ビートルズ・ファン第一世代のブルース・スプリングスティン
14歳だった!!
髪型の系図は時の流れに紛れて失われたかもしれないが、世界に及ぼした影響は否定のしようがない。ピート・ベストも問うたように、「アストリットがスチュの髪でちょっと試してみたことがきっかけとなって、やがて世界の男性人口の半分が同じことをするようになり、インドネシアのような心配性の国々は法律まで作ってビートルズの髪型を禁止するなんて、いったい誰が想像しただろう?」
【The Beatles Arrive In New York for their First US Visit, 7th February 1964】
数か月のうちにその熱狂はアメリカに広まった。1964年2月7日、作家のトム・ウルフはビートルズの合衆国到着を目撃した。「ビートルズがケネディ空港に着陸すると、前髪を下ろした若者たちが到着ロビーを駆けていくのが見えた。そのとき60年代が本当の意味で始まった」。ジョージ・マーティンはいい大人がビートルズのかつらを被って五番街を歩く姿を目撃したのを覚えている。「とにかく、おかしかった」。ニューヨークだけで1台2ドル98セントのビートルズのかつらが1日に2万台売れた。
その頃、14歳のブルース・スプリングスティーンはニュージャージー州フリーホールドの〈ニューベリーズ〉のレコード売り場に入り、『ミート・ザ・ビートルズ』を見つけた。それは──スプリングスティーンは今でもそう信じて疑わない──「史上最高のアルバムジャケット……『ミート・ザ・ビートルズ(ビートルズに会おう)』としか書かれていない。それこそまさにおれのしたいことだった。半ば翳った4人の顔は、ロックンロールのラシュモア山だ、それから……あの髪型……あの髪型ときたら。あれは何だったのだろう? 驚いた、衝撃を受けた。ラジオでは4人の姿が見えない。あの影響をいま説明するのは不可能に近い……あの髪型の影響は」。
ブルースはすぐさま自分の髪型をビートルズみたいにした。そんなことをすればどうなるかはわかっていた。あの髪型にするには、「寄ってたかって貶され、侮辱され、危ない目に遭い、爪弾きにされ、よそ者扱いされるのを受け入れなければならない」。父親は息子のしたことを見て、「最初は笑った。おかしかったからだ。それから、そんなにおかしくもなくなった。そして怒った。最後に厳しい質問をぶつけてきた。『ブルース、お前、おかまか?』」
同じ年頃の仲間の大半も、容赦ないことにかけては父親と少しも違わない。それでもひとりかふたり、ブルースと同じように、ビートルズのためなら世間の嘲りなど撥ねのけようと覚悟を固めた者もいた。そこでかれらは、嵐に立ち向かう船のように怯まず張った。「侮辱は無視し、できるだけ実力行使は避け、すべきことをした。[…]日が昇るたび、最後の対決を迫られる可能性がつきまとう」。
