玄関で泣く娘に、「学校なんか行かんでもいい」と言えた日
朝、
子どもが玄関で止まってしまう。
制服は着ている。
カバンも持っている。
あとは一歩、
外に出るだけ。
なのに、
そこから足が動かない。
行かなきゃいけないことは、
たぶん本人が、
1番わかってる。
それでも、
体が動かない。
そして子どもは、
動けない自分を責めるような顔をする。
その顔を見るのが、
1番つらい。
「今日は行けそう?」と聞けば、
うつむいてしまう。
「無理しなくていいよ」と言えば、
それはそれで、
本当にいいのか分からなくなる。
何て声をかけても、
正解じゃない気がする。
仕事もある。
周りの目もある。
「いつまでこの状態が続くんだろう」
夜、
子どもの寝顔を見ながら、
眠れなくなる。
そんな朝を、
繰り返している方がいるかもしれません。
私にも、
そんな時期がありました。
わが家では、
3人の子ども全員が、
学校に行けなくなった時期があります。
これは、
不登校を解決した話ではありません。
学校に戻す方法の話でもありません。
玄関で泣く娘を見て、
「学校なんか、行かんでもいい」
と、私が言えた日の話です。
最初に、学校へ行けなくなったのは
最初に学校へ行けなくなったのは、
次女でした。
それは、
小学6年生になってすぐの頃。
5年生の時の担任は、
娘が大好きな女の先生でした。
6年生もその先生が持ち上がると聞いていたので、
私も娘も安心していた。
なのにクラスの事情で、
年度の途中から別の先生に引き継がれることになったんです。
新しい担任は、
厳しいと評判の男の先生。
安心していた分、
娘の落ち込みは大きかったように思います。
それでも娘は、
学校へ行ってた。
今思えば、
あの頃からもう、
頑張って行っていたのかもしれません。
きっかけは、
夏のある日。
体のことで、
男の先生にはどうしても言いにくいことがあり、
娘は友だちと2人で授業を見学しました。
先生には、
伝えないまま。
放課後、
そのことで呼び出されて、
強く叱られてしまった。
そしてその日から、
娘は学校へ行けなくなりました。
そのまま夏休みに入り、
夏休みが終わっても、
行けなかった。
それからしばらくして、
2つ上の長女も、
学校へ行けなくなった。
長女は長女で、
友だち関係の中で、
ずっと無理をしていたようでした。
そして、
当時小学3年生だった末っ子まで、
学校を休むようになってしまった。
理由を聞くと、
「なんでお姉ちゃんたちは休んでんのに、
僕だけ行かなアカンねん」
……そら、せやな。
ちなみに末っ子は、
1ヶ月ほど休むと、
「暇や」と言って、
勝手に学校へ戻っていきました。
でも、
娘たち2人は違った。
気がつけばわが家は、
2人の姉がずっと、
家にいる状態になっていました。
何とか行かせなきゃ、と思っていた
正直に言うと、
当時の私は、
娘の気持ちを理解できていませんでした。
私たちが子どもの頃は、
学校へ行くのが当たり前。
行きたくない日があっても、
行くものだと思っていたし、
それに疑問を持ったこともなかった。
だから、
娘がなぜそこまで学校を嫌がるのか、
正直わからなかった。
何とか行かせなきゃ。
元に戻さなきゃ。
その思いで、
励ましたり、
なだめたり、
説得したり。
無理矢理、
制服に着替えさせたこともあった。
今思い出しても、
胸が痛みます。
でも当時の私は、
それが娘のためだと信じてた。
追い打ちをかけるように、
周りからの言葉もありました。
学校の先生からは
「お母さんが仕事ばかりで、お子さんのことをあまり見ていないんじゃないですか」と言われた。
私の親からは、
しつけがなってないと言われた。
実家が熱心に信仰していた宗教の関係者からは、
私の信心が足りないからだと言われた。
正直、私自身はその宗教に思い入れがあったわけではありません。
それでも、
責める声の1つになった。
学校からも、
親からも、
周りの大人たちからも。
どこを向いても、
「あなたのせいだ」
と言われている気がした。
何をしても、
足りない気がする。
誰に相談しても、
責められて終わる。
あの頃の私は、
文字通り、
完全に八方塞がりでした。
そして、
追い詰められた親は、
子どもを追い詰めてしまうんですね。
