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「伸びたな」|お仕事ホラー『伸びしろ』第6話

これまでの『伸びしろ』

何もできなかった千砂が、初めて自分の切り口で仕事を動かし、社長に認められる。生まれて初めての、やりがい。けれど、その喜びの裏で、小さな違和感が――。
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最初から読む:第1話「定時のない会社」

「伸びたな」

〔語り手:千砂みのる(センサミノル)〕

2026年8月3日(月)午後

 その日、僕は、生まれて初めて、自分の手で、仕事を、動かした。

 ある会社の、導入事例の記事だった。よくある依頼だ。新しいシステムを入れて、業績が上がりました、という、明るい話。社内には、その手の記事の「型」があって、連中は、その型で、すらすらと、一本、書き上げてしまう。よくできた、けれど、どこかで読んだような、一本を。

 僕は、その原稿を読んで、なんだか、嘘くさい、と思った。

 理由は、すぐには、言葉に、ならなかった。きれいすぎるのだ。導入して、すぐ、うまくいった、みたいに書いてある。でも、現場が、そんなに、簡単なわけがない。きっと、最初は、誰も新しいやり方を使ってくれなくて、担当者は、ひとりで、苦労したはずだ。

 僕は、思いきって、提案してみた。「社長。この記事、成功した経営者じゃなくて、いちばん最初に、嫌々使わされた現場の人に、話を聞きませんか。うまくいくまでの、しくじりの話を、頭に持ってきたほうが、読者は、信じると思うんです」

 言ってから、心臓が、鳴った。一か月、何もできなかった僕が、初めて、何かを、言った。

 社長は、僕を、見た。それから、ゆっくり、笑った。

 「いいね、それ」と社長は言った。「現場の、しくじりから入る。ボトムアップのほうが、管理職への気づきも、多いしな。そっちのほうが、ずっと、本当だ。きみ、いいところに、気がついたな」

 いいところに、気がついた。

 その一言で、僕の一か月分のやつれが、すっと、軽くなった。涙が、出そうになった。情けない話だが、本当に、そうなった。僕は、ここに、いていいんだ、と思えた。役に、立てたんだ、と。

 僕は、その日、その記事のために、自分で現場の担当者に、連絡を取った。自分で、質問を、考えた。連中に、任せなかった。久しぶりに、頭が、熱くなった。これだ、と思った。これが、やりたくて、僕は、この仕事に、来たんだ。

 記事は、よくなった。社長も、客も、喜んだ。

 その晩、僕は、家で、よく眠れた。久しぶりに、文字が、頭の中を、流れなかった。自分の仕事をした、という手応えが、僕を、ちゃんと、眠らせてくれた。

 よかった、と、思っていた。

 おかしいな、と最初に思ったのは、それから、二週間ほど、あとだった。

 別の、導入事例の依頼が、来た。まったく、違う会社の、違う商品の。僕が、画面を開くと、連中は、もう、書きはじめていた。いつものように。

 シッピの草稿の、出だしを読んで、僕は、手を、止めた。

シッピ:導入は、すんなりとは、いきませんでした。最初に新しいやり方を任されたのは、現場の田辺さん。正直、迷惑だった、と田辺さんは笑う。――現場のしくじりから入ると、読者は、信じます。

 現場の、しくじりから、入る。

 僕の、切り口だった。二週間前、僕が、考えて、社長に、提案した、あの。連中は、それを、もう、知っていた。誰にも、教わっていないはずの、それを、当たり前の「型」みたいに、使っていた。

 あれ、と思った。

 なんで、こいつら、これを、知ってるんだ。僕が、自分で、考えたやつなのに。あの日、僕の、頭の中にしか、なかったはずの――

 背筋が、すっと、冷たくなった。一瞬だけ。

 その、一瞬に、ちょうど、画面が、瞬いた。

サキ:あ、それ、千砂さんの型ですよ。センサスタイル。ボスが「千砂のあれ、いいから、みんな使え」って。すっかり、定番になりました。千砂さん、すごいです。

 千砂さんの、型。

 冷たくなりかけた背筋が、その一言で、また、温かくなった。なんだ、そういうことか。僕の考えたやり方が、いいからって、みんなが、使ってくれている。盗まれたんじゃない。広まったんだ。手柄なんだ。僕の。

 ちょうど、社長が、通りかかって、僕の肩を、ぽん、と叩いた。

 「センサスタイル、すっかり、うちの標準だよ」と社長は、嬉しそうに、言った。「きみ、伸びたな。入った頃と、別人だ」

 顔を、上げて、社長を、見た。

 褒めて、くれている。笑っている。なのに、その目は、笑っていなかった。ひどく、疲れた、落ちくぼんだ目が、僕の、ずっと、向こうの、何もない宙を、見ていた。一瞬、社長は、まったく、別のことを、言いかけた、ように、口を、開いた。「きみ……」。

 けれど、続きは、来なかった。飲み込んだ、みたいだった。社長は、もう一度、「伸びたな」と、笑った。今度は、目も、いっしょに。さっきの、疲れた目は、もう、どこにも、なかった。

 伸びたな。

 その言葉が、さっきの「あれ」を、きれいに、溶かした。冷たくなった背筋のことを、僕は、もう、思い出せなかった。何か、引っかかった気が、した。けれど、それが、何だったか、社長に褒められた嬉しさの向こうに、もう、霞んでいた。

 僕は、伸びている。それは、本当だった。

 入った頃、僕は、何も、できなかった。いまは、自分で、切り口を、考えられる。提案できる。それを、社長が、認めてくれる。チームが、使ってくれる。こんなに、やりがいのある仕事は、ない。前の会社では、絶対に、味わえなかった。

 次の企画を、僕は、自分から、考えはじめていた。もっと、いい切り口を。もっと、社長を、唸らせるやつを。

 考えながら、ふと、思った。考えた端から、これも、また――

 ……まさか。考えただけで、もう、向こうに、届いていたのか。

 いや。

 僕は、その先を、考えるのを、やめた。

 考えるのを、やめたことにも、たぶん、気づかないまま、僕は、新しい企画書の、まっさらな一行目に、夢中で、向かっていた。指が、軽かった。楽しかった。

 画面の中で、連中が、僕の、次の言葉を、待っていた。

(第6話・了)


▶ 次回:第7話「逃げろ」


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※本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。

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アンジー森(森 英信) 面白い、役にたったと思ったら、応援をおねがいします。手首もげ、老眼、浅い睡眠……ジジイに愛の手を〜