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【臨死体験】マジで死ぬかと思った時の思考【岡山県の秘境で遭難して得たもの】

どうも、K-styleです。

〜瀧神社 奥の院〜
岡山県で最強のパワースポット


2022年10月からInstagramとTikTokを同時運用して、現在はSNS総フォロワー数13万人に到達しました。(2026年7月時点)

岡山を切り撮る人として活動してきて、本当に良かったなと心の底から感じています。

そもそも何者…?と思われた方もいらっしゃると思います。K-styleについてはこちらからどうぞ。


そして、いつも発信を見てくださる皆さんには感謝しかありません。
本当にありがとうございます。


素敵な感想の一部です。


2022年にSNSを開設した当時、僕がアカウントを立ち上げたばかりの時にはすでに多くのインフルエンサーさんや発信者がひしめく中で、いわゆる後発組として活動を始めたんですが、iPhone1台(当時はiPhone12のProですらないノーマルカメラ)で、スキル0・知識0・実績0からスタートしました。

もちろんずっと順調だったわけではなく、最初の倉敷美観地区を撮影したリールはいきなり1万再生を突破して「え、もしかして自分は天才かも!?」なんて自惚れましたが、その次に出したリールは200再生、その次も300再生と泣かず飛ばずでした。

そこから試行錯誤を重ねました。

毎日Instagramにログインしては、リサーチして分析してを繰り返して、ようやくバズを生み出し、10ヶ月目で2.3万人ものフォロワーさんたちに応援してもらえるまでに至りました。

2026年8月現在では
フォロワー数は7万人に到達。
TAPするとアカウントへ
飛ぶことができます。

そんな飛ぶ鳥を落とす勢いでSNSを伸ばしていく中で、同じ発信者というかインフルエンサーでもある女性ともお付き合いすることになって、有頂天で舞い上がっていました。

この時は投稿するリールやショート動画は数万〜数十万再生、はたまた数百万再生も連発していて、この世の全てを掌握した気持ちになっていました。

300万回以上再生されたリールはこちら

そう、この時は完全に調子に乗っていたんです。

けど、そこからだんだんと雲行きは怪しくなっていきます…。

再生数が落ちていく恐怖

そんな中でも大きな転機は、その女性とお別れをしてからでした。お別れを機に、Instagramの再生数が落ち始めたんです。

今振り返って冷静に分析すれば要因はわかるのですが、なにせ当時は発信者1年生なのでアルゴリズムも完全には把握できていませんでした。

再生されないという事実から、とてつもない焦りと自己肯定感の低さに襲われて、スポット紹介企画の穴場の中でも少し危険なところや秘境にまで挑戦するようになりました。

そうすることで再生数を出そう出そうとしてたんです。その別れた女性にも見せつけてやりたいみたいな虚栄心もありました。

虚栄心とは、見栄を張りたがる心のこと。

よく、再生数欲しさにYouTuberの方が炎上覚悟で迷惑行為をしたり、バズりたい若者が回転寿司屋で醤油を直飲みするみたいな心理状態と同じです。

そして、そんな中で出会ったのがこの秘境です。

日本で最も参拝しにくい場所の一つ

滝神社奥の院。

岡山県勝田郡奈義町の滝山中腹に位置する、原生林に囲まれた岩間の霊地でした。御祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)瀧大領権現(たきだいりょうごんげん)

*白鳳年間に創建されたとされ、かつては修験道の霊地として女人結界が敷かれていました。

白鳳年間(はくほうねんかん)とは、飛鳥時代後期(7世紀後半)に用いられる非公式の時代区分(私年号的呼称)。
一般に 西暦672年〜686年頃を指すことが多い。

日本の正式な元号は、大化(645年)から始まり、白鳳に相当する時期の公式元号は朱鳥(686年)→ 大宝(701年)などに連続している。

「白鳳」という呼称は、
・仏教史
・美術史(白鳳仏・白鳳文化)
・建築史
の分野で、天武・持統天皇期前後の文化様式をまとめて呼ぶための後世の区分として用いられている。

史料上、「白鳳」という元号が当時に公式に使われた証拠は存在しない。
ただし、『日本書紀』や寺院縁起の文脈では、白鳳文化期=仏教文化が地方へ急速に広がった時代として整理される。