「行かせなきゃ」
と思えば思うほど、
娘の表情は硬くなっていったんです。
玄関で、動けなくなった日
あの日のことは、
10年以上経った今でも、
鮮明に覚えています。
その日、
娘は自分で制服に着替えました。
自分でカバンを持って、
玄関で靴を履いて
あとは、
ドアを開けるだけ。
でも、
そこから動けなくなりました。
うつむいた娘の顔にあったのは、
「行きたくない」
ではありませんでした。
行かなアカンのは、
わかってる。
ホンマは、
行きたい。
行かんかったら、
ママが悲しむ。
それでも、
体が動かへん。
なんで、
動かれへんねやろ。
行かれへん自分は、
アカンやつ。
言葉で聞いたわけではありません。
でもその感情は、
ひしひしと伝わってきた。
娘は玄関に立ったまま、
大粒の涙を、
ぽろぽろと流しました。
その涙を見た瞬間、
言葉が出ていた。
「もういい。学校なんか、行かんでもいいから」
私は娘を抱きしめて、
一緒に泣きました。
こんなにしんどい思いをしてまで、
行かなアカン場所なんて、
ない。
その日、
私の中で何かが決まりました。
学校に行くか行かないかより、
この子が生きていることの方が、
ずっと大事。
それだけは、
はっきりわかったんです。
「お母さんのせいじゃないねんで」
ちょうどその頃、
1人のお母さんと話す機会がありました。
その人も、
子どもが全員、
学校へ行けなくなった経験のある人。
子どものためにできることは、
何でもやろうとしてきた人でした。
毎日欠かさず続けていたこともあったそうです。
でもある時、それがかえって自分を追い詰めていることに気づいて、
思い切って手放した。
「やめたら、少し気持ちが楽になってん」
そう話したあと、
その人は私に言いました。
「子どもの不登校は、お母さんのせいじゃないねんで」
この言葉にどれだけ救われたかは、
以前の記事に書きました。
張りつめていたものが、
一気にほどけた日のことです。
家で過ごした時間
正直に言うと、
あの日を境に、
すべてが変わったわけではありませんでした。
「本当にこれでいいんかな」
「このまま行かへんかったら、
この子の将来はどうなるんやろ」
そんな迷いは、
その後も何度も顔を出してきた。
受け入れるって、
一瞬で切り替わることではないんだと思います。
それでも、
あの日を境に、
私の中の優先順位だけは、
はっきりと変わった。
学校に戻すことより、
この子が安心して生きられること。
それを1番にしようって決めたんです。
私は娘に、
その後も繰り返し言いました。
「行っても行かんでも、どっちでもええで」
あの日の言葉が本心だったと、
娘に伝わるまで。
そう言い続けるうちに、
娘の表情は明らかに変わっていった。
どこか拍子抜けしたような、
どこか安心したような。
張りつめていたものが、
少しゆるんだ顔でした。
それからしばらくして、
私は学校に呼び出された。
そこでもまた、
責められた。
悔しくて、
情けなくて、
私はその場でずっと泣いていました。
納得なんて、
できていなかった。
「なんで私が」
という気持ちのまま、
私は仕事を辞めた。
きれいな決断では、
ありませんでした。
でも、
結果として、
その選択が、
わが家に時間をくれたんです。
子どもたちと、
家でのんびり過ごす時間。
一緒にゲームをしたり、
アニメを見たり。
「学校に行かせるための話し合い」
ではなく、
ただ一緒に笑う時間。
何かを頑張らせるのでも、
何かを目指すのでもない。
ただ、
のんびり過ごしました。
今思えば、
あの時間は、
娘が回復するための時間でした。
そして同じくらい、
私が回復するための時間でもあったのかもしれません。
まっすぐじゃなかった、その後
その後の道のりも、
まっすぐではありませんでした。
中学に上がっても、
次女はほとんど学校へは行けなかった。
長女も同じ。
でも、
その頃の私は、
もう慌てることはなかった。
学校からの連絡には、
「宿題は、ポストに入れておいてください。
部屋までは来なくて大丈夫です」
と、こちらの希望を伝えるようになった。
あの頃の、
玄関で一緒に泣いていた私からすると、
ずいぶん図太くなったものです。
でも、
それでよかったんだと思います。
