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冊子版『まともマガジン VOL.1 特集:労働を解体する』を発売開始します!!

知る人ぞ知る、世界で一番ラディカルでアヴァンギャルドなWEBマガジン『まともマガジン』の冊子版をつくった。僕がつくったというより、みんなでつくった

今回はその内容紹介と宣伝の記事である。多くの人に手に取って欲しい雑誌に仕上がったので、ぜひ楽しんで欲しい。


【内容紹介】

まともマガジン自体は「各々が思い描く『まとも』を書く」という、ほぼノーテーマに等しいコンセプトでやっているわけだが、冊子版ということで、テーマを設定することにした

「じゃあ、なににしようか?」という話になるわけだが、僕が主催する雑誌の一発目となる以上、労働というテーマを避けて通ることはできない。なので、労働について、みんなで好き放題に書いて(描いて)もらった。

ひとまず目次はこんな感じである。

うん。これだけ見ると、なんの雑誌かよくわからん。

だが、間違いなくその中心には「労働」というテーマが据えられていて、自由にアプローチしてもらいながらも、雑誌としての通ったものに仕上がったという自負がある。

簡単にではあるが、(僕の文章を除いて)内容を軽く紹介してみたい。



■ゆるふわ無職『アンチワーク哲学は、ポストニーティズムに成り得るか?』

トップバッターは、ニートマガジンでお馴染みのゆるふわ無職ニート研究者として、古今東西のニート文化の変遷を研究してきた彼の手腕が思う存分発揮されている論考である。

本作は大きく分けて二部構造になっていて、前半は2000年代以後のニート史をざっと振り返っていて、後半には僕が提唱するアンチワーク哲学が、「次なるニート文化を牽引する存在となり得るのか?」という問題提起を行っている。

彼のエモーションが込められているのは後半であるものの、そもそも前半が読み物として秀逸だ。2ちゃんねる的ニートがphaの登場によってサブカルチャー化し、その後、プロ奢やレンタルなんもしない人などの登場によってビジネス化した後、2020年代から暗黒時代に突入しているという新書一冊分くらいにはなりそうなゆるふわ史観を、要点だけギュッとコンパクトにまとまった文章に仕上がっている。そして、その歴史を踏まえて、後半に彼がなにをするのかと言えば、「抜き身の刃物を持って久保一真に襲い掛かっている(p16)」のである。怖い。

さぁ一体どんな戦いが繰り広げられているのか? それはその目で確かめてもらう他あるまい。

※ちなみにその文章に関する応答は、またしばらくしてからアップしようと思っている。



■のり子『散歩者。革命〈太陽と肛門〉』

のり子氏の小説(?)は、ニートマガジンVOL.1で最もぶっ飛んだ作品である。いや、どうだろう? より正確に言えば、ぶっ飛んでいる風の作品かもしれない。よくよく考えてみると、最もまともなことが書かれているんじゃないかという気すらしてくる。

ドゥルーズ=ガタリの話から始まって、小説なのか何なのかよくわからないメタ構造というか時空の歪みみたいなものがあちこちにあって、クラミジアの話とかセックスの話とかが散りばめられ、なんというか「ぶっ飛んだ作品かくあるべし」といったテイストに仕上がっているのだけれど、難解ではなく、内容はすんなりと入ってくるのである。

感覚としてはプルーストを読むのと似ている。つまり、人間が散歩しながら思考する様をなぞり書きするような読書体験だ。ちなみに僕はのり子氏に何度か会ったことがあるのだけれど、彼は僕が知る限り最も哲学的な人間であると感じている。彼の思索を辿ることは刺激的な旅になること間違いない。




■kurome『FOSSと貢献欲』

ニートwikiの創設者としてもおなじみのkuromeくんの論考。この記事はシンプルで美しいプログラムのようである。4ページという無駄のない情報量の中で、オープンソースソフトウェアと自由ソフトウェアの双方を指す「FOSS」の要諦を伝えつつ、アンチワーク哲学の「貢献欲」というホットな概念をバックアップしてくれている。

FOSSに貢献するエンジニアたちが、余暇時間で現代社会を成り立たせるコードを無償で書いている一方で、就業時間中には詐欺のようなソフトウェアをつくって金儲けしている(しなければならない)。そこに現代社会に矛盾を感じ取らずにいることは難しい。短いながらも考えさせられる論考である。



