本能と才能について

最近このシリーズが続いています。以前、癖と才能について、という記事を書きました。

その後、洗脳について。そして、なぜ昔の体罰などが教育と言われていたのか、って言った感じの記事を書きました。これらは関連した記事です。

今日は、本能と才能の違いについてです。

例えば、動物にしても人間にしても、本能ってありますよね。人から教えられるでもなく、ひとりでに、感覚的に行動する。

例えば、ひよこは生まれてすぐに卵の殻を食べます。これ、誰かに教えられたの?なんでそういうことするって知ってんの?

癖と才能について、の理論からすれば、すでにそうした経験が出来上がっていて、脳の命令がその回路を通過するから。と言ったことが解答になります。才能っていうのは、そういうものだと考えました。

で、私思ったんですが、このひよこの行動は才能じゃなくて本能じゃないかと。

じゃあ、本能と才能ってどう違うんだろうって思いました。

例えば、私達が年を数える時、1歳、2歳という漢字を使うこともあれば、1才、2才ということもあるわけです。この理屈から言えば、才能というのは、自分の人生を生きて、年月を積み重ねる中で築き上げられる経験によって、培われる能力のこと。本能とは、生まれながらにしてすでにある才能のことではないでしょうか。

才能が開花する、という言葉もあるように、何も生まれ持ってそれだけの能力を持っているわけではなく、努力がある時点まで到達すれば、回路の組み換えが整理される。必要な経験が出そろう、ということがあるのだと思います。才能は、人生で体得する本能、といったところでしょうか。

動物たちを見てると、生まれながらにして、当然のように決まった行動を開始します。私はいつもそれを見て驚愕します。何でそんなこと知ってんの?

彼らなりのコミュニケーションがある場合もあります。そうして伝え合っているのかもしれませんが、明らかにそうではない場合だってあるわけです。

例えば、私たちは自己保身本能を持ちますね。自分の身が危険だと分かれば、すぐに逃げようとする。自分を守ろうとする。しかし、そんなこと、誰かから教えられたわけじゃありません。体が勝手に動く。恐怖に身がすくんで動けなくなることもありますが、これも裏を返せば、本能に支配されているからかもしれません。

蛇に睨まれたカエル型の防御行動か、あるいは、精神だけが逃げの姿勢に入り、身体に命令を伝えなくなってしまうだけなのか。とすれば、逃げられるだけその人は臆病ではないのかもしれませんね。


いいなと思ったら応援しよう!