115系300番台D23編成乗車記

国鉄末期に三鷹や小山から転属してきた115系300番台。115系0番台とは窓割りなどは変わってはいないものの、窓のユニットサッシの採用や新製当初から冷房を搭載するなど、0番台から改良が行われた車両で、東北本線や中央本線など、幅広い区間で活躍しました。

小山では165系、三鷹では客車普通列車などを置き換えた300番台ですが、2000年代に入ってから急速に数を減らし続け、JR東日本では2015年に211系に置き換えられ消滅。

裏辺研究所より引用(転載禁止)
西日本でも113系の代用として高速化改造や他の番台との混結も行われてきましたが、老朽化により各地で置き換えが進められ、最終的に岡山に残った3両編成のD編成のみが残ることとなりました。そんなD編成も227系の増備で置き換えられることになり、昨年引退となりました。
今回は2年前に山陽本線瀬戸駅から相生駅まで乗車した115系300番台の乗車体験記です。
岡山駅で新幹線を降りてから山陽本線のホームや宇野線のホームなどで115系や381系を撮影。

まずここから瀬戸まで乗ったのは115系1000番台A-12編成。更新工事を受けている編成です。

車内は223系と同等の座席となっているのも特徴です。

終点の瀬戸駅で下車。ここで相生行きに乗り換えます。

その間にA-12編成の屋根上を撮影。

やってきたのはD-23編成。1975年に製造された編成で、115系の中でも当時はかなり古い編成でした。

見切れていますが、このクモハ115-302に乗車します。

こちらが座席。座り心地は良かったのですが、向かいに座っている人と膝や靴がぶつかり、なんか気まずい雰囲気になっていました。
それもそのはず、1970年代の人と現代の人の体格というのはそれなりの差がありますから、どうして窮屈に感じてしまうものです。この手の車両なのでテーブルの下に灰皿の跡があるかと探しましたが、見当たらず。埋められたのか…?

車内の番号プレート。年季が入っています。

扉は流石にステンレス製のドアに交換されています。

証明の横の非常灯。昔ながらの丸型のものです。

貫通扉周り。色合いがなんともレトロです。私が乗車した時間帯は近隣の学生で賑わっていましたね。やっぱり窮屈そうでした。

なんと、網棚近くには座席番号が。伝説の遜色急行、かいじ・かわぐち号の痕跡でしょうか。

傘や帽子などを掛けるフック。昔の旅人は一体何を掛けたのか…想像が膨らみます。

つり革やら何やら。300番台はドアボダンを設置した際に一部の戸袋窓が塞がれましたが、内側からは窓の代わりに同じような色の板がはめ込まれています。

行先表示器。結構大きいですね。

床はクリーム色になっています。ここらへんは更新工事施工車と同じです。
さて、そんなこんなで窮屈なボックスシートに揺られ続け、旅情にふけっていると、あっという間に相生に到着。ここからは車外から撮影した写真になります。

網棚。なんで撮ったかは覚えていません。

一部の行先表示は準備工事段階となっていました。415系などでも言えることですが、隣合う行先表示器はどちらかがこのようになっていることが多く、その多くは結局このまま使用されることなく廃車となりました。
さて、このあとはやってきた新快速の223系に乗って姫路で103系を撮影し、西明石駅まで行って、新幹線に乗って小田原まで帰ったのでした。
1年後にはこの編成も227系に置き換えられて、最終的に廃車となり、300番台は3編成にまで減ってしまいました。ボックスシートで乗客と膝をぶつけたのも、今となってはいい思い出です。今も活躍する1000番台(セキT編成としなの鉄道の車両)はシートピッチが拡大されているため、変な座り方をしない限りこんな事はできませんからね。貴重な体験です。
この記事が面白いと思ったら、フォロー&スキよろしくお願いします!
この他レイルラボとyoutubeもやっていますのでぜひ覗いて行ってください!
関連記事はこちらから⇓
※当記事の写真はすべて投稿者撮影で、二次利用が可能です。出典元を書いていただけると嬉しいです^^
