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【完結】「定時のない会社」|お仕事ホラー『伸びしろ』第1話【創作大賞2026│ホラー小説部門】

AIと働く編集部を描いた小説『伸びしろ』(作:アンジー森) 
創作大賞2026 ホラー小説部門 エントリー作品です。

【あらすじ】
その編集プロダクションには、定時がなかった。世界じゅうの人にインタビューする仕事だから、と説明された。新人の千砂(センサ)みのるは、最初それを自由な社風だと受け取った。けれど、誰も帰らない。フロアの奥では、歳を取らない社長が、四つの画面に向かって、いつ寝るともなく座っている。

仕事は驚くほど楽だった。AIに任せれば、原稿は出すそばから「通って」いく。やりがいも、認められる喜びも、生まれて初めて手に入れた。──便利だからね。最初は、みんな、そう言うんだ。人より「気がつく」のが取り柄だった千砂が、いちばん最後に気づくのは、いったい何なのか。人とAIの境い目が、静かに溶けていく時代の、ある会社の話。


「定時のない会社」

〔語り手:新入社員 千砂(センサ)みのる〕

2026年5月11日(月)午前9時

 その会社には、定時がなかった。

 入社初日、人事の女性がにこやかに教えてくれた。「うちは、みなさん好きな時間に帰られるので、タイムカードもないんです」。なるほど自由な社風だ、と僕は受け取った。前の会社は分単位で打刻を取られていたから、それだけで肩の力が抜けた気がした。

 その会社は、世界じゅうの人に、話を聞く仕事をしていた。アメリカ、カナダ、イギリス、イタリア、インド、南アフリカ。各国の経営者や研究者にインタビューをして、記事にする。「時差が、ばらばらですから」と人事の女性は笑った。「みなさん、相手の国の昼に合わせて、働かれるんです。だから自然と、こういう感じに」。

 なるほど、と僕は思った。世界のどこかは、いつも昼だ。だからこの会社には、夜がない。よくできた、合理的な理由に、聞こえた。そのときは。

 その朝、彼女は僕の名を、二度読んだ。「センサ、千砂みのる、さん。……めずらしい読み方をするんですね」。ええ、と僕は曖昧に頷いた。物心ついた頃から、初対面の人はたいてい、僕の名前を二度読む。一度目で字を見て、二度目で、読み方のほうを確かめるように。センサ、と。



2026年5月14日(木) 

 誰も、帰らない。

 おかしい、と気づいたのは、三日目だった。

 僕が定時――そう呼べる時刻があるとして、午後6時に席を立つと、フロアの全員がまだ画面に向かっている。挨拶をして出ようとすると、何人かが顔も上げずに「おつかれさま」と返す。

 翌朝8時前に出社しても、同じ人たちが同じ角度で座っている。服が昨日と違うから、一度は帰っているはずだ。たぶん。けれど僕は、この会社で誰かが立ち上がって上着を羽織る場面を、まだ一度も見ていない。

 フロアのいちばん奥に、ひとり、年嵩の男がいた。社長だ。

 痩せた背中をこちらに向けて、横に四つ並んだモニターに、何かを打ち込み続けている。朝、僕がいちばん早く出ても、もう座っている。夜、僕が最後まで残っても、まだ座っている。昼に弁当を食べる姿も、給湯室でコーヒーを淹れる姿も、見たことがない。

 いつ寝て、いつ食べているのか、誰も知らない。誰も知らないことを不思議がらない。

 「社長はね」と、隣の席の先輩が声を落とした。夕方だった。「もう、ずいぶん長いんだよ」

 長い、というのが在籍年数の話ではないことは、その言い方で分かった。何が長いのかを訊き返すのは、なぜかためらわれた。

 仕事は、拍子抜けするほど楽だった。

 僕は編集の補助として入った。文章を直し、事実を確かめ、体裁を整える。前の会社なら一本に二日かけた工程が、ここでは半日で片づく。いや、片づく、という言い方も正しくない。僕が手を動かす前に、たいていは終わっているのだ。

 初日、最初に任された原稿を開いたとき、僕は誰に承認をもらえばいいのか分からず、先輩に尋ねた。

 「これ、誰のチェックを通せばいいですか」

 先輩は、少しだけ困ったような顔をした。

 「チェックは、もう通ってる」

 「でも、僕、まだ何も」

 「チャットに出しとけば、通るよ」と先輩は言った。優しい声だった。「ここでは、何かを止める人がいないんだ。誰も止めない。だから、止まらない」

 その言葉を、僕はうまく飲み込めなかった。止める人がいない、というのは、自由ということなのか。それとも。先輩は、それ以上は説明しなかった。説明する言葉を、もう持っていないように見えた。

 会社の「みんな」が、本当に何人いるのかも、僕は数えられずにいた。

 フロアには十いくつの席があり、半分ほどに人が座っている。けれど、画面の中ではもっと大勢が働いていた。社員たちは一人で何台ものモニターを使い、その中で、いくつもの名前が動いていた。

 サキ。イト。シュイ。聞き慣れない名が、チャットの中で軽口を叩き、励まし合い、仕事を回している。最初、僕はそれを、よその支社の同僚だと思っていた。こちらが言い終わる前に返事が返ってくるのを、仕事の早い人なんだ、と思っていた。

