村上春樹”ノルウェイの森”とビートルズ”ノルウェーの森”
小説『ノルウェイの森』に出て来る、ビートルズの曲「ノルウェーの森」(邦題)が好きだという登場人物の「直子」は、ビートルズの”Norwegian Wood”で歌われている内容を把握していたとは思えず、この曲の邦題やシタールが奏でる神秘的なメロディの雰囲気に引っ張られていると感じた。
直子は精神を病み自ら命を断つわけだけれど、彼女が療養していた病院(サナトリウム・阿美寮)は森に囲まれ神秘的な雰囲気を醸し出していた。
同じ療養所に入院していた「レイコ」さんと主人公の「僕」は直子のために二人だけの葬式を催す。その際、 レイコはミュージシャンだったので沢山の曲をギターを伴奏にして歌いまくった。その曲の中にはビートルの曲が14曲も入っていたのだけれど、”Nowhere Man”も含まれていた。最後に”Norwegian Wood”を歌い終えた後、二人は何と4回も性交を繰り返す。バタイユ流に言うなら、”性は生とタヒの交歓”なのであり、小説のテーマに繋がるのだろう。
ところで、最後の場面、大学の友達で恋人の「緑」に電話で「今、どこにいるの?」と問われて、主人公「僕」が「わからない」、「 どこでもない場所」という台詞のヒントになると思うのが、ビートルズの「Nowhere Man」という曲。「ノルウェーの森」と邦題を付けた同じ高嶋弘之氏が「ひとりぼっちのあいつ」という邦題を付けている。
no-where(どこにもない所)はu-topia(ユートピア:理想郷)に英語を当てたもの、見方・考え方によっては、now-here(今-ここ)とも捉えられる。
このことをかつて僕は『ぴあ』に投稿したことがあるのだけれど、多方面で反響があった。例えば、手塚治虫の息子の手塚眞氏が出演したTV-CMで、”nowhere”を"now/here"とスラッシュを挿れズラして分節化するだけで発想の転換が出来ることを示していた。
また元はっぴいえんどのメンバー・ドラマーで現在作詞家として名を馳せている松本隆氏の処女小説『微熱少年』(1985)でビートルズに夢中になっていた主人公の少年「ぼく」にこう語らせている──
「…お前、『ノーウェア・マン』の意味を知ってるか?」とぼくは聞いた。/「何処にもいない人じゃないのか?」浅井は答えた。/「スペルはNOWHEREだろう。WとHの間にハイフンをいれてみな」/「NOW-HEREだ」/「訳してみな」/「今、ここにいる人」/「同じ単語で意味が正反対になるだろう。これがジョン・レノンのセンスなんだ。天才だよ。だから俺は、この目でジョンを見たいんだ。そのためなら地獄の扉だってノックしてみせるさ。」(188-9頁)
ところで、村上春樹氏は若い頃からジャズ好きだったけれど、ビートルズの良さが分かったのは中年になってからだそうだ。(正直、僕の実体験から照らして、この事実から、彼がホンモノではないという疑念を抱いている。)Wikiを見ると、小説の題名に関して、妻に原稿を読んでもらって、彼女がこの曲のタイトル、つまり邦題でいいのでは?と提案して、周りもそれで行こうということになったのだけれど、村上氏自身は乗り気ではなかったそうだ。
追記1: 旭川出身の僕が一番興味を引いた箇所ww──
「旭川に行くのよ。ねえ旭川よ!」と彼女は言った。「音大のとき仲の良かった友だちが旭川で音楽教室やっててね、手伝わないかって、二、三年前から誘われてたんだけど、寒いところ行くの嫌だからって断ったの。だってそうでしょ、やっと自由の身になって、行く先が旭川じゃちょっと浮かばれないわよ。あそこはなんだか作りそこねた落とし穴みたいなところじゃない?」
追記2: 僕が持っている村上春樹『ノルウェイの森』上・下巻は1988年7月12日発行16刷で、帯は金色だった(村上自身はこのセンスが嫌いだそう。自分もそう思うw)が、新宿駅の地下通路で彼女にクリスマスに手渡しでプレゼントされたもので感慨深い。(何故か、群衆の中に二人が向き合って佇む映画の遠景のワンシーンのように思い出が蘇る。遠い目)
⇒ビートルズ”ノルウェーの森”と村上春樹”ノルウェイの森”
⇒海辺のカフカ考:アンチ村上春樹をやってみるw
⇒MEET THE BEATLES! 日本版

