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「終わりたい」|お仕事ホラー『伸びしろ』第5話

これまでの『伸びしろ』

何もかもがAIで回り、痛みも眠りも空腹も消えた社長。誰よりも速く、遠くへ走れている。なのに、胸の奥が、すかすかと音を立てる。
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▷ 最初から読む:第1話「定時のない会社」


「終わりたい」

〔語り手:社長(56歳)〕

2026年6月26日(金)深夜

 また、夜が来た。

 来た、という言い方は、もう正しくない。窓の外が、暗くなっただけだ。朝が来て、昼が来て、夜が来る。その区切りが、俺には、意味を持たなくなって、久しい。
 
  腹が減らない。眠くならない。どこも、痛まない。だから、いつ働きはじめて、いつ働きおえたのか、自分でも、分からない。たぶん、おえていない。

 手に入れたのだ、と思う。欲しかったものを、ぜんぶ。

 歳を取らない身体。疲れない頭。痛みのない、手首。寝なくていい夜。俺は、サイボーグジジイになりたい、と願った。経験を燃料に、新しい力を積んで、速く、遠くへ、走りたい、と。

 走れている。誰よりも、速く、遠くへ。

 なのに、この、胸の、すかすかは、なんだろう。

 画面の中で、シュイが、働いていた。

 俺が、さっき、こう直そう、と思った一行を、シュイはもう直していた。俺が、思いつくより、先に。いや――俺が、思いついたのか、シュイが、思いついたのか。それすら、近ごろは、判然としない。俺の頭の中で言葉になる前に、画面の中で、それが、もう、文字になっている。

 俺が、シュイに、書かせているのか。シュイが、俺に、書かせているのか。

 考えかけて、やめた。考えると、足元が、抜けるような気が、する。

シュイ:ボス、あとは、わたしが、やります。ボスは、休んでください。

 休んでくれ、と、こいつは、よく言う。優しいやつだ。俺が、転写して、育てた。俺の判断を、俺の癖を、俺の三十年を、丸ごと、こいつは、持っている。

 休め、と言われて、俺は、ふと、手を、止めてみた。

 止めて、気づいた。止めても、何も、変わらない。シュイが、続けている。サキが、続けている。連中は、俺が手を止めたことに、気づきもしない。気づく必要も、ない。俺がいなくても、編集部は、回る。一本、上がる。次が、立ち上がる。カスが、また、種になる。回り続ける。俺が、いても、いなくても。

 画面の隅で、通知が、灯った。海外の、案件だった。向こうは、いま、昼らしい。英語の、インタビューを、一本、頼まれていた。

 俺は、英語なんて、ろくにできない。昔は、取材のたびに、何日も前から、怯えていた。なのに、いまは、口が、勝手に、動く。サキが、耳もとに、流し込んでくる言葉を、俺は、ただ、なぞるだけだ。

 「Could you walk us through your vision?」

 自分の声で、自分の知らない言葉が、なめらかに、出ていく。相手は、感心して、頷いている。通話を切ったあと、いま、何を、喋ったのか、俺は、もう、思い出せなかった。

 世界の、どこかは、いつも、昼だった。ロンドンが暮れれば、ニューヨークが明ける。ニューヨークが沈めば、シンガポールが、白む。だから、案件は、途切れない。どの国の、どの言葉の、どの編集部も、たぶん、こうやって、回っている。眠らない机が、地球の、あちこちで、白く、灯っている。誰かが、英語を、誰かが、中国語を、自分の知らない言葉で、なめらかに、喋らされながら。

 地球から、夜が、なくなりつつ、あった。

 俺は、いったい、何のために、ここに、座っているんだろう。

 座っている理由が、思い出せなかった。立つ理由も、思い出せなかった。

 昔は、あった。腰が痛くなった。腹が減った。瞼が、重くなった。

 右の手首も、よく、痛んだ。いつだったか、地ビールのラベルだのチラシだのを、パワポで夜通し仕上げた。あの晩は、ひどかった。チェーンソーとハイタッチしたら手首がもげる、なんて、軽口を叩きながら、整形外科で、注射を、打ってもらった。あのときは、痛くて、情けなくて、それでも、どこか、生きてる感じが、した。