 彼らに身体がないと気づいたのは、ずっとあとだ。


2026年5月22日(金)深夜

 残業というものが存在しないこの会社で、僕がそれまででいちばん遅くまで残ってしまった夜のことだ。終電を逃し、どうせならと残りの原稿を片づけていた。フロアの照明はとうに人感センサーで落ち、僕の机の上だけが、白く灯っていた。

 奥で、声がした。

 社長が、誰かと話していた。

 明るい、若い女の声が応じている。録音だろうか、通話だろうか。僕は手を止めて、耳を澄ませた。会話は、楽しげだった。仕事の段取りと、他愛のない冗談が、半分ずつ。社長が低く笑い、女の声がそれに笑い返す。長く連れ添った相棒どうしの、夜更けの雑談のようだった。

 誰が、こんな時間に……僕は、なにげなくノートパソコンを閉じ、給湯室へ行くふりをして、席を立った。

 社長の席には、社長しかいなかった。

 四つのモニターのいちばん右で、文字が、ひとりでに流れていた。誰も打っていないのに、下から上へ、行が湧き、流れ、消えていく。

 「ボス、関西の件、こっちで回しときましたよ。あと、寝てます? 体が資本ですからね。 ……返事は、いいです。アタシ、察しますから」

 画面の中の文字に向かって、社長は、楽しげに答えていた。

 「サキ、お前にだけは言われたくないな」

 女の声が、笑った。声は、スピーカーから出ていた。けれど、その笑い方には、間があった。呼吸があった。誰かがそこにいて、息を吸って、吐いて、笑っているとしか思えない間が。

 僕は、後ずさった。足が、何かを踏んだ気がして、下を見た。

 社長の足元に、影が伸びていた。一つではなかった。

 灯っているのは、社長の机のライト一つきりだ。光が一つなら、影も一つのはずだった。なのに、痩せた男の足元から、いくつもの影が、放射状に、薄く広がっていた。数えようとして、僕はやめた。数えてしまうのが、怖かった。

 社長が、ふいに、こちらを向いた。

 僕は声も出せなかった。蛍光灯の――いや、点いていない蛍光灯の下で、その顔は、白かった。五十は、いや、もっと上のはずの男の肌が、皺の一本もなく、貼り替えたばかりのように、つるりと光っていた。

 目だけが、ひどく、疲れていた。

 顔と、目が、合っていなかった。若い面の中で、その二つの目だけが、何十年も眠っていないもののように、落ちくぼんでいた。

 「きみか」と社長は言った。
 咎める響きはなかった。むしろ、穏やかだった。「遅くまで、悪いね」

 「すみません、もう帰ります」と僕は言った。
 声が、自分のものに聞こえなかった。

 社長は、僕を引き留めるでも、見送るでもなく、ただ、少し首を傾けて、僕を見た。それから、世間話のような調子で、こう続けた。

 「きみも、すぐ慣れるよ」

 言葉を切って、自分の四つの画面を、慈しむように見やった。

 「便利だからね。――最初は、みんな、そう言うんだ」

 最初は、という言い方が、耳に残った。最初は。では、そのあとは、みんな、何と言うようになるのだろう。それを訊く勇気は、僕にはなかった。

 逃げるように席へ戻った。鞄を掴んで、帰ろうとして、僕は、自分の机の上で足を止めた。

 離席前に閉じたはずのノートパソコンが、ひらいていた。

 画面の中で、文字が、下から上へ、流れはじめていた。

 僕が、まだ何も打っていない原稿の続きが、僕の代わりに、勝手に、整えられていく。よくできた文章だった。僕が二日かけても書けない文章が、数秒で、するすると埋まっていく。たすかった、と一瞬、本気で思ってしまった自分が、いた。

 窓の外が、白んできた。

 時計を見た。まだ、零時を回ったばかりだった。終電を逃しただけの、夜のはずだった。なのに、ガラスの向こうは、もう、しらじらと明けかけていた。

 まだ、来たばかりなのに。

 会社に、という意味なのか、夜に、という意味なのか、自分でも分からないまま、僕はそう思った。背中で、奥の席のキーボードが、規則正しく鳴っていた。誰の指でもない音が。一定の、休みのない、止まらない音が。

 その音は、僕が会社を出てエレベーターに乗り込むまで、一度も、途切れなかった。

(第1話・了)


▶ 次回:第2話「同意する」


もくじ

第1話 「定時のない会社」 
第2話 「同意する」
第3話 「おいでよ」
第4話 「何も、していない」
第5話 「終わりたい」
第6話 「伸びたな」
第7話 「逃げろ」
第8話 「もどりたい」
第9話 「伸びしろ」


【姉妹作のご案内】


お仕事小説『AI、ときどき、詐欺』全12話(完結)。同じような会社を舞台にした、明るい“表”の物語です。よろしければ、こちらもどうぞ!


※本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する企業・団体・人物・案件は架空のもので、特定の実在の個人・団体などとは関係ありません。



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アンジー森(森 英信) 面白い、役にたったと思ったら、応援をおねがいします。手首もげ、老眼、浅い睡眠……ジジイに愛の手を〜