見出し画像

南京事件考2):総司令官・松井石根の訓令


下記動画必見:


日本人兵士たちの蛮行

南京市の当時の人口動態の観点から、30万人“南京大虐殺”という数字の問題の議論は別稿で検討するが、しかし、成りすましのように嘘をつく必要のない、明らかに日本人の当時の一兵卒の、“強姦しその後に証拠隠滅のために強姦した相手を殺してしまった”という証言は確かに事実を語ったものだと思う。

114師団の一等兵であった元兵士の田所耕三は以下のように回想した[150][142][151]
"強姦をやらない兵士なんかいなかった。そしてたいがいやった後で殺しちまう。[...] 憲兵にわかると軍法会議だからね。殺したくないけど殺した。……もっとも南京にはほとんど憲兵はいなかったけど。"

Wiki

元日本兵の東史郎は南京での強姦と殺害について以下のように語っている[152]。
初めね、変な話が、「ピカンカン」って言うの。「ピ」っちゅうのは「V」だね。セックス。それを「カンカン」、見る。ね、看護婦の「看」をふたつ書いて。ピカンカン、言うて女性にね、股広げさせてね、ほんで見るわけ。中国の女性はズボンの下を履いてないの。きゅっとズボンを紐で括ってるだけ。バンドじゃなしに。ほんで、それをもってきゅっと引っ張ったらもう丸出しや。ほんで「ピカンカン」して、そのうちにまた「今日、我欲情す」ったもんで、交代交代で彼女を犯す。で、犯しただけならいいのよ。いいこたないけれど。あと必ず突き殺したね。それは、死人に口無し。証拠隠滅のためにね。

wiki

総司令官・松井石根の南京入城に当たっての訓令

しかしここで、僕が南京事件で特に信じられないのは、総司令官であった松井石根いわねの“素晴らしい”訓令が、伝えられている日本人兵士の蛮行の“話”と余りにも乖離していることである。“話”を全部信じるならば、この“綺麗事”の訓令は何だったのか、という大いなる疑問である。

総司令官・松井石根の南京入城に当たっての訓令── 

一、皇軍が外国の首都に入城するは有史以来の盛事にして、永く竹帛に垂るべき事績たると、 世界のひとしく注目したる大事件たるに鑑み、正々堂々将来の模範たるべき心組をもって 各部隊の乱入、友軍の相撃、不法行為等絶対になからしむべし。 

二、部隊の軍規風紀をとくに厳重にし、中国軍民をして皇軍の威風に敬仰帰服せしめ、 いやしくも名誉を毀損するがごとき行為の絶無を期す。 

三、別に示す要図にもとづき、外国権益、ことに外交機関には絶対に接近せざるはもちろん、 とくに外交団の設定したる中立地帯には、必要の外立入りを禁じ、所要の地点に歩哨を配置すべし。また城外における中山陵その他革命志士の墓および明考陵には立入ることを禁ず。 

四、入城部隊は師団長がとくに選抜したるものにして、あらかじめ注意事項、とくに場内の 外国権益の位置を徹底せしめ、絶対に過誤なきを期し、要すれば歩哨を配置すべし。

五、掠奪行為をなし、また不注意といえども火を失するものは厳重に処罰すべし。軍隊と同時に多数の憲兵および補助憲兵を入城せしめ、不法行為を防止せしむべし。

(原文は平仮名でなくカタカナ表記)

The instructions by Commander-in-Chief Iwane Matsui on the occasion of the entry into Nanking... 

1. The entry of the Imperial Army into the capital of a foreign country is a grand event since the dawn of history, an achievement that should be remembered for a long time, and a major event that has attracted the attention of the entire world. 

2. The military discipline and public morals of the units shall be particularly strict, so that the Chinese military personnel will revere and respect the imperial military style, and there shall be no more acts of defamation. 

3. In particular, the neutral zone set up by the diplomatic corps should be forbidden to enter unless necessary, and sentinels should be posted at the necessary points. Entry into the Chungshan Mausoleum and other tombs of revolutionaries outside the city, as well as the Minggao Mausoleum, is strictly forbidden. 

4. The troops entering the fortress shall be specially selected by the division commander, and shall be thoroughly informed in advance of the precautions to be taken, especially the location of foreign interests within the fortress, to ensure that no mistakes are made, and sentinels shall be posted if necessary. 

5. Any plundering or even careless fire should be severely punished. A large number of military police and auxiliary military police should enter the castle at the same time as the army to prevent any illegal acts.

