雑司が谷鬼子母神の境内でビートルズと五つの赤い風船
雑司ヶ谷のアパートに、
学生の頃、住んでいた。池袋が近いので、頻繁に池袋文芸坐および文芸坐地下に通って映画を観ていた。⇒池袋文芸坐で観た映画の印象と記憶
都電(荒川線)を降りると、
すぐに今は空き地・駐車場になっている所に中国人のご夫婦がやられていた町中華屋さんがあり、ほぼ毎日通って食べていた。(さぞかしにんにく臭い野郎だったことだろうw)銭湯もなくなっている。

Googleマップで最近のストリートビューを見ると、動画でこの先に見える二股・三叉路の所に建っている建物はユニークな茶房に変わっていた。

でも、右の鬼子母神の参道のケヤキ並木は、都の指定天然記念物になっていることもあり、全く変わっていない。
鬼子母神の境内のベンチに座って、
夜、アパートでは煩いので、ギターを弾いて歌っていたら(中学の時はビートルズに夢中で高校の文化祭では「五つの赤い風船」のコピーバンドで出演)、暗がりの向こうのベンチで脚をきちんと揃えて姿勢良く座ってこちらをじぃーと見て聴いている長い髪の女の娘 (まるで永島慎二の漫画に出てくるようなモジリアニの絵で描かれていたようなイメージ) に気付いた。あの時、近付いて勇気を出して声をかけ付き合い始めていたら、自分の人生は変わっていたかも知れない、何てね(西岸良平の「夕焼けの詩」かよ)ww
ビートルズ台風、
なぜまだ暗い未明に羽田にビートルズが降り立ったかと言えば、春の台風で大幅に到着が遅れたから。当時の新聞は”ビートルズ台風来たる!”と騒ぎ立てた。
武道館コンサートを生で実況中継する日テレは羽田から滞在する今はなきヒルトンホテルの道すがらの記録フイルムに被せる音楽をジョン・レノンの歌う”MR.MOONLIGHT”で始めた。実にセンスの良い選曲だった。
惜しまれつつ一昨年に亡くなった1952 (昭和27) 年生まれの坂本龍一は大のビートルズファンで当時中学2年生でマッシュルームカットのヘアをしていた(NHKのビートルズ特集でその写真を見た。実はブルース・スプリングスティンがビートルズのアタオカになったのも14歳!)。
彼が中2の時にビートルズ来日。

翌年の中3の時にはもう同級の女子生徒から「もはやビートルズはもう終わりよ。今はモンキーズの時代なの」と対抗意識を燃やされた(実は僕の実体験)w
アナウンサーの徳光和夫も同じ年の生まれで(Wikiを見たら実は1941年生まれだったw)、「われわれビートルズ世代は…」などとうそぶいていたが、とんでもない、ビートルズの良さに目覚めた真のビートルズファンの少年少女はクラスで3人いるかいないかの少数で(渋谷陽一もこれ指摘していた)、大人からは”不良だ”と決めつけられた。
(⇒僕の体験談:中学の卒業記念のアルバムに載せる写真を撮影するのに写真館に行った時、そこの親爺に「そこのビートルズ、髪を耳にかけろ」と命令口調で言われた。出来上がった写真をみたら、耳にかかった髪の部分はすっかり消され修正されていたw
中1の時に他の小学校から上がって来て、僕にビートルズを教えてくれた神馬くん──ポールの当時の恋人ジェーン・アーシャー

