守秘義務
ブログを読んでいる人の中には、私のことを「暇人」だとか「遊び人」だとか思っている人もいるかもしれない。毎日、本を読み、音楽を聴き、映画や哲学や文化について文章を書いているのだから、そう見えるのも無理はない。
しかし、実のところ、私がこれまでやってきた仕事についてはほとんど書いていない。
書いていないというより、書けないのである。
世の中には、仕事の内容を自由に話せる職業もある。営業なら営業の苦労話があるだろうし、教師なら学校での出来事を語ることもできる。しかし、そうではない仕事もある。むしろ責任が重くなればなるほど、話せないことが増えていく。
企業の経営企画、新規事業、M&A、研究開発、官公庁の政策立案、安全保障や外交に関わる業務。こうした仕事は、その内容そのものが機密である。外で話した瞬間に問題になる。政治家が関わっている案件もあれば、現在進行形のプロジェクトもある。退職したからといって、何でも自由に話せるわけではない。
私はよく、「保秘も給料のうちだ」と思っている。
給料というと、多くの人は労働時間に対して支払われるものだと考える。しかし実際にはそうではない。専門知識に対して払われる部分もある。責任に対して払われる部分もある。信用に対して払われる部分もある。そして、秘密を守ることに対して払われる部分もある。
会社や組織は、ただ働いてもらうためだけに給料を払っているのではない。その人が知った情報を適切に管理し、軽々しく外部に漏らさないことにも対価を支払っているのである。
だから本当に重要だった仕事ほど、人前では語れない。
回顧録を書いた政治家や経営者の本を読んでも、肝心なところは曖昧にしか書かれていないことが多い。それは筆者が意地悪をしているのではない。本当に重要だった部分は、今でも利害関係者が存在し、軽々しく公開できないからだ。
結果として、私のブログには文化の話が多くなる。
哲学の話を書く。文学の話を書く。音楽の話を書く。教育や社会について考える。だが、それは仕事をしていなかったからではない。むしろ逆である。仕事について書けないから、自由に語れる文化の話を書いているのである。
読者から見れば、それは単なる趣味人の文章に映るかもしれない。しかし、その背後には、語らないのではなく、語れない領域が存在している。
秘密を守ることも職業倫理の一部である。
私はそれを誇りに思っているわけではない。ただ、社会にはそういう種類の仕事があるというだけの話だ。そして、そうした仕事に携わった人間は、退職した後もなお、その習慣から自由にはなれない。
だから今日も私は、本の話を書く。音楽の話を書く。昔の映画や哲学の話を書く。
その方が安全だからである。
そして本当に重要な仕事ほど、たいていは表に出ないまま終わっていくのである。
