『対馬の海に沈む』感想
『対馬の海に沈む』を読み終えた。
読み始める前は、一人のカリスマ営業マンが不正を重ね、最後には破滅していく物語だと思っていた。しかし読み終えた今、一番印象に残ったのは、西山という一人の人間よりも、彼を必要とした組織や共同体の姿だった。
西山は最初から怪物だったわけではない。
入職して間もない頃から、彼は不正すれすれの営業手法を先輩から教えられる。つまり、数字を作るためなら多少の無理は許されるという文化は、すでに存在していた。
西山一人が利益を得ていたわけではない。
やがて彼は、その文化を誰よりも極端な形で体現する人物になる。
営業所の仲間は、西山のおかげでノルマの苦しみから救われる。上司は営業所の成績が上がり、評価され、表彰される。地域の組合員も、共済金を多く受け取れることで西山を頼りにする。
多くの人が、西山の存在によって恩恵を受けていた。
だから誰も止められなかったし、止めようともしなかった。
西山は『ONE PIECE』の世界に強く共感していた
彼は、「仲間を守る人間」であった。
営業所の仲間、島の組合員。
自分だけが危険を引き受けた。
その構図は、どこか任侠や義賊の物語にも重なる。
もちろん、現実は漫画ではない。
彼がやっていたことは法を犯す行為であり、多くの問題を生んだ。
しかし本人の中では、「巨大な本体から利益を引き出し、地域へ還元している」という物語が成立していたのではないか。
だから周囲も彼を英雄として見た。
営業所から見れば、本部は給料を払ってくれる存在である一方、達成困難なノルマを押し付けてくる存在でもある。
そんな本部に対して、西山は数字を作り、仲間を助ける。
不正の疑いがあっても、「あの人がいなければ自分たちはもっと苦しい」という現実があった。
だから上司も依存する。
仲間も依存する。
地域も依存する。
西山は「組織が最も必要とする人間」になっていく。
しかし皮肉なことに、西山が数字を作り続けたことで、本部は営業所の目標を「達成可能な数字」だと考え続ける。
仲間を救うために行った行動が、結果としてノルマという仕組みそのものを延命させてしまう。
ここに、この事件の悲劇がある。
終盤、西山は自分の事業や投資にも踏み込み、共同体への還元よりも私的な側面が強くなっていく。
そこで歯車が狂い始める。
ただ私は、ここだけを切り取って「欲に負けた人」とは思えなかった。
むしろ、誰にも止められず、誰からも必要とされ続けた結果、自分だけは特別な存在だと信じ込んでしまった人だったように見えた。
『対馬の海に沈む』は、一人の営業マンの犯罪を描いた本ではない。
成果だけを求める組織。
数字に依存する管理職。
利益を受け取る共同体。
そして、そのすべてを背負わされた一人の営業マン。
西山は加害者だった。
しかし同時に、組織が長い時間をかけて育ててしまった「怪物」でもあった。
この本を読んで最後に残ったのは、「悪いのは西山だ」という単純な感想ではない。
一人の人間をそこまで追い込み、そこまで必要とし、最後には切り離してしまう組織や制度は、本当に変わったのだろうか。
そんな問いが、読み終えた今も頭から離れない。
