社会化に反抗する異邦人たちの文法
Ⅰ. 社会化、あるいは洗脳のプロセス
社会学者のP.L.バーガーとT.ルックマン(P. Berger & T. Luckmann)は、彼らの著書『現実の社会的構成』において、家族による初期の「第一次社会化」と、学校や職場など専門的な組織での「第二次社会化」を明確に定義し、個人の社会化のプロセスを描き出した。
第一次社会化:幼児期に家族(特に行為的他者)の中で行われる。感情的な絆を伴い、世界像の基礎を築く。
第二次社会化:個人が社会の分業化された領域(学校、職場、専門機関)に参入する過程。内面的な情緒的共感よりも、役割の習得が中心。
Ⅱ. カミュの『異邦人』の社会学的分析
この社会学的概念に照らして、カミュの『異邦人』における主人公ムルソーの行動を社会学的に考察すると面白い。
彼は「第一次社会化(幼少期に家庭等で社会のルールを学ぶ過程)」が不完全であったか、あるいは意図的に社会の規範(第二次社会化含む)を拒絶・無視した存在として描かれていると解釈できる。
ムルソーは、社会が強要する「感情の表出(母の葬儀で泣くなど)」や「論理的な物語(なぜ殺したか、といった理由付け)」の共有を拒む。これが結果的に、法と秩序という社会システム(制度的社会化の場)から「異邦人(アウトサイダー)」として排除される原因となる。
具体的な社会学的観点での分析は以下の通りになるだろう。
1. 第一次社会化の不全または拒絶
社会学において、第一次社会化は幼少期に親や周囲から道徳や基本的な感情ルールを学ぶプロセスだ。
社会規範への無関心: ムルソーは、母の葬儀において泣かない、タヒを確認しない、など「社会的に期待される行動」をとらない。これは感情の社会的構成に対する無関心を示しており、社会の規範的ルールを内面化していない、または無視している状態と言える。
不条理な行動: ムルソーの行動は合理的な社会の枠組みでは理解不能(不条理)であり、その意味で彼は社会から浮いた存在、すなわち「社会化」されなかった者として描写されている。
2. 第二次社会化(制度)からの拒絶
学校や職場、裁判所など、社会ルールを強制する「第二次社会化」の場において、ムルソーは社会システムと衝突する。
裁判という社会化の失敗: 第2部では、殺人という行為そのものよりも、葬儀での「不適切」な行動が裁判で厳しく追及される。法廷はムルソーに「悲しむべきだ」という社会規範を強制しようとするが、彼はそれに屈せず、真実(太陽のせい、など)のみを語り、嘘(社会的な物語)をつこうとしない。
死刑宣告と社会的疎外: 最終的にムルソーは、社会秩序を維持するための「ルールを守らない人間」としてタヒ刑を宣告される。これは、社会がいかに同調圧力に基づいて個人のアイデンティティを形成しているか(または排除するか)を浮き彫りにしている。
3. 社会的構造の中の「他者」
カミュは『異邦人』を「現代の社会においては、母の埋葬にあたって涙を流さない人間は、誰しもタヒ刑を宣告されることになるかもしれない」と要約している。
インサイダーとアウトサイダー: サルトルが指摘したように、ムルソーの語りと読者の間には「不透明なガラスの仕切り板」が存在している。社会システムを共有するインサイダー(裁判官、一般市民)からは、ムルソーは理解不能な「他人」として認識される。
同調圧力の犠牲者: 裁判過程は、個人が社会ルール(葬儀では泣く、法廷では悔いるふりをする)に同調することを強制するシステムとして機能しており、それに抵抗するムルソーは、社会化の過程で排除される存在となる。
結論として、ムルソーは第一次社会化において内面化されるべき感情規範を身につけず、大人になってからも第二次社会化(社会制度)のルールに従わなかったため、結果として「非社会的な人間」として葬られるのだ。
Ⅲ. 社会化への反逆:ビートルズとジョン&ヨーコ
僕らが生きているこの世界は、バーガーとルックマンが言うところの「現実の社会的構成」でできている。つまり、誰かが決めたルールを「当たり前」だと思い込まされているだけの砂上の楼閣なのだ。
1. 第二次社会化への反乱:ビートルズの長髪
「第二次社会化」とは、学校や会社といった既成体制が、僕らを「使い勝手のいい部品」にするための洗脳プロセスである。 1960年代、ビートルズが髪を伸ばした。あれは単なるファッションではなかった。体制が強いる「清潔で、規律正しい市民」という属性の措定(塗り込み)に対する、最初の「ノー」だったのだ。長髪は、彼らが「部品」になることを拒否し、体制が用意した役割という名の文法を無視し始めた合図だった。
当時の具体的な状況がよく分かるよ!