の弟のピーター・アーシャーが結成したピーター&ゴードンのゴードンに似ていた──と鈴木くん──サイモン&ガーファンクルのサイモンに似ていた──、彼らが中学校の更衣室で歌う”ロックンロール・ミュージック”を聴いて、それまで何となく知っていたビートルズを物凄く意識するようになり、夢中になった。
その彼らは僕とは違う高校に進学して行き、そこの高校の方針で髪を坊主にされてしまっていたけれど(それにもメゲず彼らが結成していたバンド名はローリング・ビートルズ)、入学する年度から坊主にしなくても良くなった高校に、幸い僕は進学したので長髪は続けられ、”命拾い”したw (僕の母校であるその高校は現在、制服もなくなり、服装も“自由”になっている。) イッピーの思想的指導者でジョン&ヨーコの政治的時代に関わりのあったジェリー・ルービンは著書『DO IT!』で「長髪は僕らの黒い肌だ」という名言を残している。)
もっとも彼らの世代は戦後の”ベビーブーマー”で高3の時には、クラスが50名で学校全体で10クラスもあった(まさに僕が3年10組だった)。彼らが”学園闘争(体制側に立つ側からの呼び方は学園紛争)”を高3の時に経験する最後の世代だった(中島みゆきがそう。因みに僕の妹は彼女と同じ大学の同じ国文学科を卒業し、中学教師になった。東京の大学も受けて合格したけれど、東京が余りに混雑しているので嫌気がさして、蹴った、⇒注)。
でも、ビートルズファンは政治運動には行かず、ヒッピーの“フラワー革命”、“カウンターカルチャー”の方に共感を抱く者が多かった。ヒッピーの愛唱歌「愛こそはすべてAll You Need Is Love」はビートルズが英国代表として出演した1967年の宇宙中継特別番組「OUR WORLD 〜われらの世界〜」で歌われた曲であった。
ビートルズ(ジョン・レノン)の曲に”革命”を意味する「リボルーション」という曲があるけれど、歌われている内容は、当時のベトナム戦争に反対し、毛沢東に先導された紅衛兵たちによって巻き起こった“文化大革命”に熱狂し、“暴力革命”を肯定する若者たちへの、むしろビートルズなりの反対表明だった。“文化大革命”という名のもとに、醜悪な酷い惨劇が繰り広げられていたことが後に明らかになるのは周知の通りである。
しかし、「イマジン」という名曲を残したジョン・レノンは、1980年にハワイ出身で彼の熱狂的なファンの銃弾に倒れ亡くなってしまった。その日は奇しくも日本軍がハワイの真珠湾を"奇襲"した12月8日であった。
(⇒注)因みに、学生運動の挫折を描いた曲として一般に認知されているのは、中島みゆき「世情」である。歌詞の内容を見れば、そう単純ではないが、学園闘争の最後の世代である彼女が見ていた反体制派と体制派の葛藤の情景が思い浮かぶ。
“シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため”
コメント1. 初日、B 席にいました。ジョンの側の上の方でした。中2でした。泣いているファンの方、今、75歳位になっています。いい時を過ごしました。ある日教室で、先生がビートルズの公演行くやつ立て、私、起立、中間試験があるの分かっているのか!!分かってますよ、でも行きますと私、ビートルズ=不良。後にまさか教科書にのるなんて誰も思わなかった。新婚旅行でヒルトンホテル泊まりました。良い時代でした。70才の爺さんより
コメント2. 懐かしい、当時5歳だった、世の中大騒ぎ、ビートルズ、不良とか、髪長くしてるとビートルズになっちゃうよ!とか、銭湯の番台のおばさんに叱られたり、ぶどう缶て何!とか、、母親とテレビで見た、ビートルズって可愛いなと思った、涙、、帰った後世の中一変!長髪、ジーパン、エレキ、バンド、女性化、、家出、不良、自由、ぐちゃぐちゃに、、幼稚園の先生がビートルズ好きだったから、秋の遠足が羽田空港になった、あそこでビートルズが飛行機から降りたのよ!と女の先生が言った、、スーパー3というアニメがあった、ビートルズを模した面白いアニメ、、もう57年前のこと、でも、ほんの数秒前のように鮮明に蘇る、、今でも下手なギターでデイトリッパーを弾くと涙が出る、、きっと自分が死ぬときは、ひとりぼっちのあいつを聴きながら死ぬんだろうな、順調に死ねたら、、黄金の60年代に子供時代を送れて幸せだった、、今でも子供のまま、ビートルズ、ジョンに感謝、ポールに長生きしてほしい、ジョージは縁の下の力持ち、リンゴは一番のビートルズ!
五つの赤い風船は、
やはり藤原秀子さんがいた頃が良かった。文化祭で組んだ女性メンバーも藤原さんに引けを取らないアルトの素敵な声の持ち主だった。
⇒因みに僕が最初に買ったLPレコードは、高田渡とA面B面を分け合ったURC(アングラ・レコード・クラブ)レコードのもの。

西岸良平『夕焼けの詩』は、
最初の1巻から20巻程は持っている。映画の「三丁目の夕日」の鈴木オートの社長は原作と違う。原作ではあくまでも言わば狂言まわしであり、映画のように派手に暴れ回るようなことはしない。
