オレンジハウスで鳴り続けたインターフォンの正体
20代前半の時、2歳年上の友達とルームシェアをしていた。築年数の経ったアパートに、オレンジ色の可愛いインテリアを少しずつ揃え、カフェのような家「オレンジハウス」と名付けていた。
始めたばかりのわたしは、超がつくほどの怖がりだった。昔、家に泥棒が入ったことがあり、ニュースで物騒な話題を耳にするたびに、「いつ自分の身に何が起こるかわからない」と本気で思っていた。
家族に家の前まで送ってもらい、オレンジハウスに帰った日のこと。荷物を置いて手を洗っていると、インターフォンが鳴った。怖がりだったわたしは、一度では出なかった。何度か鳴るようなら宅配便かもしれないし、そのとき出ようと思って、自分の部屋に戻った。
けれど、その日は止まらなかった。ピンポン、ピンポンピンポン……と、だんだん激しくなる。見えにくいわたしにはドアの向こうの様子はわからないし、モニターもはっきり見えない。聞こえにくさもあるから、外で何か声がしていても判然としない。ただ音だけが続いていて、そのことが余計に不安を大きくした。
友達が帰る時間でもないし、怖い。ケータイを手に取ることもできず、わたしは部屋の中で小さくうずくまって震えていた。
それでも一向にやまない。最初はゆっくりだったインターフォンが、焦ったように速くなる。さすがにしつこすぎると思い、勇気を出してドアを開けた。もし怖い人だったら叫ぼう、と本気で思いながら。
そこにいたのは、心配そうな顔をした母だった。忘れ物を届けに来てくれたのに、何度鳴らしても出ないし、ケータイもつながらない。母は母で「何かあったのでは」と不安になり、鳴らし続けてしまったらしい。
あのときは、鳴り続けていたからこそ出ざるを得なかった。でも結果的に母で、ほっと力が抜けたのを覚えている。
それからは、インターフォン=母かもしれない、と思うようになり、あれほど怖かった音が少しだけやわらいだ。
インターフォンには出られるようになったけれど、今度は別の困りごとが増えた。出てしまうと勧誘の場合が多く、うまくかわせなくて長い時間話を聞いてしまうこともある。
聞こえにくくて何を言っているのかわからないこともある。相手は勧誘だからしゃべり続けているのに、わたしの反応があまりに悪くて、「スミマセン、日本人ですか?」と言われたこともあった。
ショックだった。聞き取れていないだけなのに、見えない・聞こえにくいということは外からは伝わらないのだと実感した瞬間だった。
あの頃のわたしは、インターフォンが鳴ったら出ないといけないものだと思っていた。出ないのは失礼なことのように感じていた。
でも今は少し違う。防犯のこともあって、むやみに出ないようにしている。平気で何にでも出るのも、やっぱり違うと思うから。
見えにくさや聞こえにくさのあるわたしが応対することで、「この家には目の見えにくい人がいる」「耳の聞こえにくい人がいる」という情報を、知らず知らずのうちに渡してしまうかもしれない。
それは、自分や子ども、家族を守るためにも、あまりよくないのではないかと考えるようになった。
怖くて震えていた20代のわたしも、今のわたしも、どちらも自分を守ろうとしていたのだと思う。
インターフォンはもう怖くない。それは、あの日わたしを守ってくれた存在を、どこかで感じているからかもしれない。
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わたしは弱視・難聴の当事者で、小4の息子の母。学校や企業で、楽しみながら障害や人権を学べる授業や研修も行っています。愛犬のトイプードルと過ごしたり、カフェ巡りや子どもとのお出かけ、ドラマや映画、読書、LINEマンガを楽しむこともあります。
ただ、見えにくくて聞こえにくいだけの、ひとりの母です。
このnoteでは、そんなわたしの日常や、誰も取り残されない社会についての考え、研修や講師活動の様子を発信していきます。
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