朝4時半。
この時期の4時半はもう、うっすらと明るくなってきている。
いつものようにnoteを書こうとすると、メンテナンス画面が表示された。
あれ?そんなこと告知されていたっけ?と思いつつ、X(旧Twitter)の情報を漁る。どうやら、昨夕にシステム障害があったそうで、緊急メンテナンスをしたようだ。
私もIT業界の端くれにいたことがあるので、現場がどれほ大変だったかは想像がつく。運営さん、いつもありがとうございます。
現在5時半、メンテナンス終了のアナウンスはないが、書くことができているので書き始めた。
この出来事から、こんな話を思い出した。
私の師匠、ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんの話だ。
過去に連載を持っていたWebメディアがサービスを終了し、いよいよサイトクローズされたという。公開されていたご自身の原稿はバックアップをとったそうだが、その数200本弱。
他にも素敵な原稿があったが、それも今や見れないものとなってしまった。紙よりWebの方が人の目に触れると考えてきたが、一周まわって紙なのかもしれない、とエッセイで書かれていた。
私は、当たり前のように毎日コラムをnoteで書き続けている。でももし、なんの前触れもなく、重大障害が起こってデータが壊れてしっまったら?
noteがサーバー攻撃を受け、急に記事が見られなくなったら?
考えるだけでぞっとする。私の、500日以上にわたるコラムは、跡形もなく消し飛んでしまうだろうから(とはいえ実際は、バックアップを取っているだろうし、本当に抹消されることはなかなか起こりえないとは思っているが)。
自分が書く理由のひとつに「私はここにおるぞ」という痕跡を残したいという本音があるのに最近気づいた。だから、毎日、飽きもせず文章をしたためている。
しかし、コンテンツというものに依存している時点で、私の痕跡など、吹けば飛ぶほど脆いものなのかもしれない。
私の痕跡って(そしてあなたの痕跡って)、いったいどこに残るんでしょうか?
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