🔥 はっきり言います。受験が本気で大嫌いです。── 阿鼻叫喚、忘れ去られた「共通テスト最難化年」の現実
――県内トップ公立・偏差値70超えでも、進学できない子があふれた日――
あの年の共通テストを、あとから振り返っても
**「異常だった」**としか言いようがありません。
これは一部の失敗談ではありません。
全国の多くの学校、多くの家庭で、同時多発的に起きていた現実です。
忘れられそうなので、記録として残します。
なぜ、この話を書こうと思ったのか
私は普段、別アカウントでリスキリング系の発信をしています。
それでも、この話だけはどうしても書いておきたかった。
私の娘は、今年大学を卒業する学年です。
つまり、共通テスト最難化年を真正面から受けた世代です。
この年度の子たちは、本当に苦労しました。
だからこそ、
今は、もう語られない当人たちの苦労を裏側を採用する側の人にも
これから社会に迎え入れる側の人にも少しでも知ってほしい。
この世代が、どんな状況をくぐり抜けて、今ここにいるのか。
正直に言えば、この出来事がなければ、私はこのアカウントを作っていません。
共通テスト後、仕事中にコンビニに営業車を停め、
ジャンパーで窓を隠して、何度も泣きました。
「この先、どうなるんだろう」
私大の合格連絡が来るまで、親子ともに不安な日々でした。
娘は気力を失い、2週間ほど完全に受験勉強をやめました。
言い過ぎかもしれません。
それでも私は、あの年度は
日本中で、優秀な「努力型」の学力層が削られた年
だったと思っています。
同時に彼らや応援していたご家族のメンタルも一緒に大きく傷つけられたと私は思っています。
県内トップ公立でも、毎日がお通夜だった
知り合いの子が通っていたのは、
県内トップの公立高校(偏差値70超)。
あの年、校内の空気は本当に異様だったと聞いています。
教室は静まり返り、
廊下も重く、
放課後に笑い声はほとんどない。
感覚的には、毎日がお通夜。
共通テスト翌日、教室で泣き崩れる生徒が大勢いたそうです。
試験中ですら、泣いている生徒を数名見かけたと、娘から直接聞きました。
特に、数学の地獄
結果を見て泣く。
何も言えず、ただ涙を流す。
立ち直れない。
そんな生徒が、普通にいました。
しかもそれは、勉強してこなかった子ではありません。
真面目で、
努力型で、
ルールを信じて積み上げてきた子。
そういう子ほど、精神的に追い込まれていました。
うちの子は、車の中で大泣きした
試験が終わり、車に乗った瞬間、娘は大泣きしました。
受験を受けた試験施設では、必死に泣くのを我慢していたそうです。
そして、こう言いました。
「パパの言うとおり頑張ってきた」
「なのに……努力なんて、するんじゃなかった」
今でも、この言葉を思い出すと胸が苦しくなります。
下の写真は、今は元気に過ごしている娘が私大が受かって気持ちを切り替えた直後のLINEです。
本当に落ち着いたLINEを返せるまでになりましたが当時は時間が解決すると分かっていながら家庭内でも地獄のような日々でした。
本当に苦労を目の前で見てきているので涙が出そうになります。
3年間で家族とまともにテレビ見たのはほんの数えれるくらいです。
それほど頑張ってきた子の数年を一瞬で壊すのも大学受験の怖さです。


一番苦手な数学も「武器」のはずだった
娘は、文系にしては数学が得意でした。
準難関国立の二次で通用する学力があり、
模試でも数学記述でB判定以上。
崩れても過去問7割前後は安定して取れていました。
本来なら、他と差をつける武器になるはずでした。
でも、あの年は違った。
読解量
処理量
時間配分
すべてが、過去問とは別物。
本気で解いた問題も、
割り切って捨てた問題も、
運試しでマークした問題も、
結果がほとんど変わらない。
実際、ほぼノー勉で臨んだ「運がよかった子」に負けました。
普通なら倍近い差がつくはずなのに、逆。
努力と運の区別がつかない試験でした。
東大医学部を落ちた有名YouTuberが、この年度の問題を解いて言っていました。
「この年度の受験生、泣いてると思います」
その通りです。
本当に、皆泣いていました。
あれは「数学」ではなく「国語」だった
はっきり言います。
あの年の数学は、数学ではなく国語でした。
文章が長すぎる
条件が散らばりすぎている
前提整理に時間を奪われる
数学力以前に、
読解力
情報整理力
初見対応力
が強く求められていた。
つまり、
数学ができる子より、国語ができる子が有利な試験。
また、圧倒的に時間が足りない
共通テストで出す問題ではない
これは明確に言います。
難関大学の二次試験なら、誰も文句を言いません。
でも、
全国共通
一般的な学力を測る
基礎〜標準の達成度を見る
その役割を持つ共通テストで出す問題ではない。
共通テストは「共通尺度」。
個別試験は「選抜」。
役割が違います。
あの年の数学は、
学力テストではなく、適応テストでした。
4割しか取れなかったが、大学では数学上位だった
結果として、娘は有名私大に進学しました。
1学年1000人弱の学部。
40人単位でクラス分けされます。
数学は、トップクラスに振り分けられました。
それでも――
大学の数学の試験は、4割程度しか解けなかった。
これがどういうことを意味するか試験が「難しい」という話ではありません。
あの年の試験は、
物量
読解難易度
スピード
すべてを同時に要求する、
若者で実験をしたような試験だったと、私は今も思っています。
クラス単位で「行く学校がない」
一番衝撃だったのは、ここです。
そのクラスで、
「行く学校がない」レベルになった。
本来なら、
難関国立
準難関国立
難関私大
に分かれる層が、まとめて崩れた。
予定通り進学できたのは、数名だけ。
皮肉にも、下げなかった子が受かった
一方で、
リスクを取って、実力相応校を受けた子
こういう子が、意外と受かっている。
結果として、
「下げた子が落ち、下げなかった子が受かる」
逆転現象が起きました。
まさに、ギャンブル。
努力型ほど潰れやすい構造
あの年の試験は、
天才型
初見処理型
応用が利くタイプ
が有利。
一方で、
ルールを信じ
真面目に積み上げた努力型
ほど、潰れやすかった。
これは感想ではありません。
現場で起きていた事実です。
結論
順位をつける試験である以上、差が出るのは仕方ない。
でも、
一生懸命頑張っている未来ある若者の人生を、もてあそぶのはやめてほしい。
制度変更。
難易度の急変。
想定外の作問。
そのしわ寄せを、
一番真面目な子が受ける。
偏差値70超の県内トップ公立でさえ、
クラス単位で進学が崩れる。
これが、共通テスト最難化年の現実です。
今後は、このような悲劇が再度繰り返されないことを願っています。
この年度の子たち、
そして支え続けた親御さん。
本当に、よく頑張りました。
あの状況をくぐり抜けて、
ここまで歩いてきたという事実だけで、
それはもう十分に誇っていい。
今は、そう思えなくても大丈夫です。
時間が経てば、必ず分かります。
この経験は、
これからの人生で「折れない強さ」になります。
誰も褒めてくれなくても、
私は、はっきりと褒めたい。
だからどうか、忘れないでほしい。
この先には、必ず明るい未来があります。
今後の投稿でシェアのお願いするつもりはありません。
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シェアしてもらえると嬉しいです。
忘れ去られそうになっている、
でも確かにあった現実を、
少しでも多くの人に知ってもらいたいと思っています。
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