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イランでの「おしん」人気と親日の真相


イランでの「おしん」人気と親日の真相〜「忍耐」の美学という誤解を解く

1980年代後半、革命後の混乱期にあったイランで、日本のドラマ「おしん」                                                                                                                                                                                                                                                                      は驚異的な視聴率90%超を記録した。この現象を語る際、多くの論者は「イラン女性の置かれた過酷な状況と、おしんの忍耐強さが共鳴した」と結論づける。抑圧的な社会規範の中で、声を荒らげず耐え忍ぶ姿が、現実に立ち向かう女性たちの支えになったという見方だ。

革命後の厳格な規律、家父長制の重圧、そして行動の制限。これまで多くの論者は、イラン女性がおしんに惹かれた理由を「過酷な運命に耐える姿に自分たちを重ねたからだ」と分析してきた。しかし、この解釈はあまりに一面的なステレオタイプに基づいた致命的な誤解に基づいている。

僕はNHK-BSでの再放送を全話視聴し、ネット掲示板等での議論を通じて本作を精査してきた。その視点から断言すれば、おしんの本質は「体制順応型の忍耐」などではなく、むしろその真逆にある。

誤解された「おしん」像

一般に流布している「おしん」像は、不遇な環境にひたすら耐える悲劇のヒロインだ。だが、劇中での彼女の行動様式を仔細に見れば、その実像は驚くほど過激で自立的である。

幼少期を演じた小林綾子、青年期の田中裕子、あるいは老年期の乙羽信子。どの時代においても、おしんは相手が親であろうと、奉公先の主人であろうと、男性優位社会の権威であろうと、自分が「間違っている」と信じることに対しては決して沈黙しなかった。彼女は忍耐するのではなく、その都度、烈火のごとく抗議し、自らの正当性を主張し続けたのである。

既存の枠組みを食い破る「個」の叫び

具体的エピソードを振り返れば、彼女がいかに「不条理への同調」を拒絶してきたかが分かる。

  • 幼年期:自尊心を守るための「吹雪の脱走」 最初の奉公先である材木問屋で、おしんは覚えのない財布盗難の疑いをかけられる。大人が束になって責め立て、人格を否定する絶望的な状況下で、彼女は「やっていない」という自尊心を守り抜くため、給料である米すら捨て、タヒの危険を冒して猛吹雪の中へと飛び出した。この、組織の不条理に抗うために「タヒ」すら辞さない覚悟を見せた幼少期の脱走こそ、彼女の反骨精神の原点である。

  • 青年期:職業的自立への執念(髪結い編) 「女は家庭に入るもの」という当時の常識に対し、おしんは「手に職を持つこと」で自らの人生を支配しようとした。師匠や周囲の期待を裏切ってでも、自分が必要とされる場所へ、自分の腕一本で飛び込んでいく。それは単なる出世欲ではなく、他者に運命を委ねないという強烈な自己主張であった。

  • 佐賀編:封建的な家父長制への宣戦布告 夫・竜三の故郷、佐賀での生活は地獄そのものだった。姑・清からの苛烈ないじめに対し、おしんは決して「物分かりの良い嫁」にはならなかった。家父長制の象徴である姑に正面から異議を唱え、最後には泥まみれになりながらも、子供を連れてその家を「脱出」するという強行突破を選んだのである。

彼女の流す涙は、悲しみの涙ではなく、不条理に対する怒りと闘志の表れであった。この「妥協しない芯の強さ」こそが、おしんというキャラクターを駆動させる真のエンジンである。

イラン女性が求めたもの

もしイランの女性たちが、単に「耐えろ」と説く物語を求めていたのなら、あのような熱狂は生まれなかったはずだ。彼女たちが「おしん」に見たのは、宗教的・社会的な制約の中で、いかにして個としての尊厳を保ち、自己決定権を勝ち取るかという「生存戦略のロールモデル」だったのではないか。

現在、イランでは女性たちの社会進出が目覚ましく、教育水準も極めて高い。彼女たちが差別や社会的不正に対して敏感に反応し、自らの権利を主張し始めている背景には、幼少期に目撃した「決して屈しないおしん」の教養が血肉化されている可能性を否定できない。

結論:物語は「解放」のためにある

「おしん」を忍耐の象徴と捉えるのは、外部からの、あるいは強者の側からの都合のいい解釈に過ぎない。忍耐が社会を維持するための装置として機能する一方で、おしんという物語は、その装置を内側から食い破る「個の意志」を提示していた。

イランの女性たちが今、自らの身体と人生を自らの手に取り戻そうとしている姿は、まさにおしんが戦後の荒野で商売を立ち上げ、家族を支えながらも己の信念を貫いた姿と重なる。彼女たちは「耐える」ことを学んだのではない。「闘い抜く」ための勇気を、あの遠い異国の女性から受け取ったのである。

「おしん」はもはや、過去を懐かしむための美談ではない。不条理に抗うすべての人々にとっての、現在進行形のバイブルなのである。

補記:イランでの「おしん」の、今でも強い影響力!!

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