■三色だんご『わたしは特攻隊に志願する』

この一人の男の赤裸々な独白では、直接的に「アンチワーク哲学」や「労働(そのもの)」というテーマに触れられているわけではないが、アンチワーク哲学やベーシックインカムによって経済的な強制が失われた後に残るであろう「人間の葛藤」という重要なテーマが扱われている。

他人に強制されているのか、自分で自分を追い込んでいるのか、だんだんわからなくなっていった彼の人生を振り返りながら、その心情を特攻隊に志願する(現代人から見ればイカれた)人々の心情と重ね合わせていく形でテキストは進む。

共感に共感が重なっていき、最終的に「あぁ、俺だって時代が時代なら特攻隊に志願したかもな・・・」と思わされてしまい、そのまま希望に満ち溢れた明るい展望が示されることなく幕を閉じる。陳腐な分析になってしまうが、この希望のなさにこそ、人間が希望を見出す強かさの可能性を感じてしまった。まともマガジンVOL.1で最も読者の心の中に余白を生み出してくれる作品なんじゃないかと思う。



■mimimi『それいけアンチワークマン』

さて、一転してポップでちょっとマヌケ(誉め言葉)な顔したアンチワークマンの登場である。

素朴でシンプルな物語は強い。キャラクターが強いと、もっと強い。漫画という表現手法の強力さを思い知らされつつ、それを表現する描き手の手腕に脱帽である。

アンチワークマンは労働撲滅界隈の中でカリスマ的支持を集める大人気作品であり、書籍化を望む声も多い。今回は雑誌への収録となったが、いつか単行本化したいものである。




■望月一星『遊びと労働のあわい ― 移動式本屋の営みから』

移動式の本とボードゲームのお店book & board game shop“caravan”を運営されている望月さんの作品。自身の労働経験と、本屋を営む経験を対比させながら、「労働とは一体なんなのだろう?」という素朴な問いかけに迫っている。

私小説のように淡々と進む書き口であり、文章量もさほど多くはなく、押しつけがましさもない。ラフにゲームをプレイしながら読み進めるような味わいである。読み終えた暁には、まるで自分のターンが巡ってきたときのように、自分の考えを文章にしてみたくなること請け負いだ。

まともマガジンが掲げる「それぞれの人のまともを書く」というコンセプトに最も体現してくれている文章なのかもしれない。



■ヤキソバライター『27歳のワタシから30歳のワタシへ』

最近職を得て、専業無職から兼業無職へとジョブチェンジした、まとも書房公認無職であるヤキソバライターの文章。「いい上司とはなにか?」という一見するとアンチワーク哲学と矛盾するようなテーマを語っていながらも、全く矛盾しないどころか、労働のない世界における「労働的」な営みを考えさせてくれ、アンチワーク哲学をバックアップしてくれているように感じられた。

ここから読み取れるのは、単なる怠け者としての無職像ではなく、自分の納得のいく環境で生きていたいと考えて、簡単に納得することなく前向きな葛藤と戦う無職像である。

余談だが、彼は生活保護という疑似ベーシックインカムを経て、前向きな兼用無職へと生まれ変わった(そのいきさつはこの記事に詳しい)。こうした兼業務職を増やすことが、僕のやりたいことである。彼がこうした文章を書くことができたというだけで、僕もやってきてよかったと感じられる。



■宇佐見踏繁『冬の虫』

くどくどと感想を書くのも野暮に感じる純文学である(が、少しだけ書く)。本作では、労働まみれの社会に苦しむ人たちによる様々なカタチの逃避と、その心情が描かれている。

正直、あっぱれである。「労働はクソだ!」と僕みたいに下品に、ストレートに書き連ねることなく、あからさまに労働を拒否する結末を用意することもなく、言語表現によって切り取られた空隙の中に、僕は労働なき世界を感じ取らずにはいられなかった



■しょうご『労働なき世界の、その先へ』

ゆっくり本を読む会を主催されているしょうごさんによる、アンチワーク哲学からエロ漫画までを横断しながら書かれた骨太論考。しょうごさんは、コムドット解説など、一見お茶らけているテーマを織り交ぜながら大真面目で説得力のある論考を書かせれば右に出る者のいない論者であるが、今作においてもその手腕を思う存分に発揮している。

