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【鞠智城】残念すぎる日本の名城 第108回|八角形の鼓楼が語る、古代九州の見えない最前線


はじめに

熊本県山鹿市と菊池市にまたがる丘陵の上に、ふしぎな姿の建物が立っています。

丸でも四角でもない、八角形の三層建物。
名前は、八角形鼓楼(はっかくけいころう)。

ここが今回の主役、鞠智城(きくちじょう)です。

鞠智城跡(歴史公園)

「城」と聞くと、多くの人は天守や石垣を思い浮かべるかもしれません。けれど鞠智城には、天守も、派手な石垣もありません。戦国武将のドラマも、熊本城のような圧倒的な迫力もありません。

それでも、ここには日本がまだ「国のかたち」を作り始めていた時代の緊張感があります。

鞠智城は、白村江(はくすきのえ)の戦いのあと、唐(とう)や新羅(しらぎ)からの侵攻に備えて築かれた古代山城です。大宰府(だざいふ)や大野城(おおのじょう)、基肄城(きいじょう)などを支える、九州防衛の後方基地だったと考えられています。

前線ではない。
けれど、前線を支える場所。

そこが鞠智城の渋さであり、少し残念で、たまらなく魅力的なところです。


1.鞠智城の歴史

鞠智城は、7世紀後半ごろにヤマト政権によって築かれた古代山城です。きっかけとなったのは、663年の白村江の戦いでした。

この戦いで、日本は唐・新羅の連合軍に敗れます。すると、「次は日本列島に攻めてくるかもしれない」という大きな不安が生まれました。

そこで九州北部には、大宰府を守るための防衛施設が築かれていきます。大野城、基肄城、水城(みずき)などがその代表です。

鞠智城は、それらの城に武器や食料を送る支援基地、あるいは補給基地だったと考えられています。大野城・基肄城・金田城などへ食料や武器、兵士を補給する支援基地だったと紹介されています。

歴史書にも鞠智城の名は登場します。『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、698年に大野城・基肄城・鞠智城を修理したという記録があります。つまり、698年にはすでに存在していたことになります。

現在の鞠智城跡は、歴史公園として整備されています。温故創生館(おんこそうせいかん)というガイダンス施設があり、復元建物や模型、展示を通して、古代山城の姿を学ぶことができます。

鞠智城のジオラマ(温故創生館)

城跡の広さは東京ドーム約12個分ともいわれ、発掘調査では多くの建物跡、貯水池跡、土塁跡などが見つかっています。

2.残念すぎる鞠智城

2.1 天守も石垣もないので、最初は「城?」となる

鞠智城を訪れて最初に感じる残念ポイントは、見た目がいわゆる「お城」ではないことです。

熊本城のような天守を期待して行くと、肩すかしを食らうかもしれません。石垣も、堀も、櫓も、戦国時代の城とはまったく違います。

あるのは、広い芝生、復元建物、土塁、そして遠くへ広がる丘の風景。

八角形鼓楼と米倉

けれど、ここでがっかりしてはいけません。
鞠智城は、戦国の城ではなく、飛鳥時代から奈良時代へ続く古代の城です。

つまり、見るべきものが違うのです。
刀ではなく、国家防衛。
武将ではなく、ヤマト政権。
一国一城の主ではなく、東アジアの緊張。

目を少し古代に合わせると、静かな芝生の向こうに、1300年前の国防の影が見えてきます。

2.2 広すぎて、どこを見ればよいか迷う

鞠智城跡はとても広大です。

整備された歴史公園として歩きやすい反面、広すぎて、現地では「結局どこが城の中心なのだろう」と迷いやすいところがあります。

特に、古代山城の土塁や地形は、戦国の山城に慣れている人でも読み取りにくいかもしれません。案内板を見れば説明はありますが、何も知らずに歩くと、ただの気持ちのよい公園に見えてしまう危険があります。

歴史公園鞠智城案内図

これは残念ですが、逆に言えば、鞠智城は「先に学ぶほど楽しくなる城」です。

まず温故創生館に入り、鞠智城の役割や復元建物の意味を頭に入れる。
それから外を歩く。

この順番にするだけで、風景の見え方が変わります。芝生はただの芝生ではなく、古代国家の兵站基地の跡になります。丘の風は、ただの風ではなく、防人(さきもり)たちの息づかいになります。

