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【清洲城】残念すぎる日本の名城 第103回|天下取りの出発点!信長の夢が橋の向こうに残る城


はじめに

愛知県清須市にある清洲城(きよすじょう)

この城の名前を聞くと、すぐに織田信長を思い浮かべる人も多いでしょう。信長が那古野城(なごやじょう/なごのじょう)から移り、桶狭間の戦いへと出陣し、天下取りへの第一歩を踏み出した城。それが清洲城です。

しかも本能寺の変のあとには、織田家の後継ぎをめぐって「清須会議」が開かれました。つまり清洲城は、信長の時代が始まり、そして信長亡きあとの時代が動き出した場所でもあります。

ところが、実際に訪れてみると、ある疑問が頭をよぎります。

立派な「清洲城天主閣」はあります。赤い橋もあります。景色も美しい。けれど、歩いているうちに気づくのです。

「あれ? 本当の城跡は、どこ?」

現在の建物は、清洲城を象徴するために建てられた模擬天守です。しかも、実際の清洲城の中心部は、天主閣とは少し離れた場所にあったと考えられています。

清洲城天主閣(模擬天守)
犬山城を思わせる望楼型の模擬天守

清洲城は、歴史の大きさに比べて、現地での手がかりが少しつかみにくい城です。そこが、なんとも残念で、そして逆におもしろいところでもあります。

今回は、「天下取りの出発点」清洲城の魅力と、現地で感じる残念ポイントを前向きに見ていきます。

なお本記事では、清洲城の公式表記「清洲城天主閣」に合わせ、また信長の城を語る雰囲気を大切にするため、一般的な「天守」ではなく「天主」という表記を中心に用います。



1.清洲城の歴史

清洲城の歴史は、室町時代にさかのぼります。尾張国の中心に位置し、守護所として重要な役割を担っていました。

歴史が大きく動くのは、弘治元年(1555年)のことです。織田信長が那古野城から清洲城に入り、ここから尾張をまとめ上げます。そして永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元を破りました。

清洲城は、信長が天下へ向かって走り出した出発点でした。

その後、信長は小牧山城・岐阜城・安土城へと本拠を移していきます。しかし清洲城の重要性は失われません。本能寺の変のあと、天正10年(1582年)には清須会議が開かれ、羽柴秀吉が主導権を握り、次の時代の流れが決まっていきました。

さらに信長の次男・織田信雄によって城は大改修され、天主を備えた巨大な城郭都市へと発展しました。清須市の説明によれば、東西約1.6キロ、南北約2.8キロにも及ぶ規模だったとされます。城だけでなく、町そのものが城の中にあるような大きな都市でした。

しかし江戸時代に入ると、徳川家康が名古屋城を築きます。そして清洲の町は、城下町ごと名古屋へ移されました。これが有名な「清須越し」です。

清洲城は、天下の動きを何度も見届けながら、最後は町ごと姿を消した城でした。


2.残念すぎる清洲城

2.1 模擬天守は立派だが、本来の城の中心とは少し違う

現在の清洲城には、平成元年(1989年)に建てられた「清洲城天主閣」があります。赤い大手橋と模擬天守が並ぶ姿は美しく、写真映えも抜群です。

ただし、歴史好きとしては少し戸惑います。

清洲城天主閣が建つ場所は、かつての本丸そのものではないとされています。実際の城の中心部は、五条川をはさんだ清洲公園側にあったと考えられているのです。

清洲公園から見た「清洲城天主閣」

つまり、いま目の前に見える建物は「ここに信長がいた!」という場所そのものに建つ天主ではなく、清洲城を象徴するために建てられた模擬天守なのです。

これは少し残念です。

けれど逆にいえば、清洲城では「見えている城」と「眠っている城」を分けて楽しむことができます。模擬天守を入口にして、本当の城跡を探す。そう考えると、清洲城歩きは一気に探偵気分になります。

