覚書英文法:サリンジャーの文体の文法解説〜野崎孝・訳風・その1
1.裸の不定詞の文体効果
It was still pretty early. I'm not sure what time it was, but it wasn't too late. The one thing I hate to do is go to bed when I'm not even tired. ──J.D.Salinger.The Catcher in the rye.§10.
まだかなり早かった。何時だったかははっかりしないけれど、そんなにおそくなかったことはまちがいない。何がきらいといって僕は、疲れてもいないのにベッドにはいるくらいきらいなことはない…──J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝・訳(白水社)
このサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の文章で、この "Ø go" は、文法的に非常に興味深い振る舞いをしている。
1. [The one thing I hate to do is (to) go to bed.]
解説: この文の主語は "The one thing (I hate to do)" という長い名詞句。本来、be動詞の補語として「〜すること」という名詞的意味を持たせるにはto不定詞(to go)が使われるのが標準なんだけれど、この構造では toが省略された「原形不定詞(Øゼロ不定詞・裸の不定詞 Bare Infinitive )」 が好んで使われる。これは、主語の中に動詞 "do" が含まれている場合に、補語の "to" を落とす傾向があるという英語の慣習的な語法なんだ。
例文:All I did was ask a simple question.
和訳:僕がしたことと言えば、単純な質問をしただけだ。
2. [属性としての「行為」の提示]
解説: ここでの "Ø go" は、単なる動作の描写ではなく、「僕が大嫌いなこと」というカテゴリー(属性)の内容そのものを具体的に提示している。指定の be動詞に近い働きをしており、「大嫌いなこと が 寝るってこと」、「寝るのが大嫌い」という関係を明示している。サリンジャーらしい口語的なリズムで、"to" を省くことで「嫌なこと」と「寝る」という行為がダイレクトに結びつき、ホールデンの苛立ちや率直さがより強調されている。
例文:The only thing you can do now is wait.
和訳:君に今できる唯一のことは、待つことだ。
文法構造のポイント(野崎風まとめ)
主語の仕掛け: 主語の中に「やる (do)」なんて言葉が隠れていやがる。
補語の格好: その "do" のせいで、補語の to がどっかへ消えちまって、裸の不定詞 (Ø go) がむき出しで現れるんだ。
言いたいこと: 「寝る」っていう理屈じゃなくて、その行為そのものを生々しくぶつけて、自分の苛立ちを精一杯込めてるってわけさ。
※The thing I hate is to go... と言うよりも、is go... と裸の原形をぶつける方が、ホールデンの「あー、マジで嫌だ」っていう生々しい感情が伝わってくるってわけだ。
この "do" を含む主語と裸不定詞の組み合わせは、他にも "All I want to do is..." など、日常会話で非常に強力な強調構文として使われる。ビートルズの曲、All you need is love.の“love”も、名詞の「愛」と捉えても間違いじゃないけれど、ただ「愛する」だけ、と裸不定詞で捉えるほうがいい。
2. 物語の結末〜to不定詞の距離感・到達点
物語の最後、第26章のあまりにも有名な一節を分析してみよう。
Anyway, I’m sort of glad they got me to come here. It’s a funny thing. Don’t ever tell anybody anything. If you do, you start missing everybody. (とにかく、連中が僕をここへ入れさせてくれたのは、まあ、よかったと思ってる。おかしなもんだよ。誰にも何も話しちゃいけない。話しちまったら、誰のことも懐かしくなっちまうからさ。 ──野崎孝・訳より)
文法的解説: ここで注目したいのは、最初の文の "got me to come here" 使役動詞の get が使われているんだけど、同じ「させる」でも make(強制使役)や have(代行使役)ではなく get (負荷使役)を使っているのがホールデンらしい。 "get + O + to-Infinitive" という距離感が感じられるto+到達点の語を使う形で、「説得したり、紆余曲折あったりして、何とか〜させる」というニュアンスを含ませている。彼がここ(療養施設)に来るまでの葛藤や、周囲との摩擦、そして最終的な「あきらめ」と「納得」が、この "to come" という形に凝縮されているんだ。
野崎風分析: 「連中が僕をここへ来させた(to come)」っていうのは、単に命令されたってわけじゃない。なんだかんだあって、結局こういう形になっちまったんだ。そういう、理屈じゃ説明しきれない世の中の「おかしな」仕組みが、この短い一文に詰め込まれてるんだよな。
※10章では「裸不定詞」でイライラをぶつけ、26章では「to不定詞」で自分の辿り着いた場所を静かに受け入れている。不定詞の形ひとつで、ホールデンの心の温度が変わるのがわかるってことか…。
3.「断定を避ける」言語感覚〜条件節による「メタ的」な橋渡し
1. 発話の条件節〜インチキか否かの二分法
次は、サリンジャーがよく使う「〜とか何とか(and all)」といった、文末をぼかす特有の口語表現の文法的役割について深掘りしてみる。この「断定を避ける」ホールデンの言語感覚は、彼が使う "if you want to know the truth"(実を言うとさ)という口癖にも共通している。
このフレーズは「誠実さへの強迫観念」、ホールデンの孤独な精神構造(実はサリンジャーの戦争体験のトラウマの反映)を映し出す、まさに鏡のような言葉なんだ。
野崎訳では「実をいうとさ」「本当のところをいえば」と訳されるこの口癖を、「誠実さ」という観点から解剖してみる。
文法的解説: 文法的には、これは文全体を修飾する「発話の条件節」と呼ばれるもの。面白いのは、相手が本当に真実を知りたがっているかどうかに関わらず、ホールデンはこのフレーズを「これから語る内容は、世間のインチキとは違う僕だけの真実だという宣言の合図として使っている点だ。
例文:I was pretty depressed, if you want to know the truth.
