読みやすさとわかりやすさ
私は、しつこい。
まだまだ文章の質について、考える。
文章の質とは、そのまま「読みやすさ」ではないか、という仮説を私は立てた。
文章にノイズを入れないこと。文章を短くすること。
総じて、読みやすくすること。
これは、気持ちの問題ではない。書く技術だ。
この技術こそが、文章の質に直結している、と私は考えている。
なんでもタイパ・コスパの時代。
スラスラと読めて脳に負担をかけない文章。
これが、商業ライティングに必要なのは間違いない。
ところで、「読みやすい」と同じように使われる言葉に「わかりやすい」もある。
「読みやすい文章を書きましょう」という文脈は、「わかりやすい文章を書きましょう」という文脈に置き換えられる場合もしばしばあるだろう。
でも私は、この置き換えには疑問を投じたい。
例えば。
私は、毎朝コラムを書いている。
書くネタを探すために、日常を注意深く観察するようになった。
おかげで、日常をより鮮やかに感じている。
短くて、読みやすい文章だとは思う。
言葉の意味も、まあわかる。
でも、である。
「注意深く」とは、「鮮やか」とは、一体何を指すのだろうか。
「注意深く」も「鮮やか」も、頭の中で具体的なイメージができない。
「注意深く」といっても、何をどうすれば注意深いのだろう。
「鮮やか」といっても、実体はなんだろう。
もし文章で「注意深い」こと、「鮮やか」であることを表現するなら、「注意深い」や「鮮やか」では足りないのだ。
この文章は「読みやすい」し「わかった気になる」文章だが、実は、「わからない」文章なのである。
「読みやすい文章」は「わかりやすい文章」の前提かもしれない。しかし、「読みやすい文章」が必ずしも「わかりやすい文章」とは限らない。
「わかったような気になる文章」は、結局相手に何も伝えない。
抽象的な言葉は便利だけど、相手の心は動かさない。
抽象的な言葉で、わかった気にさせちゃいけない。
私たち書く人は、読みやすい文章、わかりやすい文章を書くべきだ(急に主語が大きくてすみません)。
読みやすい文章は、文章のジャンルにあった文体で、短く書くことで実現できる。
それでは、わかりやすい文章とは?
答えは、ひとつ出ている(というか教えてもらった)けれど、それについてはまた明日。
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