2.2 閉館後に行くと、入口が消えたように感じる

清洲城天主閣の開館時間は午前9時から午後4時30分までです。遅めに到着すると、中に入れないことがあります。

これが現地では、なかなか残念です。

建物は見えている。館内に人の気配もある。けれど入口がどこなのか、開いているのか閉まっているのか、少しわかりにくく感じることがあります。

夕方の清洲城は美しいです。五条川にかかる橋、赤い欄干、空の色。絵としては最高です。しかし、展示を見るつもりで行くと、入口を探してうろうろすることになりかねません。

営業時間の案内

清洲城は、夕暮れには姿を見せるけれど、内部の門は静かに閉じる城です。訪問するなら、時間に余裕をもって行くことをおすすめします。

2.3 JR清洲駅から歩くと、思ったより遠い

清洲城の最寄駅は、JR清洲駅または名鉄新清洲駅です。観光案内では徒歩15分ほどとされています。

ただ、実際に歩くと、意外に長く感じます。

駅を出てすぐに観光地らしいにぎわいがあるわけではなく、道中にコンビニや飲食店が並んでいるわけでもありません。暑い日、寒い日、荷物がある日には「近いようで、なかなか着かないな」と感じるかもしれません。

JR清洲駅から新幹線沿いの道へ

しかも、清洲城は遠くからちらりと見えるため、余計に距離感が狂います。

見えているのに、まだ着かない。

城めぐりではよくある現象ですが、清洲城もなかなかの実力者です。信長なら馬で駆けたかもしれませんが、現代の旅人はスニーカー必須です。

2.4 周辺に食事処や休憩場所が少なめ

清洲城周辺は、名古屋に近い観光地としては、かなり落ち着いた雰囲気です。それは魅力でもありますが、食事や休憩を考えると少し残念です。

城のすぐ近くに、観光地らしい飲食店がずらりと並んでいるわけではありません。お昼どきに何も考えずに行くと、「さて、どこで食べよう」と迷うことがあります。

公共交通機関で訪れる場合は、飲み物や軽い食べ物をあらかじめ用意しておくと安心です。

ただし、この静けさこそ清洲城らしさでもあります。派手な観光商店街ではなく、町の中に歴史がすっと残っている。そんな控えめな空気が、清洲城にはあります。


3.それでも魅力的な清洲城の見どころ

残念ポイントをひと通り見てきました。しかし清洲城には、だからこそ行きたくなる魅力があります。

3.1 信長の「天下取りの出発点」を体感できる

清洲城最大の魅力は、やはり織田信長です。

信長はこの城を拠点にし、桶狭間の戦いへと向かいました。大軍の今川義元を破ったことで、信長の名は一気に世に広がります。

清洲城に立つと、信長がまだ「天下人」ではなかったころを想像できます。大きな夢を持ちながら、まだ尾張の若き戦国大名だった信長。その出発点がここにあります。

信長塀

安土城のような完成された権力の城ではありません。岐阜城のように高い山上から天下を見下ろす城でもありません。清洲城は、まだ走り出す前の熱を持った城です。そこがいいのです。

3.2 赤い大手橋と模擬天守の眺めが美しい

清洲城といえば、赤い大手橋越しに見る模擬天守の風景です。

五条川にかかる橋を渡りながら城を眺めると、まるで絵巻物の入口に立ったような気分になります。史実に基づいて復元された天主ではありませんが、赤い橋・水辺・白壁が組み合わさることで、印象的な景色が生まれます。

大手橋と「清洲城天主閣」

とくに晴れた日や桜の季節は、思わず写真を撮りたくなる場所です。

歴史考証の厳密さをいったん横に置けば、清洲城は「見せ方」がとても上手な城です。歴史の舞台を現代の人に届けようとする、その心意気が感じられます。

3.3 清洲公園側に本当の城跡の気配が残る

清洲城を訪れたら、天主だけで帰るのはもったいないです。

五条川を渡った清洲公園側には、清洲古城跡の碑や、織田信長をまつる社などがあります。ここに立つと、観光用に整えられた天主閣とは違う、静かな城跡の空気が感じられます。