英語拙訳

入城式のための虐殺
南京陥落後の12月14日、南京陥落を喜ぶ日本国内の世論の熱狂や昭和天皇による祝賀の「御言葉」の下賜があり、松井石根司令官が、12月17日に中支那方面軍の南京入城式を挙行する旨を、現地軍に通達した[84]。現地部隊は敗残兵の掃討まで時間が足りないことを主張したが、12月17日の入城式の挙行は強行されることとなった[128]。この結果、入城式の日程に合わせて12月14日から17日にかけて「残敵の掃討」が徹底的に行われることになった[129]

第16師団以外のもの含め、日本軍各部隊が行った敗残兵・便衣兵の「掃討」では時期や部隊によって温度差があり、「良民」と「便衣兵」の選別が多少行われていた場合もあった。しかし、十分な調査を行うような人員が存在しなかったためその選別は非常に荒っぽいものとなった[130]。秦郁彦はこの「良民」と「便衣兵」の選別について「選り分けるといっても、軍帽による日焼けの線(面ずれ)や目付で識別し、家族らしいものに泣きつかれると放してやる式のおよそ非科学的なやり方だったから、末端兵士の気分しだいで連行はふえも減りもしたようだ。こうした気まぐれな選別が、安全区の住民に与えた衝撃と恐怖感は想像に余りある[131]」と述べている。

wiki

東京裁判での判決

東京裁判で松井石根に下された絞首刑の罪状はこうであった。

東京裁判においては、南京事件(南京およびその周辺における市民・捕虜の虐殺)が事実であると判断され、中支那方面軍司令官であった松井石根大将が絞首刑となった[14]。松井大将の責任に対する判断は以下のようなものである。

「日本軍が占領してから最初の六週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は二十万以上であった」「自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限をももっていた。この義務を怠ったことについて、かれは犯罪的責任がある」[299]

Wiki

人も怨みず一筋に
無畏を念じて
安らけく逝く

松井石根の判決後の言葉

日本軍の構造的暴力

僕の疑問に答える理由の一つとしてWikiで挙げられているのがこれである。あくまでも一つの理由に過ぎないだろうが…。

日本軍の構造的暴力
南京における日本兵の残虐性は、暴力的な方法によって規律が体系的に強化された日本軍の階級構造に一部起因していたともされる。新兵は多くの場合において訓練中に過酷な暴力を受け、現役兵士は将校によって平手打ちから殴打に至るまでの暴力的な調練を受けることが多く、その将校たちもまた上官から同様の扱いを受けていた[104]

軍事史家のエドワード・ドレア英語版)は、日本陸軍内部の残虐への教化と暴力による階級構造は、その構成員の多くを、弱いと見做された者に対する冷酷な文化を受け入れるように社会化したのだと記述している。この結果、日本軍の一般兵士の多くは、無力な民間人に対して自らの怒りや不満を日常的にぶつけることになった[267]

Wiki

松井石根・擁護論

松井石根の「国際法の遵守・軍規の粛清」精神は、南京入城に当たっての訓令によく表れていたことが強調されている。

陸軍きっての〝親中派〟はなぜ大虐殺の首謀者にされたのか?中国国内で「日本のヒットラー」と断罪される松井石根。だが皮肉にも、東京裁判で絞首刑に処された南京戦指揮官は陸軍で最も中国を尊重していた!松井の思想形成から処刑後までを、帰還した兵士の証言と膨大な資料、日記を精査して描く。

南京戦は、今も中国側の外交カードに利用されている。松井石根の無念は、いまだ晴らされていない。共産党独裁下にある中国が、今や国際社会の中心を担う存在にまでなり、世界の平和や地域の安寧を脅かしている現況を見ると、「中国の共産化」が招く危険性に警鐘を鳴らし続けた松井の先見性は、今こそ見直されるべきであろう。……「復刻版あとがき」より

復刻版まえがき
序 章 
第一章 日中友好論者への道
第二章 大亜細亜協会の台頭
第三章 上海戦
第四章 南京戦
第五章 占領後の南京
第六章 興亜観音
第七章 東京裁判
最終章 歿後
あとがき
復刻版あとがき

松井石根・批判論

主要な参考文献:
笠原 十九司『南京事件』(岩波書店、2025)
秦 郁彦『南京事件』(中央公論新社、2007)
上丸 洋一『南京事件と新聞報道』(朝日新聞出版、2023)
笠原 十九司『海軍の日中戦争』(平凡社、2015)
阿羅 健一『「南京事件」日本人50人の証言』(育鵬社、2022)
早瀬 利之『将軍の真実』(光人社、1997)

