【 「どちらさま?」と言われた日 】 ── 母が私を忘れたとき、娘が選んだこと ──【 認知症 / 介護 / 家族 / エッセイ / 4コマ漫画 / AIイラスト / 画像生成AI / 創作日記 】
大切な人との関係は、記憶だけでつながっているのでしょうか。
「覚えていること」と「安心できること」について、ある母と娘の短いお話です。

🌿 覚えていてもらうことより、大切なこと
「お母さん。私のこと、分かる?」
もし、ずっと自分を育ててくれた母にそう尋ねて、
「ごめんなさいね……どちらさま?」
と返されたら。
きっと、胸の奥がぎゅっと締めつけられると思います。
名前を呼んでほしい。
娘だと思い出してほしい。
一緒に過ごしてきた時間まで、なくなってしまったように感じるかもしれません。
この4コマは、そんな瞬間から始まります。
「思い出して」は、誰のための言葉だろう
大切な人に忘れられることは、とても寂しいことです。
だからつい、
「私だよ」
「娘のことも忘れちゃったの?」
と、記憶の中から自分を探してもらいたくなります。
それは、とても自然な気持ちだと思います。
けれど、思い出せない本人にとってはどうでしょう。
目の前の人から「分かる?」「思い出して」と求められるたびに、
「分からない」
「思い出せない」
「自分は何か間違っている」
そんな不安を感じてしまうこともあります。
娘が欲しかったのは、「娘だ」と思い出してもらうこと。
でも母がその瞬間に必要としていたのは、
もしかすると正しい記憶ではなく、安心できる時間だったのかもしれません。
関係には、「名前」がなくてもいい瞬間がある
3コマ目で、娘は何かを言いかけてやめます。
そして、母の隣にある空いた椅子を見る。
ここが、この漫画でいちばん大切にしたかった場面です。
「私は娘なの」と教えることもできる。
「本当に忘れちゃったんだね」と悲しむこともできる。
でも娘は、別の答えを選びます。
「あなたのことが大好きな人です。隣に座ってもいい?」
娘という肩書きをいったん手放して、
母が今、受け取れる言葉に置き換えたのです。
「誰なのか」ではなく、
「あなたにとって安心できる人ですよ」
と伝える。
すると母は、
「まあ。それなら、ぜひ」
と笑います。
名前は思い出せなくても、
その人と一緒にいて心地いいと感じることはできる。
過去の関係が分からなくなっても、
今この瞬間の関係は、もう一度つくることができる。
私は、そんなことを描きたかったのです。
思い出してもらうことだけが、ゴールじゃない
認知症の人と過ごしていると、
「前はできていたのに」
「昨日は覚えていたのに」
「私のことまで忘れてしまったんだ」
そんなふうに、寂しさや悲しさを感じることがあります。
大切な人との思い出だからこそ、
忘れられてしまうのはつらいものです。
その気持ちを、無理に押し込める必要はありません。
ただ、思い出してもらうことだけを目標にしなくてもいいのだと思います。
たとえ名前を忘れられていても、
一緒に笑うことはできます。
親子だと思い出してもらえなくても、
隣に座って、お茶を飲んだり、穏やかな時間を過ごしたりすることはできます。
大切なのは、昔とまったく同じ関係に戻ることではなく、
「今、この人が安心していられるか」
「今、一緒に心地よく過ごせるか」
なのかもしれません。
記憶の中の関係が少しずつ変わっても、
その日の、その瞬間に合った新しいつながり方をつくることはできます。
💐 「知っている人」より、「安心できる人」でいたい
この漫画で伝えたかったのは、
「忘れられても平気」ということではありません。
忘れられれば、やっぱり寂しい。
傷つくことだってあります。
それでも、
「私のことを思い出して」
と求め続けるより、
「この人といると安心する」
そう感じてもらえる人でいることを選べる瞬間がある。
名前を忘れても。
関係を忘れても。
目の前の笑顔や、声のやわらかさや、
そばにいる安心まで、すべて消えてしまうとは限りません。
だから今日も、
「私は誰でしょう?」ではなく、
「隣にいてもいい?」
そんなふうに始められる時間があってもいい。
記憶の中でつながれない日には、
今この瞬間の安心で、もう一度つながればいい。
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