影すら溶けていく世界で-光と闇の構造論:BUMP OF CHICKEN『太陽』|感情の設計図#12
光の中にいても、誰かの不在を感じるとき
闇の中にいても、誰かの存在を感じるとき
影すら溶けていく世界で、
僕らは何を見つめるのだろう。
誰と繋がりたいと願うのだろう。

シーンの最前線に飛び出た2004年作
『スノースマイル』『ロストマン/sailing day』『オンリーロンリーグローリー』などのシングル曲を経て、2004年8月25日。BUMP OF CHICKENによる「世界樹」を意味する2ndアルバム『ユグドラシル』が発売された。
オリコン週間1位、ダブル・プラチナを獲得して最終的には70万枚近くになり、第19回日本ゴールドディスク大賞(2005年)ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞。
発売当時に聴いた時の率直な印象は「重くて暗い…」だった。多くの曲はメジャー1stアルバム『Jupiter』の時よりも音数やテンポが抑えられていた。今思えば、それはモノクロのアルバムジャケットですでに示唆されていたのだが。
でも、聴きこんでいくうちに筆者の印象は変わっていった。
ボーカル藤原基央さんのソングライティングが冴え渡っている。詩は味わい深く、メロディは美しく。
暗闇の中に、絶望の中に、じんわりとあたたかさが感じ取れる。
そしてその感触は『太陽』に思い切り詰まっていた。
「僕」の内面世界の歌としての仮説
以下、記事の内容は公式見解とは異なるので、あくまで仮説としてご笑覧いただきたい。
『太陽』の歌詞は極めて抽象的かつ寓話的で、多くのメタファーが散りばめられている。なにより題名の「太陽」そのものは、歌詞に一度も登場しない。
筆者は『太陽』をボーイミーツガール的な歌ではなく「僕」の内面世界の歌として捉えている。この仮説は、筆者のバイブルでもある村上春樹の1985年作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』そしてさらに作品世界を再構築した2023年作『街とその不確かな壁』から着想を得た。いずれも、主人公の「僕」が作り出した内面世界をめぐる小説だ。
もの哀しい響きのギターのアルペジオが鳴り響くイントロを経て、Aメロがゆったりと始まる。
二度と朝には出会わない
窓の無い部屋で 動物が一匹
ドアノブが壊れかけていて
触れたら最後 取れてしまいそうだ
冒頭にある「窓の無い部屋」は、他者から隔絶された自己の精神世界。人との関わりを避けているから「窓」が無いのだろう。「ドアノブ」は「こちら側≒自分」と「あちら側≒世界」の境界線。ちなみにこの時、部屋にいるのは動物が一匹。これは後で触れたい。
自己と世界、あるいは現世とあの世の境界線として語られるものは他にもある。たとえば村上春樹の世界でいうならば「井戸」や「壁」「石」だし、新海誠の世界なら、すずめの戸締まりにおける「扉」そのものだろう。そのドアノブが壊れかけているというのは、自己と世界との境界線(自我)が曖昧になっているということの現れに思える。
そして、Aメロの終わりから徐々に心音のようなドラムが入ってくる。テンポは78BPM。ミディアム〜スローテンポで、4/4拍子ながら独特のリズムを刻む。
「太陽」が意味するもの
1番のサビでは、重要なキーワードが複数登場する。
空のライトが照らしてくれた
僕には少し眩しすぎた
そして誰もが口を揃えて
「影しか見えない」といった
まずはライトに注目したい。歌詞が何を意味するのか、じっくり何度も反芻して聴いていく。徐々に、サビで登場する「空のライト」が「太陽」のメタファーであることが分かる。でも不思議だ。なぜ窓の無い部屋にいるのに、太陽を感じられるのだろう。
ここでも心に村上春樹を宿して仮説立ててみる。「太陽」は「強い自己意識」やあるいは「自分の中にある他者性」のメタファーなのではという考えが持ち上がってくる。なるほど、物理的な光ではなく観念的なものだから、「窓の無い部屋」にもそれは照らされる。
ライト≒太陽によって投影され浮き彫りになる「影」はどうだろう。「見たくない、不完全な自分。傷や痛みを抱えた存在」と解釈した。
「君」は誰だったのか
今度は、2番サビを見てみよう。ここでやっと「君」が登場する。
君がライトで照らしてくれた
暖かくて 寒気がした
光の向こうの君の姿が
僕には見えないと知った
「君」はライト≒太陽≒強い自己意識で心の中を照らし出す。
そのエネルギーゆえに「暖かくて寒気がした」という不思議な表現が出る。
最初、筆者は「僕」と「君」は別の人間だと捉えていた。が、待てよ、と思った。『太陽』を内的世界の歌だとすれば、ここで出てくる「君」は、自己の中にある別人格だとも捉えることができる。外の世界を恐れる「僕」に対して、別人格である「君」は光をもたらす導き手である。ライトの光の強さゆえに、その真の姿は「僕」には見えない。
その仮説(同一人物説)に立つと、2番ブリッジ部分の優しくも不思議なコーラス「かくれんぼ」の解釈がしやすくなる。