和訳:僕はかなり落ち込んでたんだ、実をいうとさ。
2. 「誠実さ」への強迫観念と「措定」の深層
解説: ホールデンは、世界を「インチキ(phony)」と「本物」に二分している。彼は「AはBだ」と断定することの危うさを知っているからこそ、自分の発言に対して「これは嘘じゃない、真実なんだ」という保証(タグ)を付けずにはいられない。
野崎風分析: 「僕は悲しかった」とだけ言うのは、なんだか安っぽくて嘘くさい。だから「もし君が真実を知りたいんなら(話してやるけど)」なんて余計な前置き・付け足しをして、自分の言葉に必死に「誠実さ」というハンコを押そうとしてるんだ。誰かに本当の自分を分かってほしいっていう、切ないほどの強迫観念の表れなんだよな、これって。
3. 聞き手(君You)への依存
解説: このフレーズには必ず "you" が含まれている。これは単なる独り言ではなく、常に「誰か」に対して、自分の心の扉をノックしている証拠なんだ。たとえ相手が目の前にいなくても、彼は「真実を求める君」という架空の聞き手を設定し続けることで、自分の存在を繋ぎ止めている。
ホールデンの「誠実さ」タグの構造
インチキへの拒絶: 世の中の定型的な言い回し(措定)を「嘘」だと感じ、自分だけの真実を希求する。
防衛本能: 「真実を知りたいなら」と付け足すことで、拒絶されることへの先回りの言い訳にしている。
コミュニケーションの逆説: 断定を避けるために言葉を尽くせば尽くすほど、ホールデンの内面は孤独に、かつ饒舌になっていく。
※彼がこのフレーズを使う時って、大抵すごく個人的で、ちょっとカッコ悪いことを告白する直前なんだ。「本当のことを言うと、怖かったんだ」みたいに。自分の弱さをさらけ出すための「免罪符」のような言葉にも聞こえて、胸が締め付けられる。
4. アイデンティティの措定〜I'd like to be...
「真実」を追い求めすぎて疲れ果ててしまうホールデンなんだけれど、この「自分をどう定義するか(措定するか)」という苦しみは、彼が自分を "the catcher in the rye"(ライ麦畑のつかまえ役)だと空想する場面で、一つの極みに達する。
ホールデンが抱く唯一の「将来の夢」、"the catcher in the rye"。 彼が自分を何者かとして定義(措定)しようとするこの名場面を、文法的・精神的な視点から深掘りすることにしよう。
この場面の核心にある文章がこれ。
"Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody’s around—nobody big, I mean—except me. And I’m standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff—I mean if they’re running and they don’t look where they’re going I have to come out from somewhere and catch them. That’s all I’d do all day. I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be."
とにかくね、僕にはね、広いライ麦畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちがみんなで何かゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって、大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕は危ない崖の縁(ふち)に立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子を捕まえることなんだ。つまり、子供たちは走ってる時、どこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんな時、僕はどこからかさっと飛び出して行って、その子を捕まえなきゃならないんだ。一日中、それだけをやってればいいんだな。ライ麦畑の捕まえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、本当になりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ──J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝・訳(白水社)より
1. [I’d just be the catcher in the rye.]
