妻との出逢いを語りたい
妻と知り合ったのは、今はなきYahoo!縁結びという婚活サイトだった。金銭面を鑑みた真剣度で言えば、結婚相談所の下位互換の位置付けだったと思う。
今でこそマッチングアプリは一般的だが2009年の話だからわたしたちは時代の一歩先を行っていたと言えるかもしれない。
当時、彼女は香川県在住だった。愛媛県に居住経験があり前妻が徳島県出身のわたしは距離感を感じなかった。大阪、宝塚に居住経験があり、毎月仕事で京都に来ていた彼女も同様だっただろう。しかし、普通に街を歩いていたら絶対に出会わない人だったと思う。
最初にお気に入りを通知したのはわたしだった。はじめの一歩という仮申し込みは彼女から。匿名での一日一往復の緊張感溢れるメールのやり取りが始まった。いきなり「あなたは人生でどんなことにチャレンジしてきましたか?」ときた。後に妻は「これで殆どの男性が撃沈した」と豪語する。わたしの真摯な返信が彼女のお眼鏡に適ったようだ。幾度かのやり取りを経てメールアドレスの開示をわたしから行った。
11月にこれもまた今はなき京都国際ホテルで初めて顔を合わせた。第一印象は「キャリアウーマンっぽい人」。わたしの第一印象は「暗い人」だったらしい。結局、話は尽きることなく彼女が香川県へ帰る最終バスまで話し込んだ。それは、運命的な出逢いだった。
毎日朝まで電話で話し、香川県で年を越した。いま思い返せば、彼女とのセックスで避妊をしたことはない。彼女から求められたこともなかった。お互いに心の何処かで「この人しかいない」と決めていたのだろう。
「生まれてきたくなかった」が口癖のわたしだが、ゆめタウンの地下駐車場でアイスクリームを食べているとき、生まれて初めて幸せを感じて涙が溢れた。わたしはこの人と生きていくのだと思った。
父から「祖母を連れて4月に岡山へ移住する」と告げられた。京都での暮らしに慣れるために2月に彼女が京都へ来た。そして、3月に入籍した。世に言うスピード婚である。
どこで出会うかより誰と出会うかが大切だと思っている。極端な話、相手さえ間違わなければ時期はそれほど重要ではない。実際、籍を入れたときわたしは適応障害による勤怠不良で三井造船を追われ無職だった。それで逡巡するならお互いにその程度の相手なのだ。運命の人に出会えるチャンスなど殆どないのが現実だろう。
最初にいま住んでいる家の前を通ったとき、彼女は「わたしはここに住むことになる」と直感したらしい。いつも思い過ごしに終わる妻の直感が当たった稀有な例である。
妻の提案により、私の誕生日に入籍した。彼女は「あなたが幸せになるために生まれ変わる日だよ」と微笑んだ。
お互いを殆ど知らない状態で結婚したので最初は随分喧嘩もした。なかなかわたしの仕事が決まらず妻には心労をかけたと思う。鎹となる子宝には恵まれなかったが、いまも仲睦まじく暮らしている。
モエたん、いままでありがとう。そして、これからもよろしく。
好評(?)の「妻シリーズ」のバックタイトルはこちらです。お時間があればご覧ください。
この記事を、どこかで見てくれているかもしれないpatapataさんに捧げます。
いいなと思ったら応援しよう!
お心遣いを頂けたその際は、愛妻へのお小遣いにします💕