2.3 八角形鼓楼が目立ちすぎて、ほかの遺構が控えめに見える

鞠智城といえば、やはり八角形鼓楼です。

これは本当に目立ちます。
遠くからでもすぐにわかる、鞠智城のシンボルです。

その一方で、米倉、兵舎、板倉、土塁、貯水池跡など、ほかの見どころが少し地味に見えてしまうところがあります。

兵舎の復元建物
(内部は展示施設)

しかし、八角形鼓楼だけを見て帰るのはもったいないです。

鞠智城では、国内の古代山城では珍しい八角形建物跡が見つかっており、韓国の二聖山城にも似た例があるとされています。復元された八角形鼓楼は高さ15.8メートル、瓦の重さは約76トン。時を告げ、見張りの役を担う建物として復元されています。

ただの記念建物ではありません。
礎石や柱の痕跡、発掘成果をもとに、古代の技術と大陸とのつながりを考えさせる建物なのです。

2.4 「補給基地」という役割が地味すぎる

鞠智城は、大野城や基肄城のような前線の城と比べると、どうしても印象が地味です。

敵を迎え撃つ最前線というより、食料や武器を送り、後ろから支える場所。いわば古代の物流センターであり、軍事倉庫であり、サポート拠点です。

現代風にいえば、表舞台に立つヒーローではなく、舞台裏で公演全体を支える職人のような存在です。

板倉復元建物

残念ながら、こういう役割は派手に語られにくい。

けれど、戦いは前線だけでは成り立ちません。
食べ物がなければ兵は動けず、武器がなければ守れず、情報が届かなければ判断できません。

鞠智城の地味さは、実は古代国家の現実そのものです。

3.それでも魅力的な鞠智城の見どころ

3.1 八角形鼓楼の異国感

鞠智城最大の見どころは、やはり八角形鼓楼です。

日本の城めぐりをしていても、八角形の鼓楼に出会うことはほとんどありません。戦国の城とも、近世の城とも違う、どこか大陸の風が混じった姿をしています。

この建物の面白さは、「変わった形だな」で終わらないところです。

八角形建物・鼓楼の模型
(温故創生館)

八角形建物跡は、国内の古代山城では類例が少なく、韓国の二聖山城との関連も注目されています。つまり、この建物を見ることは、古代日本が朝鮮半島や中国大陸と深く関わっていた時代を見ることでもあります。

