正統派アンチワーク思想を批判する(その2)
前回の記事にて、正統派アンチワーク思想の矛盾と限界を明らかにした。
その中で、「効率化によって労働を減らそう」という正統派の意見に多くの人が同意しているのに、実際に労働時間が減っていないという指摘を行ったが、今回の記事ではこの点をもう少し掘り下げて考えてみたい。
前提として私たちは主に労働を通して金を得なければ生きていけない時代を生きている(生活保護、ヒモ、実家ニート、自給自足などの状況を除く)。そのため、労働時間を短縮するとしても、生活するための金が必要であることに変わりはない。
ここで、ベーシックインカム等で労働時間と関係なく金が支払われるのであればいいものの、そうでない場合、必要な金を稼ぎつつ労働時間を減らすためには、各個人や各企業は労働生産性を高める必要に迫られる。実際に、BIが支給されていないにもかかわらず、労働時間を短縮したいと考える正統派アンチワーク主義者たち(つまりほとんどの日本人)は、労働生産性を高めようと躍起になっている。
だが、ここでいう「生産性」という概念には注意が必要だ。労働生産性というと「1時間あたりに生産できるテーブルの数」のようなイメージで語られるわけだが、実際には「1時間あたりに稼げる金額」を意味している。テーブルを作れば作るほど金が稼げるのであれば、両者の生産性が意味するところは一致するのだが、実際のところはテーブルを作れば作るほど金が稼げるわけではない。テーブルなど社会に溢れかえっているし、テーブルの生産効率はすでに頭打ちだからだ。だからテーブルメーカーが今以上労働生産性を高める(=金を稼ぐ)ためには、テーブルを短い時間でたくさん売ることや、テーブルを高値で売ることを考えなければならない。
実際に、「労働生産性を高めて金持ちになろう!」と宣うビジネス書、あるいはそれらを生産するビジネインフルエンサーたちは「効率よくモノを作る方法」を喧伝していない。「効率よくモノを売る方法」や「モノを高値で売る方法」を喧伝している。
ただし、当たり前だが人々の可処分時間も可処分所得も限られているし、すでにモノは十分にいき渡っている。だから無理やりにニーズを捏造し、プロモーションを打ち、これまで無料だったものに次々と値段をつけなければならない。「ヴェルタースオリジナル」を買わないと孫への愛を表明できないかのように。友人との思い出はディズニーランドに行かなければ作れないかのように。ウーバーイーツを使わないと、豊かで充実した休日が過ごせないかのように。「消費社会」というと、人々の欲望が底抜けであることが原因であるかの如くイメージされるが、実際には資本側が消費させようと躍起になってプロモーションを打ち、それに成功した結果にすぎない。
※参考
しかし、そうやってマーケティングすることも実際のところは効率が悪い。試行錯誤してどうにかこうにかモノやサービスを売るよりも、「テーブルの売り方を教えますよ」と唆す方が効率的に金を稼ぐことができるのは明らかである。広告やコンサルが右肩上がりで、全体の経済成長が止まっていることはその動かぬ証拠であるし、情報商材を買っている側が情報商材を売っている側よりも儲けるような事態はほとんどあり得ない。
そして、さらに効率的なのは、賃料や手数料で稼ぐことである。フォード社は車を売って得られる利益よりも金融で稼いでいるし、イオンや楽天も本業よりも、金融や不動産で稼いでいる。
つまり、労働生産性を高めるためには、馬鹿正直にモノやサービスをつくって売らない方がいい。それよりも、金儲けをそそのかしたり、金融や不動産で手数料を掠め取る方が効率的なのである。言い換えれば、労働時間を減らすために個人や企業ができることは、儲け話を持ちかけて大金をせしめたり、国家権力を背景に有無を言わさずピンハネすることである。つまり合法的な詐欺や略奪を行えばいいのだ。
とは言え、誰でもそうした手法に訴えかけられるわけではない。情報商材を売りつける市場もレッドオーシャン化するし、誰もが手数料を掠め取ろうとするならば、競争は激化する。そうなってくると次は競争の勝者のけつを舐めておこぼれに預かるという選択肢も俎上に登ってくる。そして当然のことながら、おこぼれ獲得も競争化していく。
この手の競争は軍拡的な性質があり、ライバル企業が営業努力を拡大すれば、こちらはもっと拡大せねばならなくなる。そのサイクルは永遠に終わることない。ライバル企業が100件電話営業するならこちらは200件。ライバル企業がきらびやかなランディングページを100万円かけてつくるなら、こちらは200万円。ライバル企業がクライアントに100ページのスライドショーでプレゼンするなら、こちらは200ページ。ライバル企業が100回接待するなら、こちらは200回。結果、人々は終わりのない無限ブルシット地獄へ突き進むことになるわけだ。我々がその地獄の奥底にいることを、一体誰が否定できるだろうか?
