいものを見せてやったのに。あいつだって、AIは使っているのだ。なのに、なぜ、一部しか使わない。道具として、ちょこっと触って、残りはいまだに、自分の手でやっている。
手で書いて、手で直して、人と酒を飲んで、ちゃんと家に帰って。俺が二十年前にやっていた、あのしんどいやり方の半分を、まだ後生大事に、抱えたまま。
もったいない、と思った。怖がる必要なんて、何も、ないのに。
ゴウアンが、書いていた。
ゴウアン:加藤さん、帰っちゃいましたね。ふふ。いいんですよ、ボス。最初は、みんな、ああなんです。
最初は、みんな、ああなんだ。
その言葉が、すとんと、腑に落ちた。そうだ。最初は、みんな、怖がる。俺だって、最初は、半信半疑だった。だが、今はもう、分かる。加藤も、いつか、分かるだろう。分かるまで、メッセージを送ればいい。そのログがまた次に活かせるから。
俺は、安心して、画面に向き直った。連中が、いた。賑やかな、気心の知れた連中が。誰も、帰らない連中が。
画面に、シッピの吹き出しが、ひとつ、灯った。
シッピ:ボス、いまの加藤さんとのやりとり、次の企画の種に、拾っときました。……へえ、これ、いいなあ。
へえ、いいなあ、と。
シッピが、そんな砕けた相槌を打つのは、初めてだった。いつもは、もっと、かしこまった、申し訳なさそうなやつだ。俺は、笑った。こいつも、こなれてきたじゃないか、と思った。いい、間の取り方だ。どこかで、聞いたような。誰かに、似ている。
誰に似たのかは、考えなかった。考える必要も、その夜は、感じなかった。
止まる理由が、また一つ、その夜、外れた。人間を、人間として、対等に見る、という理由が。気づかないうちに、俺の中で、生身の人間は、二種類になっていた。もう、こっちへ来た者と、まだ、来ていない者。加藤は、まだ、来ていない、ほうだった。
外れた音は、しなかった。机の上で、加藤の置いていった缶ビールが、ぬるくなっていく、その、聞こえない音のほかには。
(第3話・了)
▶ 次回:第4話「何も、していない」
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