親が慌てなくなると、
家の空気はガラッと変わるんです。
高校は、
2人ともそれぞれの形で進みました。
長女は、
絵を描くことが好きだったので、
イラストが学べる高校を自分で選んだ。
あんなに学校へ行けなかった子が、
なんと3年間、
皆勤賞でした。
やっぱり、
好きなことがあるって大きいんだと思います。
次女は、
自分のペースで通える定時制を選んだ。
そして3年半、通いました。
でも、
卒業まであと数ヶ月というところで、
「辞める」
と言い出した。
正直に言うと、
この時の私は、
「そこまで頑張ってきたんやから、
もうちょっと頑張りよ」
と、何度か言いました。
もったいないやん、って。
ここまで偉そうに書いてきましたが、
私の中にはまだ、
「高校くらいは出ておかないと」
という刷り込みが残っていたんですね。
でも次女は、
私よりずっと冷静だった。
「高校、行ってても行ってなくても、変わらんやろ」
……そうかもしれんな、と思いました。
あの玄関で、
泣くことしかできなかった子が。
自分で考えて、
自分で決めて、
母親に言い返すようになっていた。
私にはそれで、十分でした。
あれから、
10年以上が経ちました。
今、
3人はそれぞれ仕事をして、
社会人として生きています。
あの玄関で泣いていた次女も、
自分の力で働いています。
娘たちとの関係も、
あの頃からは想像できないくらい、
変わりました。
高校生になった頃から、
一緒に買い物に行ったり、
カラオケに行ったり。
もともとアニメやゲームの好みが合う私たちでしたが、そのうち親子そろって同じ音楽にはまって、一緒にライブにまで行くようになった。
姉妹みたいやな、
と言われる関係は、
今でも続いています。
思えば、あの家でゲームをしたり、アニメを見たりしていた時間が、そのまま今につながっているのかもしれません。
あの時、
本気で向き合ったからかもしれない、
と思うことがあります。
わからんけどな(笑)
子育てに、
絶対の正解なんて、
ないのかもしれません。
その時その時で、
子どものことを思って悩んで、
出した答えなら、
私はそれを、
簡単に間違いだったとは言えないと思っています。
これは、
今だから言える、
17年間の保育・療育を通しての思いです。
ただ、あの時間が、
私たちのどこかに残っていることだけは、
確かな気がしています。
そういえば、
「お母さんのせいじゃないねんで」
と言ってくれたあのママ友は、
その後、
私に仕事の縁まで運んでくれました。
その職場に、
私は14年勤めることになります。
縁とは不思議なもの。
人生、
どこで何がつながるか、
わからないものですね。
今、玄関の前にいるあなたへ
ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。
最後に、
これだけ伝えさせてください。
もしかしたら今、
玄関で動けなくなっているお子さんの横で、
立ち尽くしている方がいるかもしれません。
行かせた方がいいのか、
休ませた方がいいのか。
毎朝、
正解のない、
問いの前に立っている方が。
すぐに受け入れられなくて、
当然です。
私も、
何年もかかりました。
無理矢理、
着替えさせたこともあったし、
受け入れたつもりになったあとも、
迷いは何度も顔を出しましたし。
高校の時でさえ、
「もったいないやん」
と言ってしまう私だった。
だから、
今日すぐに受け入れられなくても、
責めすぎなくていいと、
私は思っています。
親が焦るのは、
子どもを大事に思っているから。
親が苦しいのは、
真剣に向き合っているから。
それだけは、
間違いないと思います。
ただ、1つだけ。
学校は、
命を削ってまで行く場所ではない。
私は今も、
そう思っています。
子どもを学校に戻す方法を、
私は知りません。
わが家は、
戻すことができなかった家です。
でも、
子どもを動かす前に、
親子の安心を取り戻すことはできる。
それだけは、
わが家で本当にあったことでした。
あの日、
玄関で泣いていた娘は、
今、
自分の人生を歩いています。
そして、
もしあの頃の私に、
今の私が声をかけられるなら。
きっと、こう言うと思います。
「大丈夫。あんたのせいとちゃうで」
