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【引田城】残念すぎる日本の名城 第122回|海へ下り、石垣へ登る。播磨灘を望む“歩いてわかる海城”

はじめに

こんにちは。「残念すぎる日本の名城」シリーズ第122回は、香川県東かがわ市の引田城(ひけたじょう)を取り上げます。

引田城本丸跡

引田城は、播磨灘へ突き出した標高約82メートルの城山に築かれた海城です。三方を海に囲まれ、本丸からは引田港や古い町並みを一望できます。戦国時代末期の野面積み(のづらづみ)の石垣が残り、平成29年(2017年)には続日本100名城、令和2年(2020年)には国史跡に選ばれました。

ところが、実際に歩いてみると、この城はなかなか素直ではありません。

岩場は滑りやすく、本丸から化粧池、引田鼻灯台へ下ったと思えば、今度は北二の丸へ向かって再び登ります。やっと石垣にたどり着いても、一部が保護シートに覆われていることもあります。

しかし、この少々手ごわい道のりこそが引田城の魅力です。平らに整えられた観光城ではなく、岩山と海をそのまま城に変えた戦国の空気が、足の裏から伝わってきます。

今回は、現地を歩いたからこそわかる「残念ポイント」と、それを上回る見どころを紹介します。


1.引田城の歴史

引田城の始まりについては諸説ありますが、室町時代末期には、讃岐東部に勢力を持った寒川(さんがわ)氏に従う四宮(しのみや)氏の城であったと伝えられています。その後、阿波の三好氏による侵攻などを受け、城主はたびたび変わりました。

天正年間には豊臣秀吉の家臣・仙石秀久が入りますが、長宗我部元親の軍勢との戦いに敗れて退きます。その後、秀吉の四国平定を経て、天正15年(1587年)に讃岐一国を与えられた生駒親正が引田城へ入りました。

引田城跡の城山園地案内図

ただし、引田は讃岐の東に寄りすぎていました。親正はほどなく聖通寺城へ移り、さらに高松城を築いて政治の中心とします。生駒氏は高松城を本城とし、西の丸亀城、東の引田城を、国境を押さえる支城として位置づけました。引田城は阿波との国境に近く、瀬戸内海を行き交う船を見張るうえでも重要な場所だったのです。

現在残る野面積みの石垣は、この生駒氏の時代に築かれたものと考えられています。石垣は各曲輪に点在し、総延長は約600メートルに及びます。讃岐における織豊系城郭の広がりを考えるうえでも、貴重な遺構です。

しかし元和元年(1615年)、一国一城令によって引田城は廃城となりました。石垣は残りましたが、建物は失われ、城山は長い眠りについたのです。

2.残念すぎる引田城

2.1 岩場の登りが滑りやすい

引田城は標高だけを見れば、それほど高い山城ではありません。ところが登城路には、岩が露出した場所や急な坂道があります。

特に雨の後は、土だけでなく岩の表面も滑りやすくなります。落ち葉が積もった場所では足元の段差も見えにくく、「低い山だから大丈夫」と油断すると、思った以上に慎重な歩き方を求められます。

岩場の道

城跡の案内でも、動きやすい靴と服装で登ること、遊歩道以外へ入らないことなどが呼びかけられています。

少々残念ではありますが、この歩きにくさは、岩山を防御に利用した城の強さそのものです。登りにくいと感じるたびに、「攻める側はもっと大変だった」と想像できます。

2.2 本丸から灯台へ下った後、また登る

引田城散策の大きな難所は、本丸に着いて終わりではないことです。むしろ、そこからが本番です。

本丸から化粧池へ向かう道は一気に下ります。さらに進むと引田鼻灯台へ出ますが、その先にある三の丸や北二の丸へ向かうには、再び坂を登らなければなりません。

化粧池

「本丸まで登ったのだから、あとは下るだけ」と思っていると、海辺まで下がった標高をもう一度取り返すことになります。

本丸、化粧池、灯台、北二の丸を一周するコースは変化に富んでいますが、体力も必要です。城をひとつ見に来たつもりが、軽い山歩きと海辺散策を同時に行うことになります。引田城は、見学者にも簡単には城内を歩かせてくれません。

2.3 美しい青石の石垣なのに、場所によっては見つけにくい

引田城の石垣を間近で見ると、灰色一色ではなく、青緑色を帯びた石が多く使われていることに気づきます。

これらは一般に「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩系の石材と紹介されることがあります。引田は阿波国との境に近く、海上交通にも恵まれていたため、阿波方面の石材や石積み技術との関係を想像させます。

北二の丸の石垣

ただし、引田城の石垣は、丸亀城のように遠くから全体を見渡せるわけではありません。木々の間や曲輪の斜面に分かれて残り、草や苔に覆われている部分もあります。案内図を確認せずに歩くと、貴重な石垣のすぐ近くを通りながら、その存在に気づかないこともあります。

自然の岩盤と石垣の境目がわかりにくい場所もあり、「ここから先は人が積んだのだろうか」と迷うのも、引田城ならではの体験です。

見つけにくいのは残念ですが、森の中から青緑色の石垣が突然現れる瞬間には、宝物を発見したような喜びがあります。雨上がりには石の色が濃くなり、苔や周囲の緑と溶け合って、引田城ならではの美しい景観を見せてくれます。

