Mr.Children 「掌」解読

掌に刻まれた いびつな曲線
何らかの意味を持って 生まれた証
僕らなら 求めあう 寂しい動物
肩を寄せるようにして 愛を唄っている
抱いたはずが突き飛ばして
包むはずが切り刻んで
撫でるつもりが引っ搔いて
また愛 求める
解り合えたふりしたって
僕らは違った個体で
だけどひとつになりたくて
暗闇で もがいて もがいている
ステッカーにして貼られた本物の印
だけど そう主張している方がニセモノに見える
僕らなら こんな風な袋小路に
今も迷い込んだまま 抜け出せずにいる
夢見てるから儚くて
探すから見つからなくて
欲しがるから手に入んなくて
途方に暮れる
どこで間違ったかなんて
考えてる暇もなくて
でも答えがなきゃ不安で
君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと
何でこんなにも簡単に 僕ら
見失ってしまえるんだろう?
ALL FOR ONE FOR ALL
BUT I AM ONE
ALL FOR ONE FOR ALL
BUT YOU ARE ONE
ひとつにならなくていいよ
認め合うことができればさ
もちろん投げやりじゃなくて
認め合うことができるから
ひとつにならなくていいよ
価値感も 理念も 宗教もさ
一つにならなくていいよ
認め合うことができるから
それで素晴らしい
キスしながら唾を吐いて
舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて
また愛 求める
一つにならなくていいよ
認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の
暗闇を 優しく 散らして
光を 降らして 与えてくれる


Mr. Children の掌です。

この曲を聞いた時、性についておぼろげな知識しか持っていなかった私でも、エロいな!!!と思いました。

この歌詞を恥ずかしげもなく自信満々に公表しているMr.Children。
Mr.Childrenの名声がない状態でいきなりこの詩を唄えば、変態ミュージシャンといわれかねない歌かもしれません。

しかし、やはり彼らはすごかった。それは、エロスというものを正確に捉えているからです。

名だたるミュージシャンは皆、性的な歌を歌うことがよくあります。

高名な文学者も、性に関する話題を盛り込んだりします。

性は、この世界に厳然としてある事実です。私たちがコミュニケーション上で、相手を不快にさせないために口にすることを憚ることがあります。子供には教えてこなかった、ということもあります。しかし、性はこの世界を理解するうえで、決して無視することができないファクターなのです。

性無くして我々は存在しないのです。私たち自身と言ってもいいほどなのです。

私は、割と読まれている記事ということで有料化してしまっているのですが、エロいとはどういうことか?という記事を書いています。

この記事の内容と、この歌詞の解釈は、密接につながっているのです。


 エロいとはどういうことか?という記事の途中で、私は自分達の心を円い球体のようなものだと想像してほしい、と書きました。

 ここでは、心だけでなく、私たちの存在そのものを球体としてとらえてみてほしいです。私たちの存在は、アメーバのように動き回ります。そして、他の存在と接触するや否や、その存在と一つになろうとします。

 実際、私たちの体も、心も、このアメーバのようなものです。とりあえずそうだと思ってください。そして、再び分離します。分離と融合を繰り返す。そういうものです。

 それでは、他の要素にも目を向けてみましょうか?例えば、会社です。企業の統廃合って聞きませんか?企業が他の企業と合併をする。またまた、複数のグループに分かれたりする。

 学校の統廃合は最近メジャーな話題ですね。

 市区町村も同じです。

 国も同じです。他の国とくっついて大きくなったり、逆に分裂して小さくなったりすることがあります。

 宇宙では、星と星が衝突します。そして砕け散ったりしますね。星も球体ですね。不思議なことに、四角形の星というのはありません。ありますっけ?