解説: ここでの "be" は、まさに「アイデンティティの措定(Ascriptive)」の極致なんだ。注目すべきは、助動詞 "would (I'd)" が伴っている点。これは単なる未来の予定ではなく「もし僕だったら、そういう存在でありたい」という主観的な意志と仮定を表している。彼は、弁護士や科学者といった社会が用意した既存のカテゴリー(属性)を拒絶し、自分自身で作り上げた独自のカテゴリー「つかまえ役」に自分を放り込もう(措定しよう)としている。
野崎風分析: 「僕は『つかまえ役』だ」なんて言い切っちまうのは、あいつにしてみればちょっとおこがましいんだな。だから "I'd be" なんて言って、「僕だったら、もしできることなら、そういうものになりたいんだ」って、淡い夢みたいに語ってる。自分を定義する言葉を、世間から借りてくるんじゃなくて、自分の心の中からひねり出してるんだよ。
2. 定冠詞 "the" による「唯一無二」の指定
解説: ここで "a catcher" ではなく "the catcher" と言っているのが非常に重要。"the" は「特定の対象を指し示す」力を持っている。彼は「数ある職業の中の一つ」としてのつかまえ役(a catcher)ではなく、世界でたった一人、崖っぷちで子供たちを守る「あの、例の、唯一の存在(the catcher)」としての自分を夢想している。措定(属性の塗り込み)でありながら、同時に「自分はこうなりたい!」という強い指定(同定)のエネルギーが混ざり合っている。
3. [What I have to do, I have to catch...] の構造
解説: 冒頭のサリンジャーの解説で触れた「主語の do + 補語の 裸不定詞」の変奏曲がここでも響いている。厳密には "have to catch" だけれど、"What I have to do" と切り出すことで、「僕がなすべきこと は 捕まえること(Ø catch)」という関係をダイレクトに提示している。ここでも "to catch" という説明的な形よりも、"Ø catch" という行為の生々しさがホールデンの頭の中を占拠しているのがわかる。
アイデンティティ措定のポイント
自律的なカテゴリー化: 社会的なラベル(弁護士等)ではなく、自身の想像力で「自分」を定義しようとする。
"the" による宿命感: 誰でもない、自分こそがその役割を担うべきだという強い同定。
仮定法 "would" の孤独: 現実にはそんな役割は存在しないことをどこかで悟っている、切ない響き。
※子供たちが崖から落ちないように「捕まえる(catch)」という動詞が、そのまま彼のアイデンティティ(catcher)になっているのが健気なのだ。自分が「大人」という崖から落ちそうになっているからこそ、せめて他の子供たちだけは、という祈りのような措定なんだ。
5. 「クレイジー」の正体:戦場からの生還
この動画の解説を聞けば、全てが腑に落ちるだろう。
サリンジャー自身、22歳でホールデンというキャラクターを誕生させた直後、ノルマンディー上陸作戦という地獄を経験している。3100名の上陸部隊のうち、わずか1ヶ月足らずで2500名が死傷するという凄惨な戦場だった。 ホールデンが物語の中で見せる「統合失調気味なクレイジーさ」や、突然の「馬鹿笑い」、タヒへの執着などは、この戦場体験から来るPTSD(心的外傷後ストレス障害)と切り離せないと動画では分析されている。
野崎風解説: 「あいつが『タヒにたい』とか『消えちまいたい』なんてグダグダ言ってるのは、ただの思春期の気取り、厨二病なんかじゃないんだ。サリンジャー自身が、タヒ体の山をくぐり抜けて戻ってきた時に感じた、この世界への耐え難い違和感そのものなんだよ。戦場では命がゴミみたいに扱われるのに、ニューヨークに戻れば連中は『人生はゲームだ』なんて抜かしやがる。その絶望的なギャップが、ホールデンをあの極限状態まで追い詰めてるんだな」
1. 「クレイジー」の設定:病室からの語り
この物語は、精神病院(療養施設)にいるホールデンが「君」に語りかける構成をとっている。彼が自らを「クレイジー」と呼び、文末を "and all"(〜とか何とか)や "if you want to know the truth"(実を言うとさ)で濁すのは、単なる若者の照れではない。22歳でノルマンディー上陸作戦という「地獄」を経験したサリンジャーにとって、言葉はもはや事実を正確に伝える機能を失っていた。PTSDの影響下にある人間にとって、世界は「信じられるもの(無垢)」か「信じられないもの(インチキ)」かの二極に分裂する。この極端な二元論が、"phony (インチキ)" という断定的な「レッテル貼り(属性の塗り込み)」の乱用を招いているんだ。
2. 「ライ麦畑のキャッチャー」という祈り
ホールデンがなりたいと願う「崖っぷちで子供を捕まえる役目」。動画の分析によれば、この「広いライ麦畑」はサリンジャーにとっての「戦場」の心象風景であり、「崖」は「タヒ」の象徴なのだ[23:40]。
解説: 何千人もの子供たちが無邪気に遊んでいるのは、かつての純真な兵士たちの姿。彼らが気づかぬうちにタヒ(崖)へと落ちていくのを、せめて自分だけは食い止めたい。これは、「大人たちのインチキなゲーム(戦争)」によって命を落とす若者たちを救いたいという、サリンジャーの魂の叫びなのだ[24:58]。
[I know it’s crazy]
I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be."
ライ麦畑の捕まえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、本当になりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ──J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝・訳(白水社)より
最後の一文 "I know it’s crazy" を、サリンジャーは二回繰り返している。
"I know it’s crazy, but...": 世間(インチキな大人たち)の尺度から見れば、自分の言っていることが異常(crazy)であるという自覚。
"...I know it’s crazy.": それでも、自分を救うための「定義(措定)」はこれしかないという、一種の諦念と覚悟。
この "crazy" という言葉こそ、サリンジャーが戦場で体験した狂気と、ホールデンが精神病院に送られた理由を結ぶ、唯一の、そして悲しい架け橋なんだ。
つづく

