青葉山の新緑と、消えた足音。
1950年の東北大学で起きた「イールズ事件」の当事者である祖父が、卒寿を前に、現代を生きる孫の男の子「律」へと激動の過去を語り継ぐ物語です。
第二話:消えた足音
「あの夜、わしたちは暗い部室で、ガリ版のヤスリの上に蝋原紙をのせ、この鉄筆を握りしめていた」
おじいちゃんは、律が持つ錆びた鉄筆を細い指でそっと指差した。
「ガリ、ガリ、と。鉄の先が蝋を削り、ヤスリの目に引っかかる微かな振動が、指先を通じて脳裏に直接響くようだった」
暗闇の中、灯した裸電球の下で、鼻を突く黒い印刷インクの匂いと、仲間たちの熱い吐息。
「学問の自由を守れ」
その一文字を刻むたびに、自分たちが歴史を、未来を動かしているのだと信じて疑わなかった。
しかし、一九五〇年五月二日の朝、現実は音を立てて崩れ去った。
学長がイールズ博士の来訪を隠していたことが発覚し、東北大学の講堂は一気に怒号と熱気に包まれた。
六百人以上の学生が詰めかけ、熱気が天井を焦がすようだった。
壇上で冷たい、憐れむような笑みを浮かべるイールズ博士。
「あいつ」は、真っ先に演壇へと駆け上がり、博士のマイクへと手を伸ばした。
『おい、お前も来い!』
振り返ったあいつの瞳は、あの夜、部室の裸電球の下で見せたのと同じ、まっすぐな光を宿していた。
なのに、わしは動けなかった。
講堂の入り口に、制服を着た警察の影が見えた瞬間、わしの指先から、すうっと血の気が引いていった。
『ここで捕まったら、わしの人生は終わる』
そのじっとりとした恐怖に支配され、わしは持っていたビラを床に落とし、群衆の後ろへと一歩、後ずさりしてしまったのだ。
それが、あいつの姿を見た最後だった。
その後の数日間で、あいつを含む十四名の学生が退学や停学の処分を受け、警察に連れ去られた。
昨日まで隣で笑っていた仲間たちの「足音」が、街から、大学から、ぷつりと消えていった。
わしは沈黙を選び、何事もなかったかのように普通の学生のフリをして生き延びたのだ。
📖第3話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/nf3096db76a21
📖第1話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/nbe2cabd424a5
🌐英語版:https://note.com/ttukumoo/n/ne1d62c41efa4
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