↓
⇒補記1:ビートルズの髪型の変遷
2. 第一次社会化の破壊:ジョンとヨーコの全裸
しかし、ジョン・レノンとオノ・ヨーコはもっと深いところまで踏み込んだ。1968年の『未完成作品第1番 トゥー・ヴァージンズ』のジャケットで、彼らは陰毛だけでなく、垂れた乳房も包茎も隠さず、文字通り「裸」で現れた。(タイトル画像はぼかして加工しているけれど、アップルレコードから発売されたジャケットに写っている二人の写真は無修正だった。)
これは「第一次社会化」、つまり幼少期に親や家庭から刷り込まれた「恥」や「清潔さ」という、人間としての根本的なOS(基本ソフト)へのラジカルな反逆だったのだ。
僕らは通常、"I am [clothed/shameful]."(僕は服を着ている/恥を知る存在だ)という属性の中に閉じ込められている。 ジョンとヨーコが行ったのは、その補語(属性)をすべて剥ぎ取り、"I am."(僕/私は存在する)という、むき出しの「存在の指定」へと回帰する行為だった。彼らのヌードは、社会が僕らに塗り込んだ「人間らしさ」というインチキなレッテルを、物理的に引き剥がす示威(デモンストレーション) 行為だったのだ。
特記:チャップマンが読んでいた本
ジョンとヨーコが雑誌「ローリング・ストーン」誌のインタビューを終え、彼らの住むダコタハウスへ帰宅するまで、玄関の前の地べたに座りデイビット・チャップマンが読んでいた本が『The Catcher In the Rye』だったそうだ。
Ⅳ. 社会化への反発とホールデンの二元論
1. カミュの「異邦人」と、同調圧力の文法
カミュの『異邦人』のムルソーは「母の葬式で泣く」という、社会が期待する「正しい属性(補語)」の提示を拒絶した。
同調圧力の正体: 社会学的に言えば、同調圧力とは「周囲と同じ属性を自分に塗り込め」という強制だ。ムルソーが太陽のせいで人を殺したのは、社会的な理由(to不定詞的な目的)を欠いた、剥き出しの「原形・裸(Bare)」のせいだった。彼は社会の文法から外れたことで、タヒ刑という名の「排除」を受けることになった。
2. 結び:ホールデンの「インチキ二元論」という生存戦略
ここで、僕らのホールデンに戻ろう。彼が世界を「インチキ(phony)」か「真実」かの二元論で切り裂き続けたのは、まさにこの「社会化という名の暴力」から自分を守るための、たった一つの生存戦略だった。
[The mechanism of Defense] ホールデンにとって、学校(ペンシー校)は第二次社会化の最前線だった。そこで教えられる「立派な社会人・大人(big)」になるための文法は、彼にとっては「存在(I am)」を殺して「属性(Phony)」を上書きする作業にしか見えなかった。
⇒補記2:ホールデンの「インチキ二元論」発言集
[Refusal to be S+V+C] 彼が " Ø go" や " Ø catch" と裸の不定詞をぶつけるのは、社会が用意した "to"(目的・理由・社会的配慮)というクッションを拒絶し、ジョンとヨーコが全裸になったように、行為そのものの「裸・原形」を提示したかったからなのだ。
ホールデンの「インチキ」という言葉は、社会が彼に無理やり着せようとする「第二次社会化の制服」に対する、痛切な拒絶反応だった。彼が「ライ麦畑のつかまえ役(the catcher)」という、社会のどこにも存在しないカテゴリーを自ら措定(定義)したのは、既成の体制に自分を「属性」として塗り込まれる少年・少女たちのことが、タヒぬほど不憫だったからだ。⇒既成社会を斜に構えて見る見方は、戦争体験のトラウマが強く影響している。
補記1:ビートルズの髪型の変遷
この写真は、かつてメンバーで早逝したスチュアート・サトクリフ(黒サングラス)の恋人の写真家・アストリッド・キルヒャーが撮影した、ドラマーがピート・ベストだったドイツ・ハンブルグ時代の頃のビートルズだ。後に彼らは、ジョージが未成年だったという理由でドイツから母国へ強制送還されてしまうのだけれど、相当の不良だったことは間違いない。この時代に子供を産ませたファンの娘が後に現れて、ポールはかなりの慰謝料を払っている。


でもこのメジャーデビューの最初期の頃のビートルズの写真を今見返すと、そんなに格好いいとは思えない。不良だったハンブルク時代の革ジャンに身を包んだロックンローラーの彼らと比べると、笑い顔もニヤけていて、どうかと思う。襟無しのジャケットが斬新で格好いいと言われたけれど、管理者のブライアン・エプスタインに無理やり着せられたアイドル仕様の随分去勢されてしまった若者たちに見えてしまう。
でも僕は、この日本で最初に発売されたアルバム「MEET THE BEATLES!」の写真で、音楽とも相まって、彼らに一発で魅了されてしまった。
すぐに映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」での実際に動く彼らを観て、一層虜になった。