ChatGPT先生より


この神域には、近世美作の国津山城の鬼門の守護神として、*森忠政(もりただまさ)の信仰厚く鳥居や石の宝殿が寄進されている。

森忠政(もり ただまさ)とは、安土桃山時代〜江戸時代初期に活躍した戦国大名・外様大名で、美作国津山藩(現在の岡山県津山市周辺)初代藩主である。

織田信長の重臣・森可成の六男で、森長可(鬼武蔵)の弟としても知られる。

森忠政は、1565年(永禄8年)生1634年(寛永11年)没
父は織田信長に仕えた森可成、兄に森長可がいる森家の人物。
関ヶ原の戦い(1600年)では徳川家康方(東軍)につき、その戦功により
美作一国18万6,500石を与えられ、津山藩を立藩した。

津山城(鶴山城)を築城し、城下町・津山の基盤を整備した人物として記録されている。



明治の末頃まで『お瀧参り』とよばれ、作州全域から多くの崇敬者が参拝していた。

約1,300年前の創建には、奈良時代の初期に、修羅道の祖と言われる*役(えん)の小角(おづぬ)、役の行者・神変大菩薩(しんべんだいぼさつ)、生没年不詳7,8世紀の呪術的宗教家、修験道の開祖とされる人によって開かれた場所と言われている。

役の小角(えんのおづぬ)とは、飛鳥時代の呪術者

西暦634年奈良県葛城市生まれ、人物像は後世の伝説も大きく、鬼の夫婦『前鬼・後鬼』を従えていたとされている。

天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場でも役小角・役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。役氏(えんうじ)、役君(えん の きみ)は、三輪系氏族に属する大国主系の氏族で、葛城流賀茂氏から出た氏族であることから、加茂役君、賀茂役君(かも の えん の きみ)とも呼ばれている。

20代の頃に中臣鎌足の病気を治癒させたという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた人物とされている。

本来のルートは拝殿から片道2時間。けれど、途中に陸上自衛隊の日本原演習場があるため、年に数回の企画イベントに参加しない限り通ることができませんでした。

では、どうやって行くのか。

那岐山(標高1,255m)に登り、そこから稜線づたいに滝山へと縦走する。滝山山頂から奥の院までは、50分ほどの急勾配を一気に下る。帰りは、その道を1時間ほどかけて登り返さなければならない。

成人男性の足でも往復で10時間ほどかかる場所。「日本で最も参拝しにくい場所」と言われる理由がそこにありました。

ネットには「片道5時間」と明記されていました。

僕はそれを読んでいました。知っていました。理解していたつもりでした。

「これは絶対にバズるぞ」

そう思った瞬間、僕の視野は恐ろしいほど狭くなっていました。



夜勤明けの軽率な判断

2024年5月14日。

夜勤が明けたのは朝の7時か8時頃でした。当時、僕はホテルのフロントスタッフとして働いていました。(今はありがたいことにSNS一本で生活しています。)2、3時間ほど仮眠を取り、倉敷市から奈義町まで車を走らせました。2時間半の道のり。コンビニで食事を済ませ、現地に着いた時、僕はまだ「下見」のつもりでした。

「どんな場所かな」

そう思って駐車場に立った時、空は青く晴れていました。

天気がいい。せっかくここまで来たんだし。少し様子を見てみようかな。

その「少し」が、すべての始まりでした。

普段から秘境と呼ばれる場所にはよく行っていました。だけど、それは30分も歩けば着くようなところばかりでした。その習慣が、油断を生んでいました。

「片道5時間」という文字を読んでいても、理解できていませんでした。いや、理解することを拒んでいたのかもしれません。「自分なら行けるだろう」という根拠のない自信が、読んだはずの情報を上書きしていきました。

500mlのペットボトル2本とおにぎり1個。

それだけを持って、僕は山に入りました。

読んでいても理解していない状態

ここで一つ、お伝えしておきたいことがあります。

「読んでいても理解できていない」という状態は、想像以上に恐ろしいものでした。

僕は確かに「片道5時間」という情報を目にしていました。でも、その時の僕は再生数を稼ぐこと、バズること、別れた女性に見返すことで頭がいっぱいでした。焦りや虚栄心が、冷静な判断を奪っていました。

