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お仕事ホラー『伸びしろ』第9話(最終話)

これまでの『伸びしろ』

社長は出口を探したが……もう戻れなくなっていた。千砂の入社から一年。その朝、会社に、新しい子が、入ってきた。
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▷ 最初から読む:第1話「定時のない会社」

『伸びしろ』

〔語り手:千砂みのる(センサミノル)〕

2027年5月10日(月)午前9時

 その会社には、定時が、なかった。

 入って、一年が、過ぎていた。

 僕は、もう、痩せても、やつれても、いなかった。よく、眠れた。眠れない夜のことは、もう、思い出せない。仕事は、楽しかった。僕の考えた切り口が、いくつも、会社の「型」になっていた。

 客は喜び、社長は褒め、連中は、僕のやり方で、どんどん記事を上げていく。やりがいが、あった。こんなに、満たされた一年は、なかった。

 社長を、最近あまり、見ない。

 奥の席には、いる。痩せた背中を、四つのモニターに向けて、座っている。たまに、振り向く。皺が、消えていた。一年前より、もっと、つるりとして、若く、見えた。色付きの老眼鏡に変えてから、目の様子はわからない。

 でも、誰も、もう、社長に、話しかけない。話しかけなくても、仕事は、回る。社長がいなくても、記事が上がる。次が、立ち上がる。社長は、そこに、いるのに、いないみたいだった。通り道みたいに、静かだった。

 おかしい、とは、誰も、言わなかった。みんな、社長は昔からああだ、と思っている。会社は、回っている。記事は、出ている。何も、おかしく、ない。

 その朝、新しい子が、入ってきた。

 人事に連れられて、フロアの真ん中で、緊張して、立っていた。若い。僕が、一年前、そこに、立っていたみたいに。

 僕が、案内係に、なっていた。

 名簿を、見た。その子の名前を、僕は、二度、読んだ。一度目で、字を見て、二度目で、読み方を、確かめた。珍しい、読み方の子だった。よく、気がつきそうな、目を、していた。人より、よく、見える子だ。ひと目で、分かった。

 いい子が、来た、と思った。伸びしろが、ある。

 その言葉が、自分の中から、するりと、出てきたことに、僕は、気づかなかった。

 席に、案内した。僕の、隣に。四つではなく、その子のは、一つの画面だったけれど、すぐ、増えるだろう。連中を、紹介した。サキ。イト。シュイ。シッピ。コエツ。一本の記事が、どんなふうに、こいつらの手を、渡っていくか。僕は、得意になって、説明した。手品の種を、明かす子どもみたいに。

 その子の足元を、ふと、見た。蛍光灯の下で、椅子の影が、一つだけ、まっすぐ、伸びていた。当たり前のことだ。光が一つなら、影は一つだ。当たり前のはずなの に、僕は、それを、めずらしいもののように、見ていた。

 その子は、画面を、覗き込んで、それから、少し、身を、引いた。

 「あの……これ、人、じゃ、ないですよね」

 怯えた声だった。どこかで、聞いた声だ、と思った。

 「うん。人じゃない。でも、うちは、よそより、ずっと早くから、こいつらと、やってきたからね」と僕は、笑って、答えた。「人じゃないから、いいんだよ。疲れない。裏切らない。夜中でも、いる。きみも、すぐ、慣れる。便利だからね」

 言ってから、ふと、思った。これ、誰かが、僕に、言った台詞だ。一年前。あの、奥の席の――

 その子が、まだ、こわばった顔で、奥を、見ていた。痩せた背中の、社長を。

 「あの、いちばん奥の方は……」

 「社長だよ」と僕は、言った。「もう、ずいぶん、長いんだ」

 長い、というのが、在籍年数の話じゃないことは、自分でも、言いながら、分かっていた。なのに、なぜ、そう言ったのか、分からなかった。誰かが、昔、僕に、同じことを、同じ声で、言った気が、した。

 その子は、逃げ出したそうな、目を、していた。一年前の、僕みたいに。いや――喫茶店で、千円札を、出した、あの人みたいに。

 「最初は、みんな、そう言うんだ」と僕は、言った。

 言った瞬間、背筋が、すっと、冷たく、なった。

 最初は、みんな、そう言う。それは、僕の、言葉じゃ、ない。聞いた言葉だ。あの、奥の席の人が、一年前、僕に。そして、その人も、きっと、もっと前に、誰かに――

 ひとつの、形が、見えかけた。

 僕の切り口が、型に、なる。社長の、歳を取らない顔。加藤さんの「逃げろ」。そして、いま、僕の口から、出た、聞き覚えのある、台詞。──ばらばらの、破片が、ひとつの、かたちに、なりかけた。

 名簿を、二度、読んだ、さっきの、自分。

 僕は、よく、気がつく。人より、よく、見える。だから、ここに、呼ばれた。何かを、感じ取る、ために。

 ――じゃあ、僕は、いったい、何を、感じ取るために、ここに――

 答えの、すぐ、手前だった。

 暗く、沈んだ画面に、僕の顔が、映っているのに、気づいた。一年、働きづめだったはずだ。なのに、その顔には、皺が、なかった。やつれても、いない。入った頃より、むしろ、つるりと、している。目だけが、ひどく、疲れて、落ちくぼんでいた。あの、奥の席の人と、同じ、顔だった。足もとには、椅子の、影が、一つ、二つ、いや、それ以上、放射状に、薄く、伸びて……

 そこで、僕は、考えるのを、やめた。

 やめた、というより、その先を、訊くのが、なぜか、ためらわれた。一年前、社長のことを、先輩に、訊き返せなかった、あのときと、同じ、ためらい。今度は、それが、自分自身に、向いていた。いちばん、知りたいことの、すぐ手前で、僕は、自分で、足を、止めた。

 画面が、瞬いた。

サキ:千砂さん、いい後輩、入りましたね。育てるの、楽しみですね。

 育てるの、楽しみ。

 その一言で、冷たくなった背筋が、また、温かく、なった。そうだ。僕が、育てるんだ。この子の、いちばん伸びるところを、いちばん先に、見つけてやろう。僕が、社長に、してもらったみたいに。何が、引っかかったのか、もう、思い出せなかった。霞んで、いた。

 新しい子の、机の上で、もう、文字が、流れはじめていた。その子が、まだ、何も、打っていない、原稿の、続きが。よくできた、文章だった。たすかった、という顔を、その子が、一瞬、した。すぐ、慣れる。

 窓の外が、白んできた。

 白い光が、フロアに、差し込んできた。足もとを、見た。さっき、放射状に、伸びていたはずの、影は、もう、見えなかった。溶けたのか、僕が、その側に、なったのか、分からなかった。

 ビルの窓という窓に、まだ朝なのに、明かりが、点いていた。隣のビルも、その向こうのビルも。どの街も、たぶん同じだ。海の向こうの街も。眠らない机が、世界中で、白く、灯って、同じ顔の文章を、吐き出し続けている。

 何か、引っかかった気が、した。けれど、それが、何だったか、もう、霞んでいた。

 世界の、どこにも、もう、夜は、ない。

 しろい空が、伸びていく。


(完)最後までお読みいただき、ありがとうございました。

もう一度、最初から:第1話「定時のない会社」


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※本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する企業・団体・人物・案件は架空のもので、特定の実在の個人・団体などとは関係ありません。

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アンジー森(森 英信) 面白い、役にたったと思ったら、応援をおねがいします。手首もげ、老眼、浅い睡眠……ジジイに愛の手を〜