清洲古城址の石碑

派手な石垣や大きな堀が残っているわけではありません。むしろ、城跡としては少し物足りないくらいです。

しかし、その物足りなさの中に、清須越しの歴史があります。城も町も名古屋へ移され、かつての繁栄は地面の下や地名の中に残りました。

何もないように見える場所で、何があったのかを想像する。清洲城は、想像力で歩く城です。

3.4 清須越しを知ると、名古屋城との関係が見えてくる

清洲城の魅力は、清洲城だけで完結しません。

江戸時代に名古屋城が築かれると、清洲の城下町は名古屋へ移されました。これが清須越しです。現在の名古屋の城下町の原点には、清洲の町が深く関わっています。

清洲城を見たあとに名古屋城へ行くと、景色の見え方が変わります。

「名古屋は突然生まれた大都市ではなく、清洲から運ばれた歴史の上にある」

信長と濃姫の像

そう思うと、清洲城は名古屋城の前史として、ぐっと重要に見えてきます。地図の上では静かな場所にありますが、日本史の流れの中ではとても大きな役割を果たした城です。


4.残念ポイントを逆手に取った楽しみ方

残念な点がわかっていれば、準備と工夫で清洲城はもっと楽しめます。

4.1 「模擬天守」と「本当の城跡」を分けて歩く

清洲城を楽しむコツは、現在の清洲城天主閣だけを見て終わらないことです。

まずは赤い大手橋と模擬天守を楽しむ。展示を見て、信長や清須会議の流れをつかむ。そこから五条川を渡り、清洲公園側へ歩く。

清洲公園の案内図

この順番で歩くと、清洲城の見え方が変わります。目に見える城から、目に見えにくい城へ。観光の城から、記憶の城へ。まるでページをめくるように、清洲城の奥行きが出てきます。

4.2 夕方は外観撮影、入館は昼間と決める

清洲城は、夕方の外観が美しい城です。

ただし、天主閣の中を見たいなら、早めの時間に行くのが安全です。閉館時間を過ぎると、せっかく来ても展示を見ることができません。

おすすめは、昼間に入館して展示を見て、夕方に外から撮影する流れです。昼の清洲城で歴史を学び、夕方の清洲城で余韻を味わう。信長の野望も、秀吉の政治劇も、夕暮れの五条川に少しやわらかく溶けていきます。

4.3 食事と飲み物は事前に準備しておく

JR清洲駅や名鉄新清洲駅から歩く場合、飲み物は先に用意しておくのがおすすめです。

清洲城周辺は落ち着いた環境なので、観光地のように何でもすぐ買えると思っていくと、少し困ることがあります。

逆に準備して行けば、ゆっくり歩けます。五条川沿いや清洲公園で休みながら、かつての城下町に思いをはせる。清洲城は、急いで消費する観光地ではありません。少し不便なくらいが、むしろ歴史の余白を感じさせてくれます。


まとめ

清洲城は、残念な点の多い城です。

現在の清洲城天主閣は、本来の城の中心部とは少し離れた場所に建つ模擬天守です。城跡らしい遺構は多くありません。駅から歩くと意外に距離があり、周辺の飲食店も多くはありません。閉館時間を過ぎると、入口を探して少し迷うこともあります。

けれど、それでも清洲城は魅力的です。

ここは信長が天下へ向かって走り出した場所です。そして本能寺の変のあと、次の時代が動き出した清須会議の舞台でもあります。

清洲城は、目に見えるものより、見えないものが大きい城です。

赤い橋を渡りながら模擬天守を眺める。五条川を越えて古城跡へ向かう。何もないように見える場所で、かつての巨大な城郭都市を想像する。

そこに、清洲城の本当のおもしろさがあります。

残念だからこそ、想像がふくらむ。 清洲城は、歴史の余白に信長の足音が残る城なのです。



参考資料

清洲城公式ページ|清須市「清洲城」

Wikipedia「清洲城」

デジタル城下町「愛知十城~愛知県を代表するお城一覧リスト by マカミ」


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