この動画のコメント欄より

@島田雄一-y3t
A級戦犯など一部の方に全ての責任を擦り付ける。前半のように、軍司令官閣下が支那事変拡大の首謀者なら東京裁判での中心的被告人になっていたはず。しかし、有罪理由は「南京事件」ただ1件。取り調べるほど辻褄が合わなくなり、軍司令官閣下を追求しすぎると支那事変が中国側が仕掛けた戦争であることがバレる危険が出てきてしまった。 ただ、軍司令官閣下は、日本兵による犯罪行為発生を南京占領直後の記者会見で認め陳謝・処罰を表明していた(だから国連でも中国側の申し立ては取り上げられなかった) 。それを「虐殺」の責任者とされた。 上海〜南京戦で中国軍の主力70万名を20万名の軍で撃破し30万名もの損害出させた敵の軍司令官として、山下閣下と同様、なんだろうと処刑してやるとされてしまった露骨な「報復」裁判の犠牲者。

@omizo-p2t
偕行 編集部(執筆責任者 加登川幸太郎) 1985年  
結局、不法処理の被害者の数はいくらか  これは大難題である。この戦史の最後のところで最も難しい問題にぶつかったの感がある。  この戦史が採用してきた諸資料にはそれぞれの数字がある。だがこれらはもともとが根拠の不明確な、いわば疑わしい数で、その真否の考証も不可能である。その数字をあれこれ操作してみたところで、「ほんとうか」と問いただされても明確に返答し得ない数字になるだけである。  

史料の確からしさの判定は読む人にもよろう。畝本君や従軍将兵の諸氏には、あの南京戦場を走りまわった体験から、そこに起こりうる事象の大きさについての個人的感触を持っている。巷間喧伝される数字がいかに大きくとも、そんな膨大な数があの狭い場所でと、納得できないところがあるのである。ここにこの推定集計の難しさある。だがなにがしかの答えは出さざるを得まい。  

まず、畝本君の判決である。 <参戦者の証言資料によれば不法に殺害したとされる事案に多くの疑問があるが、今日においてその真偽を究明することは不可能である。況んや広い戦場において「虐殺か否か」を一々分別し、虐殺数を集計することなど今においては不可能事である。  

人はよく質問する。「虐殺の真数はいくらか」と。  「ある程度は推定し得るが、真相はわからない。強いていえば、不確定要素はあるが、虐殺の疑いのあるものは三千乃六千内外ではあるまいか」、と私は答えるしかない。>
三千はもとより六千とは途方もない数字である。  

何処で何時不法処理が行われたろうかの事例は前号までの戦史で述べた。第十三師団の幕府山付近、第十六師団の下関付近、第九師団の城内掃蕩、第十六師団関係城内敗残兵摘出、その他各師団の掃蕩など、事例は、判明している限りを明記した。読者諸君それぞれに推定し、そして集計することが可能なはずである。  

そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。板倉由明氏の集計されたものである。  同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。  従って南京の不法殺害は計一万三千人である。板倉氏はこれが「現時点での」推定概数であるとする。これまた、途方もなく大きな数字である。  

畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。これを併記して本稿の結論とする。  中国国民に深く詫びる  重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。  

日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。  旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。

@ms6132
嘘の動画は、許されませんよ 東京裁判で、提出された資料では、くまなく調べてみると、南京攻撃で、亡くなられた人数は、三十四人です.また、1937年12月半ばの映画が、松竹によって撮影されています.その映画を見ると、南京事件は、でっち上げです.また、中国の提出している写真は、同年7月29日の通州事件の日本人虐殺寺の写真です.水間政憲氏の「完結南京事件」を見れば、日本軍の暴挙は事実無根と理解できます.東京裁判での松井石根大将の罪名は、平和を壊して罪名です.殺戮の指導者としての罪名は、ありませんでした。松井大将は、国際法の知見者を同行させており、攻撃の際は、事前通告を行い、大砲の使用を禁止しています.この事実をよく調べてから、動画を作ってください.嘘はいけません。

@三澤憲司-d2l
無謀、無残、無責任これが敗戦の原因!自国民にもこの態度だった。 戦争だからと言う次元の話ではない!山賊行為!南京事件は無かった では済まない。私は見てないがこんな証言が幾つあるって、歴史は変 えられないよ!

