私はまだ、愛されてもいい
家族がいて、
仕事があって、
毎日を普通に過ごしているように見えても、
心の奥には寂しさがあった。
誰かに認めてもらいたかった。
「大丈夫だよ」
「そのままでいいよ」
そんなふうに、
私の存在そのものを受け止めてもらいたかった。
でも私は、
自分の気持ちより
「我慢すること」を選ぶことが多かった。
いい人でいなきゃ。
いい妻でいなきゃ。
いい母親でいなきゃ。
ちゃんとしなきゃ。
そんな「○○しなきゃ」を積み重ねるたびに、
私の中の本当の気持ちは
少しずつ置き去りになっていった。
自分の心を置き去りにしたまま、
毎日を生きていた。
だからなのかな。
誰かに「そのままでいい」と言われることが、
こんなにも心に沁みたのは。
以前の私は、「好き」と言われても
素直に受け取ることができなかった。
「本当に私なんかでいいの?」
そんな気持ちばかりが先に出てきた。
最近では
病気のことを話したら離れていくかもしれない。
弱い自分を見せたら、
面倒だと思われるかもしれない。
そんな怖さがあった。
だから、伝える時には覚悟もしていた。
離れていくなら、それも仕方ない。
相手には相手の人生がある。
そう思っていた。
以前、
相手から「自分は鬱なんだ」と
打ち明けられたことがある。
私は「待つ」と伝えた。
でも、その人は離れていった。
だから、自分が病気を伝える側になった時も、
同じことが起きるかもしれないと思っていた。
それでも伝えた。
すると、
私の病気を知っても
変わらず接してくれる人がいた。
心配してくれる人がいた。
「好きだよ」と言ってくれる人がいた。
その言葉は、
病気を治してくれる魔法ではない。
それでも、
私にとっては薬とは違う、
もう一つの支えになっている。
「こんな私でも大切に思ってくれる人がいる。」
その事実が、
私が病気と一緒に歩いていくための
大きな力になっている。
苦しい日は、今もある。
朝起きるのがつらい日もある。
何もしたくない日もある。
それでも今日も、
一歩ずつ前を向いて歩いていける。
私は、誰かに依存したいわけじゃない。
誰かに人生を預けたいわけでもない。
会えた日は心から笑って、
その時間を大切にしたい。
それだけ。
もちろん、
いつか会えなくなる日が来るかもしれない。
それは最初から分かっている。
だからこそ、「今」という時間を
大切にしたいと思う。
私は誰かに
人生を救ってもらったわけではない。
ただ、誰かとの出会いの中で、
忘れていた自分の心を見つけ直すことができた。
「私はまだ誰かを信じてもいい。」
「私はまだ愛されてもいい。」
そんなふうに思えるようになった。
これはずっと続く場所じゃない。
でも、そこで感じた温かさは、
私の中に残っていく。
その小さな光を大切にしながら、
これからも私の人生を歩いていこう。