 まぁいいでしょう。

 私たちの心、会社、市区町村、国、星たち、全てぶつかり合って、そして再び一つになって、そういうことを何度も何度も繰り返しています。

 アメーバのような単細胞生物と、我々を一緒にしないでもらえますかね?といいかえしたくなるかもしれません。

 でも、私たちの一生は単細胞生物のそれにとてつもなく近いのかもしれません。私たちが複雑な一生を送っていると感じているのは、単細胞生物アメーバが、他のアメーバと融合するときの作業手順に当たる、他の存在との統廃合の作業が、かなり困難で難しいからなのでしょう。でも、その作業手順は、アメーバが融合する仕組みよりも、はるかに簡単なんじゃないかなと思ったりします。

 今もロシアがウクライナに侵攻していますけれども、国が一つになろうとすると、他の国に攻撃を加えるわけですね。私たちが住んでいる日本も、昔は蝦夷から熊襲と言った複数の国が乱立していたものでした。

 その国を一つにまとめる・・・。その手段が、他国への侵略だったのですね。

 Mr.Childrenは、「掌」でこれらの現象は非常に性的であり、エロい活動だと言っているのです。

 精子が受精卵に入るのも、他国への侵入。そして、混ざり合い、一つとなる。

 人は自分の価値観を他者に押し付ける。自分の理念を。そして、宗教は他の宗教を排斥しようとする。

 エロとは攻撃を伴うものです。

 抱いたはずが突き飛ばして・・・。
 包むはずが切り刻んで・・・。
 着せたつもりが引き裂いて・・・。

 

掌に刻まれた いびつな曲線
何らかの意味を持って 生まれた証

ステッカーにして貼られた本物の印
だけど そう主張している方がニセモノに見える

掌に刻まれたいびつな曲線。つまり手相のことですけれども、これは私たちが生まれながらに持っているものです。手相は運命を占うために使われることもありますね。この歌詞は、そういうところからきているようです。

今度は、ステッカーにして貼られた本物の印 ですね。これは、人工的なものであり、自然発生的なものではありませんね。なぜ1番と2番でこうした対比が設けられたのか。

それは、ステッカーを貼る、というのが、レッテルのことだからですね。
つまり、人工的に貼り付けられた運命なのです。

どういうことかというと、例えばインドのカースト制度を見てみましょうか。

バラモン・クシャトリア・バイシャ・スードラ・バリアと言った階層に分かれていますよね。これ、それぞれがステッカーです。

もちろんこれは、人が勝手にそう決めたものです。で、そのステッカーを貼られた人たちは、ずっとそこから抜け出すことはできません。そういう運命にありますね。

手相と、レッテル 自然と人工 元々の運命と仕組まれた運命 この対比がありますよね。

権力者は、レッテル貼りが大好きです。例えば、あなたが権力者の都合の悪いことを嗅ぎまわっているジャーナリストだとしましょう。権力者はあなたが疎ましくて仕方ありません。そこで、あなたを犯罪者に仕立て上げました。世間は全くそのことを知りませんから、あなたを犯罪者だと思います。

権力者は、犯罪者の印として、あなたの額に入れ墨を入れました。ステッカーですね。レッテルです。すると、あなたの額を見た人は、パッと見ただけで、あなたのことを犯罪者だと考えます。日本でも、入れ墨が彫られていましたね。

そうすると、あなたがジャーナリストとして、これが本当のことなのだ!と必死で訴えても、誰も相手にしなくなります。犯罪者の言うことは誰も信用しなくなるからです。

権力者にとって、事実はどうでもいいのです。プーチンがウクライナを侵略しながら、情報を捏造しまくっている。ウクライナの方がおかしいのだ!と言わんばかりですよね。勝てば官軍、というわけで、勝った方が相手の情報を好きにすることができるというのが、悲しいことにこれまでの歴史です。

さて、話を元に戻すと、ステッカーにして貼られた本物の印。

掌に刻まれたいびつな曲線。もう一つこの歌詞から読み取れることがありますね。

つまり、侵略される前と、侵略された後の対比です。
いいですか?