2.4 北二の丸上段石垣が保護されている

引田城を代表する見どころのひとつが、北二の丸の高石垣です。上段は高さ約2~3メートル、下段は約5~6メートルあり、大きな石を用いた野面積みを見ることができます。

ところが東かがわ市の観光案内では、北二の丸の上段石垣について、史跡保存のためシートで養生していると案内されています。

せっかく登ったのに、石垣の一部が見えにくいのは残念です。しかし石垣は、一度崩れると元の状態を正確に戻すことが難しい遺構です。見えない期間があるのは、未来へ残すための休養期間と考えたいところです。

3.それでも魅力的な引田城の見どころ

3.1 青緑色に輝く野面積みの石垣

引田城最大の魅力は、戦国時代末期に築かれたと考えられる野面積みの石垣です。

野面積みとは、自然石を大きく加工せず、その形を生かして積み上げる方法です。一見すると粗く見えますが、大きな石の隙間に小さな間詰石(まづめいし)を入れ、斜面を支えています。

野面積みの石垣

引田城の石垣は、石の青色に苔や木々の緑が重なり、城山の風景へ溶け込んでいます。とりわけ北二の丸の石垣は規模が大きく、下から見上げると、自然の岩壁と人工の石垣が一体になったような迫力があります。

讃岐で織豊系の石垣が導入されていく初期の姿を伝える遺構であり、高松城や丸亀城へ続く讃岐の石垣文化を考えるうえでも重要です。

3.2 本丸から見下ろす引田の町並み

本丸からは、引田港と町並みを一望できます。海だけでなく、港、家並み、背後の山々まで見渡せるため、城が町と海を同時に押さえていたことがよくわかります。

引田港

引田は、瀬戸内海の海運によって栄えた町です。城下には古い商家や細い路地が残り、赤い壁で知られる醤油蔵「かめびし屋」や讃州井筒屋敷など、歴史ある町並みを歩くことができます。

山頂から町を眺め、下山後にその町を歩くと、引田城が単独の山城ではなく、港町を守り見張る城だったことが実感できます。

3.3 城内に残る化粧池

本丸から急な道を下ると、木々に囲まれた化粧池があります。

城のお姫様や女性たちが、この水を化粧に使ったという伝承から名づけられました。しかし、化粧池は単なる風雅な場所ではありません。岩山の城では水の確保が難しいため、雨水を蓄える人工の貯水池として築かれたと考えられています。

華やかな名前の裏側に、籠城に備える切実な役割が隠されているのです。

石垣、池、斜面を見比べると、城づくりが建物だけではなく、水をどう確保するかまで含んだ大事業だったことがわかります。

3.4 灯台から望む播磨灘と島々

化粧池からさらに下ると、海の気配が濃くなり、引田鼻灯台へたどり着きます。

引田鼻灯台

灯台からは播磨灘を望み、天候がよければ淡路島や鳴門海峡へ続く海の道を見渡せます。現在の灯台は昭和29年(1954年)に初点灯しましたが、この場所が海上交通を見張る地点として重要であることは、城の時代から変わっていません。

灯台からの眺望
(通念島と淡路島方面)

城跡の途中で灯台に出会うのは、少し不思議な体験です。しかし、戦国の城と近代の灯台は、どちらも海を見つめるために置かれました。

引田城では、時代の異なるふたつの「見張り」が、同じ岬の上で重なっています。

4.残念ポイントを逆手に取った楽しみ方

4.1 高低差を城の防御装置として歩く

引田城では、坂道や急な下りを単なる移動と考えないことが大切です。

本丸から化粧池へ下り、灯台から三の丸、北二の丸へ登り返す道を歩くと、各曲輪が同じ高さに並んでいないことがわかります。

疲れを感じた場所では立ち止まり、「ここを攻め上がるなら、どこから矢や石が飛んでくるだろう」と考えてみましょう。息切れさえも、城の仕組みを理解する手がかりになります。

4.2 石垣を探す宝探しにする

石垣が森の中に点在しているなら、石垣探しそのものを目的にしてしまいましょう。

大きな石だけを見るのではなく、隙間に詰められた小石、石垣の角、岩盤とのつながりにも注目します。本丸、北二の丸、化粧池付近では、石の大きさや積み方にも違いがあります。

城内マップと現在地を照らし合わせながら歩けば、一周したときには引田城の形が頭の中に浮かび上がってきます。

4.3 城山と引田の町を一つの物語として歩く

引田城の見学は、城山だけで終わらせるともったいないことです。

かめびし屋

本丸から見下ろした港へ下り、古い町並みを歩いてみましょう。山上では戦国時代の石垣、海辺では灯台、町では醤油蔵や商家に出会えます。

坂道で疲れた後に静かな町を歩くと、城の厳しさと港町の穏やかさが、鮮やかな対照を描きます。

讃州井筒屋敷
(ここに続100名城スタンプ設置されています)

引田城は「山の上の城跡」ではなく、海、港、城下町まで含めて味わうことで完成する城なのです。

まとめ

引田城には、天守も櫓も残っていません。登城路は滑りやすく、本丸から海辺へ下った後には、北二の丸へ向かって再び登らなければなりません。石垣は森の中に隠れ、一部は保存のためシートに覆われています。

けれども、その歩きにくさや見つけにくさは、引田城が岩山の地形をそのまま利用した本物の海城である証です。

緑に包まれた野面積みの石垣、静かに水をたたえる化粧池、播磨灘を見張る灯台。そして本丸から望む引田港と町並み。

引田城では、城を見るだけでなく、城山を上り下りすることで、その役割を体で理解できます。

楽ではありません。しかし、楽ではないからこそ、下山した後も道の一つひとつが心に残ります。

潮の音を聞きながら石垣を探す――引田城は、歩いた人にだけ静かに全貌を明かす城なのです。


参考資料



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