恋人に先立たれいつまでも喪服のままのような落ち込んだ姿の彼女を見かねて作られたれたビートルズの名曲が、アルバム「BEATLES FOR SALE」に収録さてている“Baby's In Black”。スチュア–トの髪型は、ハンブルグ時代はまるでジェームス・ディーンのようなスタイルだったけれど、彼女の好みに影響されて、ビートルズがメジャー・デビューする最初期の髪型に既になっている。
※上に掲示したクレイグ・ブラウンのエピソード集を読むと、スチューのジェームス・ディーンのようなヘアースタイルは、一度前髪を垂らしたんだけれど、周囲にからかわれたので変えた結果だそうだ。

このジャッケットのビートルズは格好いいと思ったな〜。映画の「HELP!」も一層おしゃれになっていた。
アルバム「ラバーソール」のジャケット写真も渋かった。同時に音楽も洗練されて行った。
アルバム「リボルバー」のジャケットの斬新なデザインを手掛けたクラウス・フォアマンも興味深い発言をしている。3:23〜髪型について
再録:『アナウンサーの徳光和夫も同じ年の生まれで(Wikiを見たら実は1941年生まれだったw)、「われわれビートルズ世代は…」などとうそぶいていたが、とんでもない、ビートルズの良さに目覚めた真のビートルズファンの少年少女はクラスで3人いるかいないかの少数で(渋谷陽一もこれを指摘していた)、大人からは”不良だ”と決めつけられた。
(⇒僕の体験談:中学の卒業記念のアルバムに載せる写真を撮影するのに写真館に行った時、そこの親爺に「そこのビートルズ、髪を耳にかけろ」と命令口調で言われた。出来上がった写真をみたら、耳にかかった髪の部分はすっかり消され修正されていたw
中1の時に他の小学校から上がって来て、僕にビートルズを教えてくれた神馬くん──ポールの当時の恋人ジェーン・アーシャーの弟のピーター・アーシャーが結成したピーター&ゴードンのゴードンに似ていた──と鈴木くん──サイモン&ガーファンクルのサイモンに似ていた──、彼らが中学校の更衣室で歌う”ロックンロール・ミュージック”を聴いて、それまで何となく知っていたビートルズを物凄く意識するようになり、夢中になった。
その彼らは僕とは違う高校に進学して行き、そこの高校の方針で髪を坊主にされてしまっていたけれど(それにもメゲず彼らが結成していたバンド名はローリング・ビートルズ)、入学する年度から坊主にしなくても良くなった高校に、幸い僕は進学したので長髪は続けられ、”命拾い”したw (僕の母校であるその高校は現在、制服もなくなり、服装も“自由”になっている。) イッピーの思想的指導者でジョン&ヨーコの政治的時代に関わりのあったジェリー・ルービンは著書『DO IT!』で「長髪は僕らの黒い肌だ」という名言を残している。)
補記2:ホールデンの「インチキ二元論」発言集
1. 「インチキ」という言葉の原点
ホールデンがペンシー校の校長を評する、あまりにも有名な台詞。和訳は全て野崎孝・訳。
"He was a phony, too. A nice guy, but a phony. For instance, on Sundays, he used to go around all the rooms, and he’d have a talk with all the students' parents. You should have seen him. He was a phoniest bastard I ever met in my life."
「あの男(校長)もインチキだった。いい男ではあったけどね、でもインチキなんだ。たとえばさ、日曜日になると、あの男は各部屋を回って、学生の親たちと話をするんだ。その時のあいつを見せてやりたかったな。あんなインチキな野郎には、僕のこれまでの生涯で、お目にかかったことがないね」
2. 「感動」さえもインチキに見える瞬間
ラジオシティ・ミュージックホールのクリスマス・ショーを見た後の感想。世間が「素晴らしい」と絶賛するものほど、彼は吐き気を催す。
"It’s so phony, I can’t even stand to look at it."
「あんなのは、まるっきりのインチキだよ。見てるのもたまらなくなるくらいだ」
3. 「映画」という巨大な虚構への憎しみ
ハリウッドで脚本家をしている兄のD.B.を含め、彼は「映画」をインチキの象徴として憎んでいる。
"I hate the movies like poison."
「僕は映画がタヒぬほどきらいなんだ」
4. 知的な「背伸び」に対する罵倒
自分をインテリに見せようとする連中(村上訳のホールデン像に近いかもしれない)への一撃。
"The more I thought about it, though, the more depressed I got. I mean I started thinking about all the phonies at Pencey. You could see them even from where I was sitting."
「考えれば考えるほど、滅入(めい)ってくるんだ。つまりさ、ペンシーにいた大勢のインチキ野郎どものことを考えはじめるんだ。僕の坐ってるところからだって、そいつらが見えるような気がしたよ」