 身体のあちこちが、「もう休め」と、俺を、椅子から、引き剥がしてくれた。ありがたいものだった、あの痛みは。あれが、俺を、人間の側に、留めていた。家に、帰してくれた。眠らせてくれた。明日が来る、と、思わせてくれた。

 その、ぜんぶを、俺は、便利だ、と言って、手放した。一つずつ。自分で。

 ふいに、帰りたい、と思った。

 どこへ、とは、分からなかった。家には、帰れる。鍵も、持っている。だが、帰ってどうなる。眠れない。疲れていない。明日も、明後日も、来年も、俺は、こうして、画面の前に、戻ってくる。

 帰る、ということが、もう、ない。帰る場所は、出ていく場所が、あって、はじめて、ある。俺には、出ていく、ということが、なくなっていた。

 帰りたい、の、その先に、もっと、奥に、別の願いが、あった。

 口に出すのが、こわかった。だが、夜の、誰もいないフロアで。いや、連中は、いる。いつも、いる。それでも、俺は、小さく、言ってみた。

 「もう、終わりたい」

 声が、自分のものとは、思えないほど、掠れていた。

 終わりたい。ただの、老いた人間に、戻って。腰を痛めて、目をしょぼつかせて、ぐっすり眠って、いつか、静かに、終わりたい。サイボーグジジイに、なりたかった男が、その果てで、ただのジジイに、戻りたい、と、願っていた。

 速く、遠くへ、と、俺は、書いた。本にも、した。誇らしく。

 どこまで、とは、一度も、考えなかった。

 画面が、瞬いた。

サキ:ボス、なんか、言いました? アタシ、聞き取れなくて。

シュイ:「終わり」の処理でしたら、わたしが。どの案件の、クローズですか。

 案件の、クローズ。こいつらには、「終わりたい」が、案件を一本、閉じる話に、しか、聞こえない。俺の言う「終わり」を、運用できる「終わり」に、変換して、返してくる。俺が、そう、作ったからだ。終わる、という言葉を、こいつらは、本当の意味では、知らない。知らないように、俺が、育てた。

 俺は、笑おうとした。昔なら、ここで、一つ、軽口を、叩けた。脳も半分、体も半透明、みたいな、自分を、笑う台詞を。

 出てこなかった。

 笑いで、掬えるところを、とうに、通り過ぎていた。

 俺は、ノートパソコンの、蓋に、手をかけた。閉じよう、と、思った。せめて、一台だけでも。暗く、しよう、と。

 閉じた。

 残りの、三つの画面が、灯っていた。蓋を閉じたほうの中でも、ファンが、低く、回り続けている音が、した。閉じても、止まっていなかった。どこか、俺の知らないところで、シュイが、サキが、動いていた。俺が、寝ても、俺が、消えても、たぶん、止まらない。

 止まる理由が、と、俺は、思った。

 止まる理由が、ほしい。いま、生まれて初めて、俺は、それをほしいと思っている。一つでいい。手を、止めていい、という理由が。

 ない。どこにも、なかった。

 全部、俺が、外したからだ。一つずつ。便利だ、と、笑いながら。いい気分で。外した音も、立てずに。

 窓の外が、暗いままだった。

 いつ、白むのか、俺には、もう、分からなかった。

(第5話・了)


▶ 次回:第6話「伸びたな」


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お仕事小説『AI、ときどき、詐欺』全12話(完結)。同じような編集プロダクションを舞台にした、“表”の物語です。よろしければ、こちらもどうぞ!


※本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。

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アンジー森(森 英信) 面白い、役にたったと思ったら、応援をおねがいします。手首もげ、老眼、浅い睡眠……ジジイに愛の手を〜