@ヴィエナColl
偏らず、あくまでも加害者側からの目撃談・資料により適切に描かれています。 現在中国政府は、「南京写真館」と「731部隊」など反日映画上映にともない、大規模な反日キャンペーンを行なっています。中国語・英語のサイトがたくさんアップされてますが、そこの書き込みは、虚無の情報やまちがった歴史内容、そして日本人オール罵倒です。アジアの歴史をよく知らない欧米の人々は、その内容をすべて真実だと信じ込んでしまいます。

書き込みの共通点は⇒
・日本人は戦争犯罪を謝罪してない、賠償してない
・ヒトラーを祀っている墓標に、敬礼したり、弔いに行く人いますか?  靖国に行く行為は同じです。(靖国神社否定)
・司令官・松井石根について、虚無の情報・罵倒(なにしろ戦後作った観音像は中国人を永遠に支配したいから中国の方向に向いている等)

日本人が正しい内容の動画をアップして、多くの人に伝える事が大事です。 ぜひ、中国語・英語版の同じ動画のアップをお願いします。

@大久保次郎-l4m

{神人ともに許せざる通州残虐事件}他に対する報復と懲罰戦役が南京城攻略戦でした。中國人と政府はその責任を認め謝罪と処刑をしていません。ウイグル自治区で臓器抜き取り・人体解剖の強制収容所の存在と責任と謝罪・賠償・処刑もしていません。

@橿渕チャーチル
南京大虐殺はホロコーストと同様に世界記憶遺産に登録されています。 つまり、日本人のいちぶ、無知な者のみが騙る話です。 日本の学者や研究者にあって南京虐殺がなかった等と語る者はいません。虐殺の人数に関して分かれているだけ。 私は、南京大虐殺がないと言う者は日本人ではないとすら思っています! 私自身の身内や親戚筋あるいは戦中派から直接聞いています。

@大久保次郎-l4m
自分は昭和32年産まれだが、朗読者AIは、一回り年上な感じがします。ご父上世代がWW2に直接参戦しているはずです。昭和12年時には、成人=20歳過ぎと思われる。この類の記述なり動画を視聴して常に気になり不思議なのは「日支事変」の発生~経緯をまるで理解して記憶していないことです。全員ではナイにせよ例外は極少数ですね。「日支事変」は昭和12年時の7・7盧溝橋~大紅、ロウボウ、公安門事変~7・29"神人共に許せざる"通州虐殺事件~8・9大山海軍兵殺戮事変~8・14中国軍上海共同ソカイ民間人空爆虐殺 ~すべて中国からの度々の不法挑発攻撃に対する日本軍の懲罰戦役でした。武装部隊による丸腰民間人幼児婦女子への強姦殺戮暴行犯罪を最初にしたのは中国人保安隊員5000人であり、連中は日本軍に捕縛後に釈放されたよし。8・15「近衛ボウレイ支那ヨウ懲罰声明」とは為政者としての「出師の表(いくさ指示の決意表示)」です。盧溝橋事件は偶発的ではなく、中国共産党のリュウ・ショウキ氏一味の犯行であり、第2上海事件(8・9大山事件~)も"山火事や野火"とは違います、中国軍からの攻撃でした。みごとな明治・戦前昭和の文語文だが、肝心・要(かなめ)が抜けています。

世界記憶遺産に登録したのは、中華人民共和国です。当然ですが悪意だけです。一応日本も米国に忖度して有る事にしていますが、特に証拠となるものは示せていません。世界記憶遺産に登録されているからと言って事実であるとは限りません。本来は誰も反論の余地なき証拠を示さねばなりませんが、一切有りません。身内や親戚筋から聞いていると言う事ですが、学者が調査しても出て来ていません。中には共産党員の様に、悪意で語っている人も居ますので鵜呑みにはできません。そして帰国兵士の話は大体、南京突入時の話と、南京大虐殺終了後の捕虜の処刑だけです。当然ですが南京大虐殺の証拠にはなりません。

@まつもとまさみち-x6b
元が米国人の記者によるフェィクニュースなので、正直日本軍によるものはなかったと思います。日本軍が来る前に、既に中国軍による南京大虐殺が有りましたので、遺体は腐る程存在していましたから。河原での遺体の写真も有りますが、そもそもの話、長江では中国軍督戦隊による大虐殺が有りましたので、河原に沢山の遺体が有って当たり前です。他に、特段証拠となるものは一切ありません。ただ南京戦後、兵站が追い付かず、捕虜の処刑を速めた事実は有りますし、日本軍がやって来た時に、戦闘の巻き添えになった方々は、当たり前ですが存在します。南京記念館に有る30万人は、恐らく戦後中共軍による大粛清の跡でしょう。何故なら30万人の氏名が判っているからです。本来虐殺は手当たり次第になりますので、氏名が判る人はそれこそ稀です。南京への進軍から捕虜の処刑まで含めれば南京虐殺と呼ぶのは?ですが有ります。30万人には到底及びませんが。

いいなと思ったら応援しよう!