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インドネシア千日草

今日も今日とて、6時頃に日が昇り、6時頃に日が沈む。赤道直下の毎日は季節感という概念をどこかに置き忘れてきたかのように、非常に安定している。安定しすぎている。朝も暑い。昼はもちろん暑い。夕方も油断すると暑い。そんな金太郎飴のようにどこを切ってもだいたい同じ顔をした毎日の1つではあるのだが、心理的には少し違った1日だ。なぜならば今日は駐在を開始してから1000日目記念日なのである。

記念日、言っておきながら特に誰かが祝ってくれるわけではない。朝礼で花束を渡されるわけでもない。むしろそんなことをされたらだいぶ困る。「おめでとうございます」と言われても、「ありがとうございます、気づいたらこうなっていました」としか返せない。ふと思い立って計算してみたらまさに今日がその日だった。

こういうとき、急に数字に意味を見出し始める。999日目でも1001日目でも何も変わらないはずなのに1000という数字になった瞬間、急に「節目」感が漂い始める。十進法の支配力はすごい。人類は10本の指に人生を握られている。

とはいえ、1000日である。

2023年10月2日に駐在を開始し、夏と夏と、あといくつかの夏が過ぎ去った。日本であれば、春夏秋冬が一応ローテーションしてくれる。「寒くなってきたな」と思えば年末が近いし、「花粉がつらいな」と思えば春であり、「汗が止まらないな」と思えば夏。ところがこちらでは夏が常駐。夏が任期満了を迎えない。夏が異動しない。夏が帰任しない。全ての思い出が暑いという感覚と紐づき、いついつ何が起きたのかわからなくなってくる。時間がかなり曖昧になる。

そして気がつけば日本で働いた期間よりもこちらで働いた期間のほうが長くなってしまった。ロストバゲージから始まった私の駐在から、こんな国出上手くやっていけるのかと甚だ不安にはなったが、1000日もいるとナシゴレンとミーゴレンと辛いサンバルによって体の細胞も徐々に日本由来からインドネシア由来へと変遷し、精神の一部も確実にローカライズされている。

これはなかなか不思議な感覚である。自分の社会人としての人格形成においてもはや日本よりインドネシアの比重のほうが重い。日本のビジネスマナーを基礎教養として身につけたつもりでいたが、その上に強烈な南国仕様の上書き保存がかかっている。

インドネシアの片田舎での駐在を振り返ると本当に色々なことがあった。感電事故を起こしたり、デュア・リパのコンサートが当日キャンセルされたり(ジャカルタ到着後に気がついたり)。これらの全ての思い出が暑い気候と結びついているため、それぞれのイベントがいつ起きたのかがよく分からなくなっている。

駐在を開始して1年を過ぎたあのタイムスタンプがだいぶ雑になった。こうしてインドネシアの人々のゆったりした性格はできてきたのだろうな、と追体験している気分になる。毎日がこうも一定のリズムで続いていくと、「まあ焦らなくても明日も太陽は同じ時間に昇るしな」という気持ち。

そして最近、密かに同志だと思っていた駐在系noteライターが帰任するという記事を読んだ。勝手に同志認定していたので、勝手に少し寂しい。面識はなく一方的に「分かる、分かるぞ」と頷きながら読んでいただけである。それでも同じように海外のどこかで働き、時に愚痴り、時に笑い、時に諦め、時に妙に前向きになる人の文章には、不思議な連帯感がある。

駐在員同士のつながりというのは、必ずしも直接会ったことがあるかどうかではないのかもしれない。サラバ同志よ。日本での新たな生活に幸あれ。

私はもう暫く頑張ることになりそうです。1000日という節目を迎えたからといって明日から劇的に何かが変わるわけではない。たぶん明日も6時頃に日が昇り、6時頃に日が沈む。そして私はまた「暑いな」と思いながら仕事する。仕事では何かしら想定外のことが起きるかもしれないし、起きないかもしれない。昼には辛いものを食べるかもしれないし、食べすぎて午後に少し後悔するかもしれない。道行くバイクは今日も元気だろう。どうせまた暑い感覚に紐付けられた過去の記憶になるというわけで、駐在1000日目。特別なご褒美も盛大な式典も会社からの記念品もない。あるのは、今日も変わらず暑い空気と少しだけ増えた感慨と、だいぶ鍛えられた胃腸と、そして明日もたぶん何とかなるだろうという根拠の薄い自信である。この根拠の薄い自信こそ1000日分の成果なのかもしれない。

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