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南京事件考18): 情報局による新聞・ラジオ・レコード等を介した“聖戦”の演出


序章:“物語”の創出と紙上での凱旋

ある雑誌の対談で、作家の五木寛之は「軍部が大陸で暴走を続け得たのは、国民が熱狂的に支持してくれていると感じていたから」と述べている。「僕は、国民は戦争のサポーターだったと思う」そう言いながら、1937年12月の南京陥落の祝賀行事、花電車、花火、提灯行列、その町中の熱狂の中に、五木は「虚無感がある。あのリオのファヴェーラの貧民街からみんな下りてきて一夜限り熱狂するカーニバルの最終盤、悲哀に満ちたたまらない寂寥感、それと同様の虚無感がある」とも言う。やるかやられるかの緊迫した状況にあって、国民は戦争の勝利を確信して踊り出すのだ。

平和フォーラム:熱狂の中の虚無─戦争を考える

南京占領後、日本政府と軍部は、物理的な勝利を政治的な勝利へと繋げるため、対外的な情報発信の重要性を痛感していた。ここで主導的な役割を果たしたのが、内閣直属の「情報委員会」(後の情報局の前身)である。彼らは、南京で起きている事態をどのように世界へ見せるかという“物語の編集”を担っていた。

1937 (昭和12) 年12月13日の南京陥落は、日本の国内メディアにとって単なる軍事ニュースではなく、国家の威信をかけた“最大の祝祭”として報じられた。情報委員会の指導のもと、新聞各紙は戦場の惨状や軍紀の乱れを一切排除し、国民の戦意を昂揚させるための“英雄的物語”を大量生産したのである。

第1章:英雄神話の創出──“百人斬り”と武勇伝

国内向けプロパガンダの象徴的な事例として、少尉二人がどちらが先に百人を斬るかを競ったとされる“百人斬り競争”の報道が挙げられる。

  • 娯楽としての戦争: 東京日日新聞(現・毎日新聞)などは、このエピソードをスポーツの試合結果のように連載し、国民の関心を惹きつけた。

百人斬り競争の両少尉には東京裁判・南京軍事法廷で死刑判決が下された。
  • “残酷さ”の“武勇”への置換: 本来、近接戦闘での殺傷は凄惨なものであるが、報道では“日本刀の切れ味”“武士道精神”という言葉で包み隠された。読者は、これを凄惨な殺戮としてではなく、日本軍の“強さ”と“精神性”の象徴として消費したのである。

  • 情報委員会の意図: こうした武勇伝は、戦場での殺生を“聖戦における正当な行為”として国民に内面化させる役割を果たした。

第2章:祝祭の演出――提灯行列と「万歳」の嵐

南京陥落の報が流れるやいなや、日本国内は熱狂の渦に包まれた。これは自然発生的なものだけでなく、メディアと官民が一体となった組織的な演出でもあった。

  • 号外の乱舞: 各新聞社は競って号外を発行し、「南京陥落」「敵都制圧」の文字が街に踊った。

東京日日新聞は、現・毎日新聞。
讀賣新聞の号外
中国の南京大虐殺紀念館に展示されている朝日新聞の号外
  • 提灯行列の組織化: 全国各地で大規模な提灯行列が挙行され、ラジオや新聞はその様子を“一億国民の歓喜”として大々的に伝えた。

「勝った勝った日本勝った」の提灯行列
  • “聖戦”の完成: 報道は、南京占領を“東亜永遠の平和のため”の不可欠なステップとして描き出した。国民は、新聞を通じて“自分たちも輝かしい歴史の目撃者である”という陶酔感を与えられたのである。

国際情報社(東京)発行の世界画報1938(昭和13)年2月1日号
銀座のカフェでも万歳

南京陥落を祝う軍歌・戦時歌謡:

第3章:隠蔽された深淵──“不都合な真実”の徹底排除

国内新聞が英雄的な側面を強調する一方で、ヴォートリンやベイツらが目撃した事態は、文字通り“存在しないもの”として扱われた。

  • 徹底した検閲: 情報委員会による検閲は、兵士の私信(手紙)にまで及び、戦場での略奪や強姦、死体の山といった記述はすべて墨塗りにされた。

  • “平和な南京”の定型化: 前述の宣撫工作(米の配給や子供との交流)は、国内向けにも「日本軍に感謝し、安堵する中国民衆」という固定イメージとして繰り返し提供された。

  • 情報の非対称性: 当時の日本国民が新聞から得ていた情報は、国際社会が受け取っていた批判的な報告とは完全に遮断されていた。この“情報の真空状態”が、軍紀の緩みに対する批判的な視点を国民から奪い、さらなる戦争継続への支持へと繋がったと言って良いだろう。

結論:メディアが構築した“もう一つの南京”

当時の国内新聞が報じた南京陥落は、史実としての南京事件とは別の、プロパガンダによって構築された虚構フィクションとしての聖戦”であった。

  1. 英雄化: 残虐な戦闘を武士道の武勇伝へ変換した。

  2. 祝祭化: 占領を国民全体が参加するエンターテインメントへと昇華させた。

  3. 浄化: 不都合な事実を一切排除し、清潔で慈悲深い占領軍のイメージを定着させた。

松井大将の訓令が掲げた“将来の模範”という理想は、国内メディアの手によって“既に達成された現実”として偽装され、国民の熱狂を煽る道具となった。われわれが南京事件を検証する際、当時の新聞が作り上げたこの
“熱狂のフィルター”を剥ぎ取らなければ、当時の日本人がなぜこれほどまでに現実の惨状に無自覚であり得たのかを理解することはできない。

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