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自分の文章をリフレクションしてみたら、芸風が見えてきた

GWの帰省中、安斎勇樹さんの最新刊、『静かな時間の使い方』を読みました。

<自分の解像度を上げる「独りの思索」の全技法>という副題がつけられているように、この本では、リフレクション(内省)に関して、さまざまな角度から書かれています。

私は毎晩、『ミーニングノート』の手法で、その日起こった出来事を意味づけし、月に1度、その内容を学びの仲間と振り返っているので、わりと日々内省できているつもりでいたのですが……。

この本の後半、実践編で「感情」「技術」「興味」「信念」のそれぞれのリフレクション方法が紹介されているのを読み、私が日々やっているのは「感情」に関するリフレクションの域を出ないなぁと気づかされたのです。

特に技術のリフレクション……これ、ほんとやってないのです。

技術のリフレクションの持つ意味


以前、「石原さんはライターとして、どうやって文章を書いているのですか?」と聞かれ、全く自分のやっていることを体系化できていないと気づいたことがありました。

「聞いて、まとめて、書く」ことに関しては、私が言語化の師と仰ぐ方が、あっさりと言葉にしてくださったのですが。

もうひとつ、このブログに書いているような「自分が感じたこと」を文章にするとき、どんな技術を用いているかを、これまた、自分でよく分かっていません。

誰トクなんだろうかと思いながら、自分が感じたことを書いているこのブログですが、なかには「癒やされる」「やさしい気持ちになれる」と嬉しいことを言ってくださる方もいらっしゃいます。

そこで、「自分の頭の中をnote記事にする」技術を、いちどリフレクションしてみようと思い立ちました。

安斎さんは、技術のリフレクションを勧める理由として、“結果がすべて”の社会で、あえて過程に目を向けることで、意図的にその技術を使えるし、自分の価値観に気づくきっかけになる、といったことを挙げています。(P170~172、私の解釈)

普段から、結果よりプロセスを大切にしたいと思っている私にとって、これはとってもよい!ぜひともリフレクションしてみたいと思ったのです。

暗黙知を言葉にするためのリフレクション

安斎さんは、技術のリフレクションとは、自分の技術のうち、「暗黙知」(人に伝えにくい身体経験や主観的な直感に根ざしている知識)を、「形式知」(客観的に伝達可能な知識)として言語化できる領域を増やすことだ、と言います。(P187~188。私の解釈)

そして、暗黙知を言葉にするには、「過去の自分」と比較しながら、小さな技術の変化をあぶり出すことが有効だとし、そのために「技の変化に目を向ける6つの問いかけ」が設計されていました。(P190)

この問いに実際に答えることで、リフレクションしてみようと思います。

【「私の頭の中にあることをnote記事にする技術」のリフレクション】

①速くできるようになったことは?

あ、このことを文章にしたいな、きっと何か私にとって大切な学びや感情が含まれているな、ということがぱっと分かるようになった。
モヤモヤを書きながら整理すると、何らかの答えが見つかるという経験を重ねたことで、自分にとって「書く題材」が見つかりやすくなったように思う。

②こだわるようになったことは?

ええカッコしい、にならない。
かっこ悪いところを書くのはもちろん、嬉しいとか、誇りに思うとか、そういう一見自慢と受け取られかねない気持ちも隠さず書く。
表面的な、ウケる文章を書こうとしない。さらけ出すことで伝わることがある。
でも、誰かを傷つけるような文章は書かない。
本音でありながら、読まれることを前提にした文章であることは忘れてはならない。

③細かく見えるようになったことは?

自分が「感じたこと」の深掘り。
自分の感情を何段階か深掘りできるようになった。
それっぽい内容で止めない。そこからもう一歩深められないかと考える、文章にする。

自分のnote記事にはいくつかカテゴリがあるが、「家族のこと」「ライターとして思うこと」「読書記録」「美術館・映画で感じたこと」など、マガジンとして分けている切り口は、安斎さんの言う「興味の対象」で、これらを見る「レンズ(どんな見方で)」も何パターンかありそう。

・「対象を理解したい」のレンズ
・「自分がどう感じるか」のレンズ
・「起こったことを言葉にしたい」のレンズ
ここ、もっと「興味のリフレクション」が必要。

④勘が働くようになったことは?

この出来事、エッセイの軸になるな、というところに勘が働くようになった。
特に、少し「おかしみ」があるエピソードを捉えることに敏感になったような気がする。

⑤迷いが生じるようになったことは?

こんなこと書いてて、誰の何の役に立つの?というのはずっと迷ってる。
ライターである以上、読んでくださる方の何かお役に立つものを差し出したいけれど、noteは書きたいから書いているほうが強い。
それでいいの?という迷いはずっとある。

これは、「ソーシャルノイズ」と戦っているのかな?

⑥かつては誤解していたことは?

癒やされる文章=優しい、ほっこり、など、決してプラスの感情だけではないということ。
その人の経験や感情と何らかの共通点があれば、ネガティブな要素であっても、人は共感して癒やされる。

私の芸風は?

ここからさらに整理していく手法も書かれているのですが、いったんここで止めて、自分なりに解釈してみようと思います。
本書にも、自分の技の背後にある「癖」や「芸風」に目を向けることも、リフレクションを深める、という表現があります。(P199)

・私のnoteにもらう「癒やされる」「やさしい気持ちになれる」という反応は、書く対象が、家族など「身近な人」のときだ

・ビュー数で上位なのは、展覧会や映画などのレビューなのだけど……自分の記事が「参考になった」と言われるより、「気持ちが動いた」と言われるほうが、数倍嬉しい

・それは読んでいる人が、自分の身近な人を思い浮かべて、思いを馳せてくれるのが嬉しいのか?

・私が書きたいのは、「情報」よりも「感情」なのだろう

・私の芸風は、「半径5メートルの人を優しいまなざしで理解したい」芸人的な?

結論、リフレクションは楽しい

GW中の移動時間や、実家で一人になれた時間に本書を読み、ほんの一部分だけですが、自分の書く技術についてリフレクションしてみました。

これが、思っていた以上に楽しかった!

自分の中にあるものを掘り返しているようでもあり、ずっと使っていた道具の扱い方を、あらためて確かめているようでもありました。

こうやってちょっと考えるだけで、これからnoteを書くのが、今までより楽しくなりそうな気がします。

「今日はリフレクションだけやる」日を、設けたくなりました。


ココロ ツムグ研究所かげいろは、栃木県宇都宮市で「丁寧に紡いだストーリーで人との距離を縮める」をMissionとして取材・執筆活動をしています。
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