【NEWS】二つの王将 |餃子に賭けた男たちの物語|京都王将と大阪王将の秘話
「ハードボイルドNEWSの時間だ。」
真実は一つじゃない。
だが、俺の視点は一つしかない。
今夜もニュースを、俺の主観だけで
撃ち抜いていく

京都の四条大宮、一皿の餃子から全ては始まった
1967年12月24日。
クリスマス・イブの京都・四条大宮。
加藤朝雄が王将1号店を開店した。九州・福岡の貧しい集落出身、過去は謎に包まれた男だった。戦時中は満州に出兵し、中国人社会との繋がりを作った。京都に流れ着き、彼が作ったのは一皿の餃子だった。
その餃子は、豚肉、キャベツ、にんにく、生姜、そしてニラ。皮は厚めでモチモチとした食感。客は唸った。「うまい」と。
加藤は商売の天才だった。「無料券配布」や「餃子を10人前食べたら無料」など革新的なアイデアを武器に、京都市内を中心に店舗数を増やしていった。餃子の帝国が生まれようとしていた。
そして1969年——
加藤朝雄の親類だった文野新造が、42歳で脱サラし、餃子の王将で1年ほど修行した後、独立し5坪の餃子専門店を出店した。場所は大阪市のJR京橋駅。
のれん分けという形で大阪にてスタートした。この時はまだ餃子の王将を名乗っていた。元々の餃子の王将が京都を中心に出店していたことから、こちらを通称「京都王将」とし、文野が始めた方を通称「大阪王将」とすることで区別していた。
二つの王将。京都と大阪。師弟関係。当時はメニュー数こそ少なかったが、学生などが連日押し寄せて繁盛した。ちょうど高度経済成長期だったので、それぞれものすごい勢いで出店していった。
兄弟のように、
二つの王将は餃子を焼き続けた。
縄張りを越えた時、兄弟は敵になった
1974年、創業から7年。餃子の王将は18店舗を運営するチェーン店になっていた。そこで法人化を決定し、資本金500万円の株式会社王将チェーンを設立した。
大阪王将も餃子の王将に続く形で、200万円の資本金で法人化を決定、大阪王将食品株式会社を設立する。その後も着実に成長を遂げ、1982年には100店舗を超えるまでに発展した。
だが——
両者は出店地域をなんとなく棲み分けることで良好な関係を保っていた 。京都は京都王将。大阪は大阪王将。不文律だった。
しかし、勢いづいた大阪王将は餃子の王将が主戦場としている京都府への出店を決定した。
縄張りを越えた。
両社間で混同が生じてしまった。仕入れ配達の誤配送や顧客トラブルが発生した。「餃子の王将」の名前で、京都でも大阪でも店が開いている。客は混乱した。配送業者も間違えた。
そして、餃子の王将が動いた。
不正競争防止法に基づいて
餃子の王将が裁判を提起した。
骨肉の争い——メディアはそう報じた。
名前を失った男、25歳の社長
1985年12月2日。
表記を「餃子の王将」「大阪王将」と
分けることとして和解が成立した。
文野新造は、「餃子の王将」という名前を失った。これからは「大阪王将」だ。16年間使ってきた名前。師匠から受け継いだ看板。それを捨てなければならなくなった。
こんなときに呼ばれたのが、当時愛知の方で「東海王将」を経営していた文野直樹だ。業績がよかったことを買われたのか、25歳で大阪王将の社長に就任することになった。
文野直樹——創業者・文野新造の息子だ。
社長としての初めての仕事は、餃子の王将と大阪王将のゴタゴタを整理していくことだった。親戚同士が争っているのは嫌ですし、世間で「骨肉の争いだ」と話題にされてしまっているのも辛かった。
25歳の青年は、
父が失った名前の重さを背負った。
だが、彼は決めた。
名前を失ったなら、味で勝負する。
大阪王将の餃子にはニラが入っておらず、比較的にさっぱりとした味わい。豚肉の量は多めでジューシー。皮は薄めでサクッとパリッとした食感 。
京都王将とは違う餃子を作った。店舗も駅前商店街やオフィス街にこじんまりとしたお店を出していた。そして、お店が小さい分、他で利益を出そうという発想になり、テイクアウトを始めることになった。
冷凍餃子だ。スーパーに並ぶ「大阪王将」ブランドの冷凍餃子。2001年、大阪王将の名を冠した初の市販用冷凍食品「大阪王将餃子」が販売開始された 。
家庭の食卓に届く餃子。
それが大阪王将の新しい戦略だった。
二度目の戦争、そして——
だが、戦いは終わらなかった。
2005年12月。運営会社のイートアンドは商標とその指定商品の類似を理由に、餃子の王将を運営する王将フードサービスを相手取り、『餃子の王将』の商標登録を無効とする審判を特許庁に請求した。
今度は商標権の戦いだ。
特許庁は、餃子の王将が有するA商標については一部無効、B商標については非類似のため請求不成立の審決を下した。
両者とも不服として提訴。2007年7月19日、知的財産高等裁判所は特許庁の審決を2つとも取り消し、訴訟の費用については両者側がそれぞれ負担するという判決を下した。
引き分けだった。
2026年1月23日、今日も——
京都では「餃子の王将」が、ニラ入りのモチモチ餃子を焼いている。店舗数は、海外2店舗を含む551店。
大阪では「大阪王将」が、さっぱりジューシーなパリパリ餃子を焼いている。店舗数は約471店。
スーパーに行けば、大阪王将の冷凍餃子が並んでいる。モンドセレクション金賞・銀賞を受賞した「羽根つき餃子」「ぷるもち水餃子」。
どちらも「王将」を名乗る。
どちらも餃子を焼く。
餃子の王将は「京都王将」、大阪王将は「大阪王将」と呼び分けられ、ともに吉本の芸人など多くのファンを抱えている。
1967年、
京都の四条大宮で焼かれた一皿の餃子。
それは二つに分かれ、京都と大阪で、
今も湯気を上げている。
兄弟は敵になった。
敵は競争相手になった。
競争相手は、それぞれの道を歩む者になった。
もう戦う必要はない。
ただ、それぞれの餃子を焼き続ければいい。
熱々の鉄板の上で、
餃子はパリッと音を立てる。
その音は、変わらない。
#餃子の王将
#大阪王将
#餃子戦争
#王将物語
#加藤朝雄
#文野新造
#文野直樹
#京都王将
#商標権争い
#のれん分け
#骨肉の争い
#ハードボイルド
#企業ヒストリー
#冷凍餃子
#外食チェーン
#京都グルメ
#大阪グルメ
#ビジネス戦争
#兄弟対決
#餃子ストーリー
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます!励みになります!感謝!