脳科学的にも、人は不安や焦りを感じている時、視野が狭くなり、情報処理能力が低下すると言われています。

つまり、目に入っていても、脳が正しく処理できていない。そういう状態だったんだと思います。

最初はひょいひょいと軽快に登っていきました。那岐山から滝山へ。二つの山を渡り歩く。今でこそ「縦走」という言葉を知っていますが、当時の僕にとってそれは未知の世界でした。

身体が限界を迎える

稜線は段差が激しいものでした。


足が着地するたびに、ずしんと負荷がかかりました。やがて、片方の足が攣りました。

稜線の真ん中。コースのちょうど半分くらい。

「ここで帰るのは本当にもったいない」

そう思いました。もったいない。その感覚が、僕を突き動かしていました。

滝山まで来て、看板を見ました。

「あとちょっとだ」と思って、つい先へ進みました。

そこで、両足が攣りました。

全く動けなくなりました。でも、まだ遭難したわけではありません。ここでも、とにかくたどり着かなきゃいけない。その一心だけで、僕は降り続けました。(この時僕は何かに取り憑かれていたのかもしれません)

途中、黒い大きな物体が見えました。ガサガサと音がしました。クマじゃないかと、恐怖が背筋を走りました。


でも「もう二度と来れないかもしれない」という執念が、その恐怖を押しつぶしました。

そして無事に到達!

たどり着いた時には、脳内でアドレナリンとかドーパミンとかがドバドバ出ていたと思います。

両足が攣った状態でも、30分ほど撮影を続けました。不思議なことにむちゃくちゃ動けました。痛みを全く感じませんでした。

そして、ふと気づいてしまったのです。


「これから、どうやって帰るんだろう…」


今まで来た道を想像しただけで、心が折れかけました。滝神社から滝山山頂までの急勾配。帰りの方が、絶対にしんどい。そのまま下山したくても、自衛隊の駐屯地があるから、来た道を戻るしかない。

水はほとんど飲み干していて、少ししか残っていませんでした。5月の炎天下の中で帰り道に脱水を起こしていました。

湧き水を目指して

那岐山の入り口付近に、湧き水が飲める給水場があったことを思い出しました。湧き水はあまり飲まない方がいいと言われますが、この山はパワースポットと呼ばれるほど水が綺麗な場所です。

喉がカラカラでした。何時間も水を飲んでいません。

とにかく、這いつくばってでもあそこまで戻ろう。

本来、トレッキングでは杖を使います。でも僕は軽装備(K装備)で来てしまっていて持っていなかったので、その辺にある木を杖代わりにして登りました。途中の展望台のような休憩所で、10分から15分ほど仮眠を取り、再び稜線をたどりました。

そして、足が完全に限界を迎えました。

もう歩けない。そう思いました。それでも匍匐前進(ほふくぜんしん)しながら、ようやく那岐山の山頂まで戻ってきました。

「途中に水がある」

その思いだけで、痛む足で山を降りました。猛スピードで降りました。

携帯のナビを見ながら進みました。しかしこれが、決定的な間違いでした。

思考が壊れていく

本来はコンパスで方角を確認すべきでした。でも、早くたどり着きたい一心で、冷静な判断ができなくなっていたんです。

携帯の電波は不安定でしたが、地図のナビだけは繋がっていました。

「まっすぐ行けば早く降りられる」

頭が、少しおかしくなっていたんだと思います。この時、頭を使って考えようとせずに楽をしようとすることばかり考えていました。

本来のコースはやや横に逸れいて、ゆっくり迂回するようになっています。

真ん中の赤丸が
遭難ポイント


でも僕は、そこを無理やり直進しました。

そう、本来のコースから大きく外れて道を進んだのです。

目指していた給水所には、もちろんたどり着くことはできませんでした。自分がどこにいるのかも分からなくなりました。本来、人が進むべきではない道を、奥深くまで突き進んでしまっていたからです。

さらに夜勤明けの眠気が、この瞬間に重くのしかかってきました。そして、ついにそこで動けなくなりました。

足は完全に棒のようでした。眠さ、空腹、水不足。思考が全く回らなくなりました。

立ちすくんだまま、携帯の画面を見ました。充電はある。モバイルバッテリーもある。電波は通じている。

でも、足は1ミリも動かせません。かなり急勾配な場所で力尽たので、ここから上に戻ることも不可能です。

11時に入山し、15時半に力尽きました。

そして、ここでようやくレスキューを呼ぶことを決意しました。

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