満欠村

 その林には、異様に下膨れの洋梨がたわわに実っていた。聞けば、目眩がするほどの高い芳香と、完璧な弾力の果肉なのだという。
 ひとつもいで袖で雑に拭き、かじってみる。歯列に断ち切られた果実の繊維という繊維から、じゅわりと蜜が滴る。飲み込みきれない汁が口の端から零れた。
 食べれば特級品なのに、形が流通に耐えられない――いかにも満欠村みちかけむららしい名産物だと思った。
 新幹線で東京駅を出発してから、九時間半。聞いたこともない単線電車を乗り継ぎ、誰も乗っていないバスで延々と山道を上がり、最寄りの停留所から四十分歩いて、ようやく辿り着いた。
 まさに秘境。なのに、この村は過疎とはほど遠く、常に子供が多いのだという。そして、この村出身の人のほとんどが、旧帝大や医大、名門私立大学を卒業したり、芸術方面で活躍しているらしい。
 遺伝なのか、環境なのか、はたまた独自の慣習でもあるのか……その秘密を探りに、僕はやってきた。
 大荷物のよそ者が気になるのか、幼稚園くらいの女の子が、家の陰からそっと見ている。
「こんにちは。僕は高科と言いまして、村長さんとお話をしに来ました。村長さんのおうちがどこか、教えてもらえるかな?」
「……こじんじょうほうだから。ママに聞いてくる。そこでまってて」
 家に入っていく子供を見て、感心した。
 来訪者の身元確認を上長に仰ぐ、その間は中に入ることも帰ることもさせず、その場に留まるよう告げる――うちの会社にすぐにでも来てほしい判断力の持ち主だ。
 しばらくして、女の子が出てきた。先ほどのような警戒の色はない。
「村長さんのおうち、つれて行ってあげる」
「ありがとう。ママは一緒じゃなくていいのかな?」
「うん。ママはいまおなかに赤ちゃんがいるから、しずかにしてなくちゃいけないの」
「へえ、お姉さんだね」
「……そう。みこ、おねえちゃんになるの」
 頬を紅潮させ照れる様子を見て、こういう面では普通の子なのだと知る。
 少女は、みことという名前らしい。ゆるやかな上りの砂利道を歩きながら、満欠村に関することをいくつか聞いた。
 村の教育機関は小学校一校のみで、中学以降は近隣市町村に進学する。幼稚園も隣町にあるが、送迎がかなりの負担になるため、ほとんどの子は幼稚園に行かない。
 幼少期に特殊な英才教育を施しているのではと考えていたが、予想とは真逆で、自然と集まった子供同士で自由に遊んで過ごすのが、この村のスタンダードらしい。
「みことちゃんは、何か得意ことはある?」
「みこはお歌が好きだよ」
 唇をうっすら開けて、大きく息を吸い込む。
「ド」と発声した瞬間、木々の隙間にいた小鳥が一斉に羽ばたいた。
「……はドーナツのド、レ、はレモンのレ」
 鳥たちが僕らの上空を旋回している。
 一点の曇りもない、みずみずしい声帯から紡ぎ出される音の渦に乗るように、歩みを進める僕らの頭上で、群れも一緒に移動している。
「ドレミファソラシド、ソ、ド」
 歌い終えるのと同時に、みことは足を止めた。指差した先にある標識には、岩ヶ岳とある。立派な石垣と風格のある門構えで、相当な資産家であろうことがうかがえた。
 みことに手を引かれ、鍵のあいたままの家に入る。長い廊下の手前にある和室へ通されると、いまどき珍しい着物姿の老人が、薄い白髪の頭を撫でながら、新聞を読んでいた。
 僕の姿を認めると、無言で新聞をたたみ、がっしりとした座卓の端に置いた。
「この度は取材をお受けいただきありがとうございます」
 頭を下げる僕に対して、村長は表情を変えないまま言った。
「キミはこの満欠村を『神童だけが生まれる村』だと信じているのかね?」
「ええと……失礼ながら、信じてはおりません」
「ほう?」
 村長は眉を少し上げた。しかしまだ疑いの色の濃い目をこちらに向けている。
「我が村に取材に来る余所者のほとんどが、このふたつのどちらかだと考えている。一、村民全員が、何らかの道に優れる特異体質を持つ。二、自然環境や独自の習わしで優秀に育つ確率が高い。……キミはどちらだね?」
「……どちらかというと一ですが、少し異なります」
「ほう。聞かせてもらおうか」
「実際の村民の皆様の成果として、非常に優秀な方が生まれることは、事実としてあると思います。有名大学、大企業、アスリート、アイドルグループ……満欠村ご出身の方がたくさんいますから。でも僕は、神童が生まれてるわけではないと思います。だって皆さん、ほんのちょっっっとだけ、ギリギリ足りないじゃないですか」
 村長が読んでいた新聞をチラリと見る。衆議院の補欠選挙で、満欠村出身の若手が当選したニュースだった。