内容としては、労働なき世界における、セックスと共感能力、変態性といったテーマの重要性を指摘したものであり、アンチワーク哲学において素朴に信じこまれている人間性の生々しい本質にまで迫っている。世に蔓延る短絡的な性悪説やアンチワーク哲学による素朴な性善説が表面をなぞっただけの「人間」をよりディープに掘り進めるには(もちろん完全に到達することはあり得ないわけだが)、これを読むほかあるまい。まともマガジンVOL.1を締めくくるにふさわしい労作である。



■表紙イラスト&デザインbyコソウ

最後に、コソウさんが描いてくれた表紙についても触れたい。まともマガジンの顔となる表紙が、こんなにインパクトのあるものに仕上がった。つくづく頼んでよかったと思う。

うん。何度見ても表紙がいい。
うん。いい。

そもそも僕がお願いしたのは「モダンタイムスの現代版みたいな、狂った労働社会を暗示させるようなイラスト」というものであった。が、彼女は世俗に降臨し、労働撲滅を訴えかけるヨカの神のイラストを提案してくれた。

僕のちんけなアイデアを描いてもらわなくて本当に良かった。筆のノリがちがう

ちなみにコソウさんはニートマガジンvol.2の表紙も手掛けられたお方。こっちも要チェックである。



さて、これにて簡単に内容は紹介できたわけだが、総合的な感想を書きたい。

そもそも僕はまとも書房を立ち上げた理由には、労働を撲滅したいという邪な(?)動機もあったのだが、有名人でも何でもない人の魂の叫びを発信するプラットフォームになりたいという願望もあった。つくづくまともマガジンをつくってよかったと思う。そこらの職業作家(すべての職業作家というわけではない)の毒にも薬にもならない文章よりも、圧倒的に面白いものができたという自負がある。


【販売について】

■即売会

4/12(土)のZINEフェス名古屋には、何とか間に合いそうだし、4~7月にかけての即売会ラッシュで思いっきり販売していきたい。

※即売会ラッシュはこんな感じ。また個別で広報します。

  • 4/12(土)ZINEフェス名古屋

  • 4/20(日)すみよしブックマーケット

  • 5/10(土)ZINEフェス神戸

  • 5/11(日)文学フリマ東京 ※もっていかないかも・・・

  • 5/18(日)淡路島ブックマーケット

  • 6/7(土)ひらかたブックストリート

  • 6/28(土)ひらかたブックバザール

  • 7/20(日)ふたばZINEフェス


■ネット販売

ZINEフェス名古屋が終わったあと、ネットでも販売開始する予定である。できればイベントに足を運んでいただきたいものの、行けない人はぜひこちらからも購入して欲しい。



【序文を無料公開】

さて、せっかくなので、いつものノリで僕が書いた序文を無料公開しようと思う。

ファシリテーターとしての中立な文章を仕上げようかと迷ったのだけれど、なんやかんやと自己主張してしまった。でも、この雑誌の立ち上げの経緯を考えれば、自己主張せずにはいられない。手前みそながら、この雑誌の中核にはアンチワーク哲学が堂々と鎮座していることは否定できない。批判であれ、産道であれ、アンチワーク哲学を前提にこの雑誌は書かれている。なので、そんなことを予感させる文章を書こうと思った。

ぜひ、これを読んでみて、まともマガジンの中身になにが書かれているのか、想像を巡らせてみて欲しい。

発刊によせて  労働が滅ぶか、人類が滅ぶか
久保一真(ホモ・ネーモ)

 労働は悪であり、撲滅可能であり、撲滅すべきである。そう書いた一石を私がこの世界に投じたとき、90%の人々は怠け者のありがちな屁理屈だとして素通りした。9%の人々は重箱の隅を突いてから勝ち誇ったように鼻で笑った。残りの1%の人々だけが、私の主張について真面目に議論し始めた。この雑誌の寄稿者たちは、その1%である。彼らは、私の主張が単なる屁理屈ではなく、自称哲学者による根拠薄弱な独断論でもなく、吟味するに値する哲学的主張であると考えた。「もしかしたら世界をひっくり返す思想なのではないか?」という期待は、期待と呼ぶにはあまりにも弱々しかった。それでも彼らは私とともに石を投げることを選んだ。その結果、本誌『まともマガジン』が生まれた。ただし、彼らが投げる石は、しばしば私の方にも飛んでくるのだが。