百済系菩薩立像(レプリカ)
鞠智城跡で出土

青空の下に立つ八角形鼓楼は、どこか物語の塔のようです。
しかしその奥には、東アジアの緊張と交流の歴史が眠っています。

3.2 米倉・兵舎・板倉から見える「暮らす城」

鞠智城では、八角形鼓楼のほかに、米倉、兵舎、板倉なども復元されています。

ここがとても面白いところです。

戦国の城では、どうしても戦う姿を想像しがちです。しかし鞠智城では、食料を保管する、兵が寝起きする、物を管理する、という日常の姿が浮かびます。

米倉復元建物

防人たちは、ここで何を食べ、どんな話をし、遠い故郷を思ったのでしょうか。

米倉を見れば、兵站の大切さがわかります。
兵舎を見れば、人が暮らしていたことがわかります。
板倉を見れば、武器や道具を守る現実が見えてきます。

鞠智城は、戦う城である前に、支える城でした。

3.3 台地からの眺めがよい

鞠智城は丘陵上に築かれています。そのため、周囲の見晴らしがよく、天気のよい日には遠く雲仙普賢岳を望むこともできると紹介されています。

この眺めは、ただ美しいだけではありません。

古代の人々にとって、見晴らしのよさは防衛に直結します。遠くを見ることは、危険を早く知ることでした。

鞠智城からの眺め
この日の視界はイマイチでした

城間をのろしで情報が伝えられたという話もあります。ただし、具体的な伝達時間については、今回確認できる公式資料では見つけられませんでした。

それでも、丘の上に立って遠くを眺めると、煙が山から山へ、情報を運んでいく光景を想像したくなります。

スマホも無線もない時代。
空に上がる一筋の煙が、国の運命を知らせたのかもしれません。

3.4 歴史公園としての整備が美しい

鞠智城は、史跡であると同時に、歴史公園として整備されています。

芝生は広く、復元建物も見やすく、温故創生館では展示や映像で学ぶことができます。料金が無料なのもありがたいところです。

ここで気になるのが、熊本県の「くまもとアートポリス」との関係です。

くまもとアートポリスは、細川護熙(ほそかわ・もりひろ)熊本県知事時代に始まった、建築や都市環境を文化として高めようとする事業です。1988年から熊本県が進めてきた取り組みで、公共建築にも質の高いデザインを取り入れようとした点で知られています。

ただし、鞠智城の歴史公園整備そのものが、くまもとアートポリスの事業として行われたと確認できる資料は、今回見つけられませんでした。

とはいえ、鞠智城の整備には、ただ遺跡を保存するだけでなく、風景として美しく見せ、学びの場として開いていく姿勢があります。そこには、熊本らしい文化的な公共空間をつくろうとする精神が、どこか通っているようにも感じられます。

4.残念ポイントを逆手に取った楽しみ方

4.1 「城っぽくない」を楽しむ

鞠智城では、天守や石垣を探すよりも、「古代の城とは何か」を考えるのがおすすめです。

土塁、建物跡、倉庫、兵舎、見張り。
これらを一つずつ見ていくと、城の意味が広がります。

長者館(カフェ、土産物)

城とは、殿様が住む場所だけではありません。
国を守る仕組みそのものでもあります。

そう考えると、鞠智城の地味さは、むしろ深みになります。

4.2 温故創生館を先に見る

鞠智城を楽しむなら、まず温故創生館に入るのがおすすめです。

展示を見てから外に出ると、復元建物の意味がわかります。
なぜ八角形なのか。
なぜ米倉が大切なのか。
なぜここが補給基地だったのか。

温故創生館

知識を少し入れるだけで、風景が急にしゃべり始めます。

鞠智城は、予習にやさしい城です。
そして、予習した人には、ちゃんとごほうびをくれる城です。

4.3 夕方の八角形鼓楼を見る

時間が合えば、夕方の鞠智城もおすすめです。

西日を受ける八角形鼓楼は、昼間とは違う表情になります。芝生の緑が少し落ち着き、古代の塔が影を伸ばすと、そこに1300年の時間が重なります。

八角形鼓楼跡

派手なライトアップではなく、自然の光で見る古代山城。

これがまた、しみじみよいのです。

鞠智城は、騒がしい城ではありません。
静かに立っていると、遠い時代の足音が、風に混じって聞こえてくるような城です。

まとめ

鞠智城は、わかりやすい城ではありません。

天守はない。
石垣もない。
戦国武将の華やかな物語も少ない。
補給基地という役割も、少し地味です。

けれど、その地味さこそが鞠智城の魅力です。

ここには、白村江の敗戦後、日本が必死に国を守ろうとした時代の記憶があります。大宰府を守るため、大野城や基肄城を支えるため、武器や食料を送り、人を動かし、情報をつなぐ。そんな古代の巨大な防衛ネットワークの一部が、鞠智城でした。

八角形鼓楼は、その象徴です。
青空の下に立つ不思議な塔は、ただの復元建物ではありません。日本がまだ若い国だったころ、海の向こうを見つめながら築いた、祈りのような防衛施設なのです。

鞠智城は、派手ではありません。
でも、静かに深い。

残念すぎるほど地味で、
残念すぎるほど古代で、
だからこそ、忘れがたい城です。

熊本の丘の上で、八角形の鼓楼は今日も風を受けています。
その風は、もしかすると1300年前の防人たちが見上げた空から、まだ吹いているのかもしれません。


参考資料

鞠智城・温故創生館 公式サイト
URL:https://kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/

Wikipedia「鞠智城」
URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/鞠智城

デジタル城下町「鞠智城(熊本県山鹿市)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド」
URL:https://note.com/digitaljokers/n/n9c75920d7375


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