なんとも皮肉である。労働生産性を高めようという努力をしていたはずが、ブルシットジョブの無限地獄に突入しているのだから。そして、おそらくこれこそが、万人が「機械化による労働時間短縮」に同意しているにもかかわらず、労働時間が減らないただ一つの理由なのである。
正統派アンチワーク主義者は、この構造からほとんど目を逸らしていると言っていい。彼らはあたかも「機械化などけしからん! 労働はそれ自体が神聖なのだ!」と言って労働時間短縮に反対する人物が多数派を占めているせいで労働時間が減らないかのような論調を取るが、事実誤認も甚だしい。
さて、それではこの状況で、強引に労働時間を削減しようとすればどうなるだろうか? 例えば企業が急に週休3日や4日を導入したならどうだろうか? まず間違いなく競争に敗れ、倒産するのがオチである(と少なくとも企業経営者は考えるだろう)。
では強引に法規制を進めたならどうなるか? これまで1日に12時間、社員に営業電話をかけさせていた企業が8時間しか営業電話ができなくなって、売り上げが縮小したら? 当然その企業は倒産する。しかし、その状況で企業側が座して死を待つとは考えづらい。統計には現れないサービス残業によって、営業活動を続けることになるだろうし、労基も見てみぬふりをするだろう。
もちろん企業はできることならそのような非合法な手段に訴えかけたくはあるまい。まずは8時間で12時間分の成果を上げるように効率化を図ろうとするはずだ。だが、その効率化の努力こそがブルシットジョブを加速させることは先述の通りである。
ここで機械化、AI化はほとんど何の役にも立たない。もし仮に、テーブルを作る効率が悪すぎるから労働時間が減らないのであれば、テーブルを自動で作ってくれるロボットを導入するだけで労働時間は大幅に短縮されるだろう。だが、そうではないことは先述の通りである。
また「100件のテレアポをAI音声でやらせたり、プレゼン資料をAIにつくらせれば効率化になる!」と反論したくなる人もいるかもしれないが、これが事態の解決になるとは到底思えない。こうした営業努力は軍拡競争の性質があるため、イライラさせられる機械音声の電話がこれまで以上にオフィスに鳴り響き、ゴミのようなプレゼン資料が山のように積みあがるだけである。その時点で社員の労働時間を半分にするとどうなるか? その時間、労働時間を減らさなかったライバル企業はゴミのようなプレゼン資料を倍生産し、クライアントに倍の接待をしかけるだろう。するとライバル企業の勝利である。となると、けっきょくコチラ側も労働時間を減らすことができず、倍のゴミ資料を生産し、倍の接待をする必要に迫られる。ブルシット・ジョブを効率化することはブルシット・ジョブを増やす結果にしかならないのだ。
そして、無限ブルシット地獄は同時にエッセンシャルワーカーを疲弊させた。どれだけ地獄であろうが、スーツを着たパリパリのビジネスマンの方が高収入で、社会的地位も高い。そのため、多くの人々は大学に進学し、ホワイトカラーのブルシットジョブへの就職を目指す。逆説的にエッセンシャルワーカーの地位は下落し、誰も求人に応募しなくなる。そのため、エッセンシャルワーカーは少ない人数で現場をやりくりしなければならないし、ブルシットジョバーによって利益を吸い上げられ、ますます職場としての魅力を失っていく。そして、ますます長時間労働が加速していくのだ。
労働時間を減らすというのは、そもそも市場のメカニズム上むずかしいのだ。できなくはない。だが、現実的ではない。きっと生産効率が頭打ちになり、飽和し、地球上のフロンティアを開拓し尽くした資本主義は、ブルシットジョブで埋め尽くされる運命にあった。こうなるともう、資本主義や市場のメカニズムを殺すことでしか労働時間は減らしようがない。
そして、その目的に最も資すると思われるのが、ベーシックインカムなのである。BIがあれば人々は労働生産性を高める必要がない。躍起になって金を稼がなくても路頭に迷う心配はないのだ。無意味に消費を煽る必要も、一日中営業をかける必要も、金儲けをそそのかす必要もなくなる。そうしたブルシット・ジョブを望んでやりたがる人などどこにいるというのか?
するともう、人々は自らの欲望のままに生きることができる。欲望とは、食欲や性欲を追求することはもちろん、困っている誰かを助けることや、誰かにプレゼントをして喜ばせること、誰も思いつかなかったエキサイティングなプログラムを生み出すことなども含まれる。こうした欲望は、労働によって強制されることがなければ人々の内から自然と湧き上がると考えてほぼ間違いない。もちろん文化的な要因にも左右されるわけだが、現代社会は「労働は必要である」という不可解で、無根拠なプロパガンダをインストールさせることにすら成功してしまっているのだ。ならば、「人の役に立つことは楽しいよね」という合理的で、妥当で、かつ生物学的にも根拠のあるプロパガンダを浸透させることなど、いとも簡単に成し遂げられるだろう。
こうすれば労働の害は取り除かれ、労働は廃絶されるというのが、異端派の主張である。正統派の主張よりも納得度が高く、合理的で、現実的で、穏当であると感じるのは私だけではあるまい。
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