掌に刻まれたいびつな曲線は、自然なまま、有るがままの状態。
ステッカーにして貼られた本物の印。これは、人工的で、誰かが意図的にそうした状態です。

つまり、犯される前。そして、犯された後。

ステッカーを見て、私たちはそれを本物だと思ってしまうわけで。でも、ちょっと待てよ?それが本当にそうなの?そうとは限らないんじゃないの?という袋小路に陥っていますね。

夢見てるから儚くて
探すから見つからなくて
欲しがるから手に入んなくて
途方に暮れる

夢というのも、それと一つになろうとする人間の試みがありますよね。
何はともあれ、私たちはこの世界に生きていて、手に入るものなど、何一つとしてないのです。

私たちの周りにあるもの。そこら辺に散らばっている本。目の前にあるパソコンのモニター。そういったものは、あなたの物だ、というステッカ―が張られているだけで、あなたのものではないのです。

あなた達が手に入ったと思っているものたちは、全くあなたたちの物にはなっていません。あなたたちが、そう錯覚しているだけです。

愛し合った異性も。手に入ることは絶対にありません。結婚届だした。セックスした。だから手に入ったじゃん?何言ってんの?

うん、それでも、手に入っていないんです。

それは、ただ、感じることができただけ。一瞬、感じることができただけです。

その瞬間瞬間の、感じ続けることができた状態が、長引けば長引くほど、いい感じはするのかもしれません。

ですが、感じることができるだけで、手に入ったわけではありません。

逆に考えると、私たちが手に入れようとしなくっても、この世界にはもう物があるわけで。自分が地球というとてつもなく大きい家に住んでいると考えれば、全て自分の物として手に入っていると言えば手に入っている。

自分の物だと言われているものは、よくよく考えると、近くにあるだけの物。

本当にあなたの物になっているのなら、それは絶対に奪われることもないし、失われることもないですよ。

どこで間違ったかなんて考えてる暇もなくて

自分の外には、欲しい物がたくさんあるけど、実はそれらは、追いかけちゃダメな奴。

外に自分の欲しい物、ことを見つけている時点で、絶対に手に入らない。

探せるのは、外にあるもの。
欲しがるのも、外にあるもの。
夢も、外にあるもの。

だから絶対手に入らない。

そう考えちゃったことが、大きな間違いだったのに、そこに考えが至らない。

欲しい物なんて、そもそも何もないはずだ。
探し物なんて、そもそも何もないはずだ。
夢なんて、そもそも何もないはずだ。

幸せを追い求めるということは、今の自分が幸せじゃないと認めているということ。

欲しいものがあると言うことは、今の自分には欲しがっているそのものがないと認めているということ。

夢があるということは、今の自分には叶えられた夢がないと認めているということ。

探し物があるということは、今の自分には見付けたがっているそのものが無いと認めているということ。

国が他の国を侵略するのは、自分の国は欠けているものがあると認めているということ。

宗教が他の宗教を侵略するのは、自分の宗教は欠けているものがあると認めているということ。

だって~、だって~、あなただけで完全なら、別に何もしなくっていいじゃん。

だから、認め合おう。自分には何一つ欠けているものが無いんだよ。あなたはあなたでいいんだよ!あなたには何一つ欠けているものなんてなくて、あなたはあなただから、あなたなのである。

あなたに目がなくっても、それはあなたなんだ。

あなたに鼻がなくっても、それはあなたなんだよ。

あなたに耳がなくっても、それはあなたなんだよ。

あなたがあなたであれば、それでいいんだよ。

欠けているものなんて、何一つとしてないんだよ。

あなたに手がなくっても、それはあなたなんだよ。
あなたに足がなくっても、それがあなたなんだよ。

欠けているものなんて、何一つとしてないんだ。

そこに気がつけばどうなの?もっと自分を、受け入れてみる方に、頭を使った方がいいんじゃないの?

私はこの歌詞が、そういうことを語りかけているように思います。




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