 私は「AIやロボットによって労働を代替できる」だとか「欲望を捨て、万人が清貧生活を送ることによって労働を無くす」といった明らかに非現実的な夢物語をとっくに否定している。その上で「労働を撲滅し、80億人全員がニートになること」を提案している。これは現実的で、穏当で、人道的で、柔和な主張であると私は考えているが、多くの人々には過激思想のように見えるらしいし、1%の人々の中ですら賛否両論ある。それでも、おそらく私たちはAI楽観論や清貧思想を抜きにして「労働は撲滅可能なのか? それとも不可能なのか?」といったテーマについて真面目に議論する人類初の集団である。現代において最もアヴァンギャルドな場所が『まともマガジン』であると私は確信している。

 とはいえ、このような場が存在しなかったことが、私には不思議でならない。労働はコミュニティを破壊し、生きがいを奪い、健康を損ない、環境を破壊し、子どもを殺し、大人も殺し、犯罪を唆し、差別を助長し、戦争を生み出してきた。労働は考え得る限りのありとあらゆる悪を引き起こしている。私たちの社会には、これ以上、労働の害を許容するバッファはない。私の息子や娘が大人になる頃には、労働は地球上の全てをぺんぺん草も生えない不毛の大地に変えてしまうだろう。残された時間は多くないというのに、なぜ私たちはちんたらと労働しているのか? なぜ誰も労働そのものを問い直し、労働撲滅の可能性について議論しないのか? 世界の哲学者は議論すべきではないのか? もし彼らが哲学者と呼ぶに値する存在なのであれば!

 もちろん、労働は食べ物や道路、電気、ゲーム機などを生み出している。労働が生み出していないモノを身の回りで探す方が難しいくらいだろう。しかし、これらの価値の産出行為はすべて労働ではない形に代替できる可能性がある。労働とは主に金銭を通じて行われる他者への従属であり、他者から押し付けられる強制である。価値を産出する場合もあるが、いまとなっては、不愉快さと、キラキラしたゴミと、誰も読まないパワーポイントを産出するだけの労働の方が増えつつある。価値の産出は、労働でない「遊び」として取り組まれた方が効率的であることは、もはや世界の常識である。仮に労働の方が生産性が高いのであっても労働は撲滅すべきだと私は考えるが、生産性すらも低いのだ。労働を正当化する方法は、私にはもはや一つも思いつかない。

 労働は、人々の内にある好奇心や貢献欲、成長欲、達成欲といった望ましい衝動も抑圧する。その結果、抑圧された自由意志は怠惰か消費以外を欲することができなくなった。そして人々はこう言うのだ。「ほら、人間など所詮は怠惰な生き物なのだ! 労働を強制しない限り、そこら中に死人が溢れかえるぞ」と。こうして労働は、労働を嫌っているはずの人々によって愛撫され、その不愉快さをさらに増長させていく。
 こうしたバカバカしい負のサイクルを突破するために何が必要なのか、私にはわからない。わからないからこそ、一石でも、百石でも、百万石でも投げ続けるしかない。エッセイ、詩、小説、論述、イラスト・・・どんな形の石であろうが、狂ったように投げ続けるしかない。

 労働が滅ぶか、人類が滅ぶか、どちらかだ。その歴史的転換点に私たちは立っている。いま労働を議論せずに、なにを議論するのか? あらゆる悪は労働に起因しており、資本主義、共産主義、搾取、戦争、レイシズム、家父長制、国家といった問題は、その二次的な結果にすぎない。労働のない世界で、どうすれば誰かを搾取できるのか? どうすれば誰かを差別できるのか? どうすれば戦争を起せるのか? そんなことは不可能であると、未来の権力者たちは気づくことになるだろう。もし彼らがまだ権力者と呼べる存在だったとすれば!

 私たちはまともに生きるために、まともに労働に向き合おう。100年後に労働が生き残っているならば、もはや私たち人類は生き残ってはいないだろう。

『まともマガジン』編集
哲学者 久保一真


【全文無料公開(4/18)追記】

そしていつものようにノリで無料公開する。データで満足できる人、お金のない人、現場に行けない人は、ぜひこちらで!

※寄稿者の希望で一部、非公開




【さいごに】

さて、そんなこんなで素敵な雑誌が仕上がった。ぜひみんなに手に取って欲しいものである。

売れるかな? 売れると良いな。


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