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「将来の夢は?」その質問に追いかけられる前に 仏教に学ぶ「職業=道具」という、心が軽くなる働き方








「何になりたいか」より「何に出会うか」が、人生を決める

「将来の夢は、なんですか?」、​子どもの頃から、私たちはこの質問を、まるで人生の“正解”を問われるかのように、何度も投げかけられてきました。


スポーツ選手、歌手、医者、宇宙飛行士…。キラキラとした「職業」を答えることが、まるで“立派な大人”への第一歩であるかのように。


​しかし、もし、あなたに「これ!」という明確な夢がなかったとしたら?


「何になりたいか分からない」自分は、ダメな人間なのだろうか。

目的もなく生きているのだろうか。その“呪い”のような問いが、大人になった今も、あなたの心を縛り付けてはいないでしょうか。


​もし、仏教の壮大な視点に立てば、「何になるか(職業)」は、人生においてそれほど重要な問題ではなかったとしたら?


そして、それよりも遥かに大切な“何か”が、私たち一人ひとりに、生まれながらに与えられているとしたら…?


​“天職”探しに疲れたあなたの心が、そっと軽くなるお話です。




「君は何にもならなくていい」 和尚さんが語った、職業と“人生の使命”


​「和尚さん、僕、何になったらいいのか、イマイチわかんないんだ」

秋の連休の終わりの頃、さとるくんが重い口を開きました。


「友達は、スポーツ選手とか、歌手とか、俳優になりたいって夢があるのに、僕には何もないんだ…」


​「そうか。今日は、とても難しい相談じゃな」

和尚さんは、さとるくんの隣に静かに座り、遠くの山を眺めながら言いました。


「じゃが、答えは簡単なんじゃよ。さとるくんは、何にもなろうと思わんでええんじゃぞ」


​「ええっ!?ほんとうに?」

さとるくんは驚いて和尚さんを見ます。
「でも、大人はみんな、『立派な大人になれ』って言うじゃない!」


​「ああ、そうじゃな」と和尚さんは苦笑します。

「皆、そう言いながら、自分自身がそうなれていないことに苦しんでおる。そもそも、『立派な大人』というのは、医者や弁護士といった“職業”とは、何の関係もないからのう」


「でも、メジャーリーグの大谷選手みたいになれたら、すごくない?」


​「大谷選手は、本当にすごいお方じゃ。じゃが、もし、世界中の子どもたち全員が、大谷選手と同じ能力を持ったとしたら、どうじゃろう。世界は、今より幸せになるかのう?」


「うーん…なんか、変な感じかも」


「そうじゃろ。その“変な感じ”という違和感は、とても大切じゃ。それは、さとるくんが『自分は、大谷選手とは違う、たった一人の存在だ』と、心のどこかで気づいておる証拠なんじゃ」

​和尚さんは、さとるくんの頭を優しく撫でました。


「話を戻そうか。何になるかは、心配いらんぞ。何になりたいと思わんでも、人は必ず“何か”になるもんじゃ。それよりも、遥かに大切なのはな、『何に出会うか』じゃよ」


「何に出会うか?」


「そうじゃ。良き師、良き友、良き本、そして良き教え。若いうちは、その出会いが無限にある。その出会いの一つひとつが、さとるくんの“本当の仕事”を教えてくれる」


​和尚さんは、少し声をひそめ、仏教の壮大な話を始めました。


「仏教ではな、我々はこの世に何度も生まれ変わりながら、一代では終わらない、大きな“使命”を成し遂げようとしている、と考えることがあるんじゃ」


「使命?」


「そうじゃ。それは、『この世の苦しむ人々を救い、自らも、他人も、豊かにする』という、菩薩(ぼさつ)様の誓いじゃ。じゃが、赤ん坊として生まれた瞬間に、その使命を思い出せる者はおらん」


​「じゃあ、どうやって思い出すの?」

「“出会い”によってじゃ。どんな職業に就いたとしても、『これは、自分の使命を果たすためだ』と気づく瞬間が来る。わしがさとるくんにこうして話をしておるのも、その使命の一部かもしれん」


​和尚さんは立ち上がり、空を指さしました。

「職業とはな、その使命を果たすための“道具”なんじゃよ」


「道具?」


「そうじゃ。使命という目的地に行くために、自転車を使うのか、車を使うのか、電車を使うのか。その『自転車』や『車』が、医者であり、歌手であり、お坊さんなのじゃ。それ自体は、使命でも何でもない」


​「そっか…!」


「じゃから、さとるくんは、気楽に好きなことを、誰よりもたくさんやってみるといい。一つの道具しか知らない者より、たくさんの道具を知っておる者の方が、いつか自分の本当の使命に出会った時、必ず役に立つもんじゃよ」




「仕事」は“道具”、「使命」は“目的” 仏教が教える「働く」ことの本当の意味


​和尚さんが語った「職業=道具」「使命=目的」という、私たちの価値観をひっくり返すようなお話。これは、仏教が説く、非常に深く、温かい人間観に基づいています。


​1. 職業に貴賎なし、ただ「正しさ」があるのみ【八正道の正命】

​仏教では、職業そのものに優劣をつけることはありません。ブッダが説いた実践の道「八正道(はっしょうどう)」の中に、「正命(しょうみょう)」という教えがあります。これは、「正しい生き方、正しい職業によって生活を立てること」を意味します。

ここでいう「正しい」とは、地位が高いとか、給料が良いとかいうことではありません。ただ、「他者の命を(直接的・間接的に)奪わず、騙さず、苦しめない仕事」であるか、という一点です。この基準を満たしていれば、どのような職業も等しく尊い“仏道修行の場”なのです。


​2. 生まれることの奇跡【盲亀浮木のたとえ】

​和尚さんは「何に出会うか」が大切だと説きました。仏教では、「人間に生まれ、かつ、仏の教えに出会う」ことが、どれほど奇跡的なことかを説く「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」があります。

これは、「百年に一度だけ水面に顔を出す、目の見えない海亀が、広大な海に浮かぶ一本の流木の、小さな穴に、頭をすっぽり入れる」ことよりも難しい奇跡だと説かれます。私たちは皆、それほどの奇跡を経て、今ここにいるのです。その奇跡の命を、「どの職業に就くか」だけで悩んで使い果たしてしまうのは、あまりにもったいないのです。


​3. あなたも、私も、菩薩である【菩薩行】

​和尚さんが語った「世の苦しむ者全てを救う」という使命は、特別な聖者だけのものではありません。大乗仏教では、仏の教えに出会った者は、誰もが「菩薩」の候補生であると考えます。

あなたが、あなたの「職業(道具)」を使って、目の前の一人を笑顔にすること、誰かの苦しみを少しでも和らげること、それこそが、あなただけに与えられた「使命」を果たす、尊い「菩薩行(ぼさつぎょう)」なのです。


​「何になればいいか」と外側に答えを探す必要はありません。


あなたは、すでに“何か”になるための、素晴らしい奇跡の命を手にしているのですから。


大切なのは、日々の「出会い」に感謝し、自分の持つ道具(職業や能力)を、自分と他人のために、丁寧に磨き続けることなのかもしれません。




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