「江戸時代まで遡っても、満欠村の方々は、肩書きだけを見たら、まぎれもない超エリート天才集団です。でも、皆さんのインタビューや歴史的資料を読み込むうち、僕は違和感を覚えました」
 尊重の眼光の鋭さは、首元に剥き出しの刀剣を当てられているような、冷たい死を予感させた。
 しかし僕は、確かめなければならない。そのために来た。
「慶応卒、すごいです。でも彼の第一志望は東大だった。東大卒の女史はハーバードに行きたかった。M-1で優勝したおふたりは、本当はNHK上方漫才コンテストがよかったとおっしゃっています。……皆さん、ちょっとずつ神童になりきれていない。天才しかいなくて、天才のハードルが高すぎるから、優れた遺伝子が無視されてしまう。そんな仮説を立てました」
 部屋の隅に静かに立っていたみことは、尊重のもとに駆け寄り、耳打ちした。
 村長はしばし考え込んだが、やがてうなずいた。
「キミに見せたい者が居る。秘密は守るか?」
「はい。僕は、書いてよいと言われたものしか書きません」
「よろしい。ついてきなさい」
 村長、みこと、僕の順で、廊下を歩く。広い日本庭園に沿うよう、L字の角を何度も曲がる。風雅なはずの枯山水は、技術が詰まりすぎて、恐怖感さえ与えるような迫力に仕上がっている。
 きっと作者が天才すぎて、度を超えてしまって、この庭も天才にはなれなかったのだろう。
「ここだ」
 村長が指さしたのは、廊下のどん詰まり、腰くらいの高さの鉄格子だった。
「この中に、我が村の唯一の望みがおる」
「望み……?」
「キミの察したとおり、この村の者は自分に貪欲で、成果に拘泥し、少しの足りなさを感じながら育ち死んでゆく。儂も、村長ではなく別のものになりたかったという思いが捨てられぬまま、この世を去るのだろう。しかしこれは違う」
 村長はしゃがみ、錆びた錠前を開けた。ゆっくりと開いた室内は窓ひとつなく、それでいて豪華絢爛な花が咲く純和室だった。
 部屋の隅にある布団が、もぞりと動く。黒い頭が出て、起き上がった少年は、天女のような白い肌の持ち主だった。
「そやつは儂の孫で、二百年以上のこの村の歴史の中で、最も優秀だ。十歳で、何もかもに秀でており、神童と呼べる可能性がある。全村民がこやつに期待している」
 少年は、琥珀のような美しい瞳をこちらに向けている。僕は身動きが取れない。こんなに美しい人間は初めて見た。
 もし顔の造作にも才能があるのなら、彼は間違いなく顔が天才だ。「ねえ」と言ったそのひと声の響きが天才だった。
「あなたはぼくと一緒に遊んでくれる人ですか?」
「あ……遊ぼうか?」
「では、鞠つきをしましょう。それとも、そろばんがいいですか?」
 吸い込まれるように、小さな鉄格子の中に入ってゆく。抗えない。天才未満しか生まれないこの村で、この子は、極めて未満性の低い、0.0001くらいの足りなさの天才だから、皆が期待している。
 まだ何も話していないのに、そう感じざるを得なかった。
「じゃあ、鞠つきにする?」
「分かりました。では鞠はあなたです。ぼくはつきますから、弾んでください」
「え?」
「鞠だってば。ねえ!」
 とんでもない力で胸ぐらを引き寄せられ、片手で頭を掴まれたと気づいた次の瞬間には、体が宙に浮いていた。
 僕は背中から思い切り鉄格子にぶつかった。
 金属が当たるけたたましい音がして、半身が板張りの廊下に飛び出す。
 涙目で顔を上げて畳ににじり寄ると、少年は藁半紙のような紙の束を大事そうに握りしめ、また布団に潜ろうとしていた。
「……あれが満欠村の希望じゃ。あれだけが、あれだけが唯一、神に許されておる。本当の神童になることを」
 少年はぶつぶつと、何語か分からない言葉をつぶやいている。多分、いくつかのかけ離れた言語を混ぜている気がした。
 澄んだ瞳が忘れられない。僕をたぐり寄せた手の血管の青さが忘れられない。ねえ、と言った瞬間の、この部屋の空気の全てが震えた感覚が忘れられない。
「村長さん、すみません。取材はやめます。その代わり、僕を彼の付き人にしてください」
 彼が本物になるまで、見届けたいと思った。そのためには、自分のくだらない人生など棒に振ってしまってかまわないと思った。
 何にでも秀でるという彼の天性の最たるは、人を狂わせることなのだろう。
 そんな予感を持ちながら、畳を這いつくばって、彼に近づいていった。




この作品は 古賀コン8 に参加しています。
お題『孤高の天才未満』
制限時間:1時間

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