かくれんぼしてた 日が暮れてった
見つからないまま暗くなっちゃった
皆帰ってった ルララルララ
かくれんぼしてた ずっと待ってた
「かくれんぼ」は単なる遊びではない。それは「誰かに見つけてもらいたかったけれど、誰にも見つけてもらえなかった」内面世界に封じられた感情の記憶を象徴している。かくれんぼは自己喪失の寓話であり、自分ですら自分の居場所を思い出せない。それでも誰かを待っていた過去のかけらなのだ。
影すら溶けていく世界で
2番のBメロに目を移す。この歌で一番重要な箇所だと考えた。
例えば信じてくれよ
こっちはなおさら疑うさ
それより触ってくれよ
影すら溶けていく世界で
影じゃない僕の形を
「信じてくれよ」「触ってくれよ」と切実な願いを、でも恐る恐る控えめに差し出すのが印象的だ。信じてほしいのに、なおさら疑ってしまう、不信と渇望の同居。対人関係における欲求と恐怖のジレンマが凝縮されている。
そして後半の「影すら溶けていく」について考える。影すら溶ける、つまり「光も影も区別がなくなる場所」とは何だろう。以下の2つの可能性を孕んでいる。
1つ目は、変化の瞬間=過渡期の世界。
自己と他者の境界が溶け、世界の捉え方が変わろうとしている様子。
2つ目は、終末的な空間=死や忘却の比喩。
存在の痕跡(=影)すら消える、極端な孤立・喪失の状態。
この流れは、『太陽』全体が描いてきた「孤独と接触の葛藤」の到達点でもあり、藤原基央さんのテーマである「触れることの怖さと尊さ」が、ここに凝縮されている。
結末をあえて描かない結末
『太陽』は冒頭のAメロに循環して曲を閉じる。
もう一度 朝と出会えるのなら
窓のない部屋に 人間が一匹
ドアノブが壊れかけていて
取れたら最後 もう出られはしない
出れたら最後 もう戻れはしない
最後、窓の無い部屋にいるのは動物ではなく人間である。内面世界での成長、あるいは囚われからの解放を遂げたからだろうか。
「僕」がドアを開けたのか、「君」と一つになれたのか、外の世界へと出ていったのかは語られない。
(ただ、アルバム『ユグドラシル』ではや『オンリーロンリーグローリー』や『同じドアをくぐれたら』など、ドアの外の世界に出ていくことを示唆する曲も存在している)
さて、冒頭に村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『街とその不確かな壁』を引き合いに出して取り上げた。それはなぜか。「僕」と「君」あるいは「僕」と「影」がどうなったのかを、両作品は同じ内面世界のモチーフながら対照的に描いているからだ。いささか強引に紐づけつつ考察していったが、『太陽』の結末を考えながら、これらの村上作品を味わうのも豊かな時間で悪くないなと思える。
僕たちは誰しも、心の中に光と闇を抱えながら生きている。
光ばかりを求めがちだが、闇があるからこそ光を感じられる。
少しばかり、闇をじっくり味わってみよう。少し怖くても、そこには誰かの呼吸の音や触れた時の温もりが感じられる。かすかな香りがある。光と闇は善悪二元論的なものではなく、あくまで表裏の関係であり渾然一体なのだと気づくことができる。
暗闇の中で、僕たちは本当の意味で自由になれる。太陽を感じられる。
あなたのドアノブにも、手を当ててみよう。何が見えるだろうか?
補足:BUMP OF CHICKENのPeople Tree
2000年代以降に登場した邦楽ロックバンドのほとんどは、BUMP OF CHICKENの大きな影響下にあるといって差し支えないだろう。
藤原基央さんの詞世界には一貫して「他者との距離感」「触れることへの恐怖」「自己の輪郭」が描かれ、時代や編成が変わっても、孤独と希望、痛みと救いの両立が核にある。

邦楽・洋楽さらにはゲーム音楽からの影響を受けて独自の世界観を築いているが、特に初期の美しくもダークな楽曲群にはRadioheadの香りがする。メンバーも影響下にあることを認めている。
1993年当時の『Creep』ライブ映像。

また、『orbital period』以降は内省的な世界から飛び出して、開かれた雰囲気や宇宙的世界観の楽曲が増えていった。これはあくまで私の印象だが、『Viva la Vida』以降のColdplayとの同時代的共振を感じずにはいられない。

米津玄師、RADWINPSをはじめ現代のロックバンドやポップアーティストに多大な影響を与えつつ、いまもなお人々の心の奥深くに染み込む上質な楽曲を生み出し続けていることに驚きしかない。
バンプチルドレンを公言しているGalileo Galileiも、寓話的で美しい抒情世界を描いている。こちらもお読みいただけると幸いである。
(追記)
BUMP OF CHICKENが『太陽』をライブで演奏するのは非常に珍しいようだ。
2015年、横浜アリーナでの貴重なライブ動画。
ご興味を持っていただいた方へ。他の楽曲も👇で紹介しています。
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